第90話 魔女のクッキー
夕食の片付けが終わった頃、葵はふと思い出した。
明日はハロウィンだ。
生徒会のイベントとして学園全体で行うと蒼玲が言っていた。お菓子を渡さなければいたずらをする——そういう風習だったはずだ。
葵自身が仕掛ける側になるとは思っていないが、もらう側に回るのも少し気が引ける。
何か持っていった方がいいだろうか。
端末を開いて、蒼玲に送った。
「明日のハロウィンですが、お菓子を持っていく必要はあるでしょうか」
返信は早かった。
「持ってこないでいいわ。天龍集団が全部用意しているから」
葵は少し考えた。
天龍集団が用意する。確かに大量のお菓子が運び入れられていた。
でも。
「……いたずらされたら嫌だな」
ライラが肩の上で小さく笑った。
「じゃあ作ればいい」
葵は端末を置いた。
「そうしようかな」
――――――――――――――――――――
キッチンに立つと、ライラがカウンターの端に腰を下ろして足をぶらぶらさせた。
「何を作るの」
「チョコのクッキー。魔女帽子の形にする」
「魔女っ娘に合わせて?」
葵は答えなかった。
「バター、出して」
「出したよ」
「粉と……これ」
ライラが端末の画面を指で示した。ココアパウダーの欄だった。
「そうするね」
「砂糖とバター、混ぜて」
「どのくらい?」
「白っぽくなるまで」
「こうかな」
ライラが覗き込んで、
「もう少し白い」
「これくらい?」
「いい。次、卵」
「入れたよ」
「粉、少しずつ」
生地がまとまったところで、ライラが続けた。
「包んで冷やして。三十分」
「リオのも一緒に焼こうと思って。生地、倍にしていい?」
ライラが端末をスクロールして、
「倍にして」
葵は頷いて、もう一度ボウルを取った。
――――――――――――――――――――
冷蔵庫を待つ間、葵は端末を開いた。
「リオ、明日誕生日なんだ」
「そうなの?」
「うん。何か作ってあげたいな」
ハロウィンのお菓子として渡せばいい。誕生日おめでとう、とは言わなくても、受け取ってくれればそれでいい。
ライラがカウンターから身を乗り出して端末を覗き込んだ。葵が検索を開くと、ライラが画面をじっと見つめた。星の形、月の形、かぼちゃ、箒、黒猫——ハロウィンのクッキー型がずらりと並ぶ。
ライラが指を伸ばして、かぼちゃと箒を続けて押さえた。
「これとこれ」
「かぼちゃと箒か。いいね」
生地を取り出して、ライラが端末を手に持った。
「型で抜いて」
「抜いたよ」
「並べて。間を開けて」
「これくらい?」
ライラが確認して、
「もう少し」
「こう?」
「いい。オーブン……百七十度」
「予熱するね」
「うん」
しばらくして、ライラが言った。
「葵、かわいいから似合うよ」
葵は少し間を置いた。
「……何が」
「魔女っ娘」
葵は何も言わなかった。
――――――――――――――――――――
クッキーが焼き上がると、いい匂いがキッチンに広がった。
ライラが鼻をひくひくさせた。
「焼けた」
「焼けたね」
天板から取り出して、冷ます間に葵はラッピングの材料を並べた。透明の袋、リボン、小さなタグ。
「アーデル先生とオリビア先生の分、取り分けようか」
「うん」
葵が魔女帽子クッキーを数枚ずつ袋に入れていくと、ライラが横から覗き込んだ。
「リオのは別にして」
「うん、そうするよ」
かぼちゃと箒のクッキーを並べて、葵がリボンを手に取った。するとライラが首を振った。
「それじゃない」
「じゃあどれ?」
ライラが材料の中をしばらく見回して、細い金色のリボンを指で示した。
「これ」
「これね。確かにかわいいね」
「うん」
葵が結ぼうとすると、ライラがじっと見ていた。
「……もう一回結んで」
「難しいね、これ」
「もう一回」
三回目でライラが小さく頷いた。
「いい」
葵はリオ用の袋をそっと脇に置いた。
――――――――――――――――――――
片付けを終えて、葵はキッチンの明かりを落とした。
テーブルの上に、三種類の袋が並んでいた。魔女帽子クッキーが二袋、アーデルとオリビアの分。可愛いリボンでまとめた魔女帽子クッキーが数袋、明日配る用。そしてリオのかぼちゃと箒、金色のリボン。
ライラが袋を一つ一つ眺めていた。
「明日、渡せるといいね」
「うん」
葵はリオの袋をそっと持ち上げた。軽い。でも何か入っている感じがする。
「喜んでくれるといいな」
ライラは何も言わなかった。
しばらくして、
「きっと喜ぶ」
と、小さく言った。
葵は頷いて、袋を元の場所に戻した。
「寝ようか、ライラ」
「うん。寝よう」
明かりを消すと、キッチンにクッキーの匂いだけが残った。




