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第96話 気だるい再会

コントローラーを握る蒼玲の指先に力が入っていた。


画面の中では玲華が零に向かって飛び掛かる。


鋭い爪が弧を描く——しかし零は一歩横にずれ、カウンターの蹴りを叩き込んだ。


体力ゲージが尽きる。


「WINNER 2P」の文字が画面を彩る。


「そろそろ終わりますね」


葵はコントローラーを置いてから立ち上がった。


「ありがとうございました。とっても楽しかったです。

......片付けはどうすれば?」


「待ちなさい」


蒼玲の声が鋭く飛んだ。


「勝ち逃げは許さないわよ」


「僕も遊んでいたいのですが、美容院の予約があって」


「キャンセル料は私が払うから続けなさい」


蒼玲はコントローラーを構えたまま、顎をわずかに上げた。


「それとあなたのヘアスタイル、一流の技術で整えてあげるわ。私には専属のスタイリストが——」


「お気持ちはありがたいのですが」


葵はやんわりと首を振った。


「子供の頃からお世話になっている人なので。

その方にお願いしたいんです」


蒼玲の口がわずかに開いて、また閉じた。


反論の言葉を探しているのが分かった。


しかしこういうとき、葵には勝てないことを蒼玲はそろそろ学び始めていた。


「……分かったわ」


小さく、しかし確かな声だった。


「では次は庶民遊戯、ルミナス・レガリアで勝負よ。デッキを持ってくることね。来週の同じ時間にやるわよ」


「はい、楽しみにしています」


そう答えると蒼玲の表情が一瞬だけ柔らかくなった。


すぐに元の涼しい顔に戻ったが、葵にはちゃんと見えていた。


――――――――――――――――――――


島の西側、商業区の路地を入った先にある小さな看板。


ガラス張りの扉を押すと小さなベルが鳴った。


「いらっしゃ——」


カウンターの奥で椅子に深くもたれていた女性が、葵の顔を見て言葉を止めた。


「……先月は来てくれなかったわね」


気だるげな声だった。


女性はゆっくりと立ち上がった。


それだけの動作なのに目を引いた。


腰まで届くプラチナブロンドが照明を受けてほのかに光り、長身の輪郭が白いエプロンの下で柔らかく揺れた。


薄いグレーブルーの瞳が眠そうに半開きのまま葵を見つめ、左目の下の小さな泣き黒子がいつ見ても不思議と目に入る。


「すみません、ナタリアさん。忙しくて」


「ふぅ……」


長い息を吐きながら、ナタリアはカウンターを回り込んだ。動くたびにゆったりした服がゆっくりと揺れた。


「来てくれたから……許してあげるわ」


シャンプー台の方へ手を向ける。


「座って」


「はい、お願いします」


葵がケープをかけてもらいながら椅子に座ると、ナタリアが後ろに立った。鏡越しに目が合う。


「……大きくなったわね、葵」


ぽつりと言った。


「そうですか?」


「……うん。でも顔は変わらないわ。かわいいまま」


葵はどう返せばいいか少し迷った。


鏡の中のナタリアはそれ以上何も言わず、葵の髪に指を通し始めた。


――――――――――――――――――――


シャンプーを終えてタオルドライされた葵が椅子に戻ると、ナタリアがケープを丁寧に整えた。


「今日は……どうする?」


「いつも通りでお願いします」


「ええ……分かった」


ナタリアは濡れた髪に細かいコームを通した。

根元から毛先までゆっくりと梳きながら、指先で髪の感触を確かめていく。


「……少し傷んでるわ。ちゃんとトリートメントしてる?」


「特別なことは、あまり」


「だめよ……」


ナタリアは葵の髪を両手で包み込むように持ち上げ、指を滑らせた。

眠そうな瞳が鏡越しに葵を捉える。


「やっぱり男は違うわ……」


ぽつりと零すように言って、後頭部の髪を優しく握る。

むっちりとした胸が背もたれ越しに柔らかく押し当たった。


葵が鏡越しに静かに尋ねた。


「前回から僕以外やってないんですか?」


「ええ。......だって、ここ女の子専用よ」


ナタリアの声が低く甘く響く。

指が髪の間をゆっくり往復しながら、熱い吐息を葵の耳元にかけた。


葵は穏やかに微笑んだ。


「そうでしたね」


「……ふふ。いい子」


ナタリアの唇が、ほんの少しだけ緩んだ。


髪を四つのブロックに分けてクリップで留めていく。


慣れた手つきで、ひとつひとつ確実に。


「後ろから……始めるわ」


ハサミが鳴った。


小さく、リズムよく。


ナタリアは後頭部の髪を一束ずつ引き出しながら、指の間でしっかりと長さを揃えた。


左右を交互に確認して、わずかなズレも見逃さない。


「……均等に切れてる? 見える?」


「はい」


「ふぅ……いい子ね」


側頭部へ移る。


耳の上の髪をコームで引き出して、慎重にハサミを入れた。


「少し……耳にかかるくらいにするわ。いい?」


「お願いします」


「……任せてくれると……やりやすいわ」


前髪に移ったところでナタリアの動きが少しだけ変わった。


ハサミの角度が細かく調整される。眠そうな目が真剣に細くなっていた。


「前髪……横に流すの、似合うと思う」


「ナタリアさんにお任せします」


「……うん」


一筋、また一筋。コームとハサミが交互に動く。


――――――――――――――――――――


カットが終わるとナタリアがドライヤーを手に取った。


温風が葵の髪に当たり始める。


ナタリアはラウンドブラシを使いながら、根元から毛先へ向けて丁寧に熱を通した。


ブラシを回しながら内側に丸みをつけていく。


「熱くない……?」


「大丈夫です」


「ふぅ……」


片側が終わると反対側へ。


同じ工程を繰り返す。


ドライヤーの音が一定のリズムで続いた。


シャンプーのほのかな香りが漂っている。


仕上げにナタリアは少量のスタイリング剤を手のひらに伸ばした。


指先に取って、毛先を中心に馴染ませていく。


「手鏡……見て」


差し出された手鏡を受け取って、葵は後頭部を確認した。


きれいに揃っている。


「ありがとうございます」


「後ろは……こんな感じでいい?」


「はい」


「……」


ナタリアが手鏡を受け取りながら、ふと葵の顔を覗き込んだ。鏡越しではなく、直接。


吐息がかかるような距離で目が合って、葵は少し驚いた。


「……茜ちゃんとは、仲良くしてる?」


「はい、仲良しです。二人でダンジョンに行きました」


ナタリアの眉がわずかに動いた。


「ダンジョン……」


「はい」


「……危ないことしちゃだめよ」


眠そうな目が、珍しくまっすぐ葵を見ていた。


「心配してくれてありがとうございます。気を付けたいと思います」


長い息とともに、ナタリアは手鏡をカウンターに置いた。それ以上は何も言わなかった。


――――――――――――――――――――


ナタリアが次に細いカミソリを手に取った。


「産毛……取るわ。じっとしてて」


「はい」


葵が首を軽く傾けると、ナタリアはすぐに後ろから体を密着させた。


彼女は葵の後頭部を、むっちりと豊かな胸の谷間に深く沈めるように包み込んだ。


柔らかく重みのある胸が、葵の頭と首を両側からしっかりホールドする。

これ以上首を動かせないほどの、確かな拘束だった。


刃が首筋に冷たく触れた瞬間、ナタリアの吐息が耳元にかかった。


「……動かないで。絶対に」


カミソリの歯が、薄い皮膚のすぐ上をゆっくりと滑る。


少し力を入れるだけで、簡単に首を切り裂ける位置。


葵は鏡の中の自分を静かに見つめたまま、微動だにしなかった。


呼吸すら乱れず、ただ大人しくナタリアの胸の感触に頭を預けている。


「……信頼してくれてるのね」


ナタリアの声が、わずかに掠れていた。

カミソリを動かす手とは反対に、胸をさらに強く押しつけるように上体を前傾させる。

むちむちの柔肉が葵の後頭部を包み込み、温かい体温がじんわりと首全体に広がった。


「当然です」


葵の声はいつも通り、穏やかだった。


「ふぅ……」


長い、熱を帯びた息がうなじを直撃する。

ナタリアの呼吸が、ほんの少しだけ荒くなった。

カミソリの刃が耳の後ろの細かい産毛を丁寧に剃りながら、彼女の胸が葵の頭を優しく、しかし逃げられないように固定し続ける。


「昔から……こういうとき、全然怖がらないわよね」


「ナタリアさんが怖いことをするわけないので」


ナタリアの手が一瞬だけ止まった。

刃が首の最も柔らかい部分に軽く押し当てられたまま。


その沈黙のあと、彼女はゆっくりとカミソリを再び滑らせた。

胸の圧力をさらに強め、葵の首を自分の柔らかい膨らみに深く埋めるようにホールドしながら。


「……きれいな首ね」


「そうですか」


「うん。昔から……きれいだった」


ナタリアの唇が、葵の耳たぶのすぐ近くで微笑むように動いた。

刃と柔肉に挟まれた首に、彼女の体温が、じっとりと伝わってくる。


葵はただ、静かに目を細めて任せていた。


――――――――――――――――――――


カミソリを片付けたナタリアが小さなジャーを手に取った。


「スキンケア……するわ」


「ありがとうございます」


「痛くないから……安心して」


指先にクリームを取って、葵の頬に触れた。


ゆっくりと円を描くように。圧をかけすぎず、でも確実に肌に馴染ませていく。


「少し乾燥してる……ちゃんとケアしてる?」


「あまり」


「だめよ……」


頬から顎のライン、こめかみ、耳の後ろへ。ナタリアの指が一か所ずつ丁寧に温めていく。


肌が少しずつ柔らかくほぐれていく感覚があった。


「もちもちになる……待ってて」


しばらくして鏡を見ると、頬がほんのり明るくなっていた。


「……本当だ」


「でしょ。……葵の肌、ケアすると素直に反応するの。昔から好きだったわ」


ナタリアが目を細めた。眠そうな瞳が鏡越しに葵を見ている。

その瞳が、ふと遠いところを見るように柔らかくなった。


「……4歳の時から、私を信頼して任せてくれたわよね」


声は低く、まるで独り言のように零れた。

葵は鏡の中で自分の幼い頃を一瞬思い浮かべた。

小さな椅子に座って、足をぶらぶらさせながらこの同じ店に通っていた記憶。


「……覚えてますよ。ナタリアさんが『じっとしてて』って言ってましたね。」


「ふふ……そう。あの頃から全然手のかからない子だった。じーっと大人しく任せてくれる。」


ナタリアの指が葵の顎を軽く持ち上げ、直接目と目を合わせた。


「それが……すごく嬉しかったの。私を信じてくれるのが」


熱を帯びた吐息が、葵の唇のすぐ近くで揺れた。


「今でも、同じね」


「……はい。昔から、ナタリアさんには全部任せられます」


ナタリアの唇が、ほんのわずかに弧を描いた。

眠そうな瞳の奥に、いつもと違う光が灯る。


「いい子……」


――――――――――――――――――――


最後に仕上げのスタイリングをしながら、ナタリアがコームを動かした。


前髪が自然に横へ流れる。耳にかかるか、かからないかの絶妙な長さ。


「……どう?」


葵は鏡を見た。


いつもより少しだけ顔が明るく見えた。


「ありがとうございます。似合ってます」


「似合うに決まってるわ……私がやったんだから」


眠そうな目のまま、でも少し誇らしそうだった。


ケープを外しながら葵の肩に手を置く。


「来月も来てね」


「はい。また来ます」


「約束よ……」


――――――――――――――――――――


店のドアが開くと秋の風が入ってきた。


葵が外に出てから振り返ると、ナタリアはもう椅子に深くもたれて目を細めていた。


でもドアが閉まる瞬間、その口がわずかに動いた。


何を言ったかは聞こえなかった。

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