第89話 鎧の音
「では、召喚してみろ」
「やってみます」
魔法陣を展開した。
光の輪が床に広がった。ピクシーのときとも、ウィルオウィスプのときとも違う色だった。白と金が混ざったような、静かな光。輪の中心から、何かが現れ始めた。
大きかった。葵よりずっと背が高い。白と銀の鎧をまとっている。胸当て、肩当て、スカート状の装甲。羽飾りのついたマントが、風もないのにゆっくりと揺れていた。
目を閉じていた。
燃えるような赤銅色の長い髪。透き通るような白い肌に、薄くそばかすが散らばっている。整った鼻筋と柔らかな唇。騎士らしい気品があった。
リースが端末に何かを打ち込む音だけが、静かに響いていた。
それ以外は、何も聞こえなかった。
ゆっくりと、目が開いた。
大きな、緑の瞳だった。
「うわーっ! どこですかここ! 戦場じゃない! 敵は!? 味方は!?」
マントがずり落ちた。鎧の留め具がかちゃかちゃと鳴った。赤毛が顔にかかった。緑の瞳がきょろきょろと部屋中を見回している。
葵は少し止まった。
リースは端末から顔を上げなかった。
「落ち着け。ここは安全だ」
リースが言った。音の響きが違った。
リースが引き出しから小さなデバイスを取り出して、女性に差し出した。ジェスチャーで耳に付けるよう示した。
女性がおそるおそるデバイスを受け取った。しばらく眺めてから、耳に付けた。
「落ち着け。ここは安全だ」
リースがもう一度言った。
「……なんですか、これ」
女性がデバイスを指先でそっと触れながら言った。
「翻訳デバイスだ。それを付けていれば言葉が分かる」
リースが言った。
女性がデバイスにもう一度触れた。
それから自分の鎧を見下ろした。胸当てを叩いた。マントを引っ張った。赤毛をかき上げながら、もう一度周囲を見回した。
「す、すみません……私はフィオナ・オコナーと申します。ええと……ここはどこですか。私は何故こんな格好を……」
赤毛をかき上げる手が、少し震えていた。
リースが口を開いた。
「あなたが覚えている最後の日付はいつだ」
「……2045年の、1月1日です。戦っていて……それから……」
そこで止まった。
「あなたはその日に死に、別の存在として生まれ変わった。この世界ではそういう存在を神魔と呼ぶ」
「……死に」フィオナは小さく繰り返した。「私は、死んだ……?」
緑の瞳が揺れていた。マントがまたずれた。
「ヴァルキリーという神魔になったようです」
葵は画面をフィオナに向けた。
オーディンに仕える女性の軍団。美しい鎧をまとい、槍や剣を持ち、天馬で戦場を駆ける。
フィオナはしばらく画面を見ていた。それから自分の鎧を見た。また画面を見た。
「……これが、私、ということですか」
「そのようです。ただ、天馬は居ませんね」
リースが少し間を置いた。
「おそらく未熟だから、まだ来ていないのだろう」
フィオナの頬がわずかに赤くなった。赤毛が顔にかかった。それを払いながら、小さく咳払いをした。
「そ、そのうち来ます!」
リースが端末を置いた。
「どうやら生まれたばかりのようだな」リースは葵を見た。「剣術部があるだろう。一緒に連れて行って体を慣らしてきてはどうか」
「はい」
葵はフィオナを見た。フィオナはまだ自分の鎧を見下ろしていた。
「一緒に来ますか」
フィオナが顔を上げた。
「……はい。お供します」
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廊下に出た。フィオナが足を止めた。
お化けが舌を出しながらふわふわ浮いていた。
「うわぁあ! 悪魔! こんなところに!」
ハロウィンの飾りだった。
「フィオナさん、それはハロウィンの飾りです。」
フィオナはお化けを恐る恐る突っついた。
「......悪魔じゃないのですね」
天井を見上げた。壁を見た。廊下の奥まで続く照明を見た。窓の外を見た。
「……なんですか、この建物は」
「魔法学園です」
「魔法……」フィオナが繰り返した。「魔法が、あるのですか。この時代に」
「はい」
フィオナはしばらく廊下を見回していた。それから小走りで窓に近づいた。外を覗き込んだ。魔法練習場が見えた。生徒が魔法を放っている。光の弾が飛んでいく。
「うわあ……」
しばらく見ていた。それからぽつりと言った。
「……人類は、悪魔に打ち勝ったのですね」
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道場の扉を開けた。
部員たちが振り返った。フィオナを見た。全員が止まった。
白羽が葵の方を見た。それからフィオナを見た。
「……誰だ」
「契約した神魔です。ヴァルキリーという神魔で、生まれたばかりなので体を慣らしに来ました」
白羽はしばらくフィオナを見ていた。
フィオナは道場を見回した。部員たちを見た。葵を見た。それから大きく息を吸った。
「フィオナ・オコナーと申します! 死んでしまいましたが、騎士として、生き……いえ、存在させていただきます!よろしくお願いします!」
道場が静かになった。
白羽が少し間を置いた。
「……入れ」
フィオナが道場に入った。部員たちの視線が集まっていた。フィオナは気にしていないようだった。道場の中を見回して、木刀を手に取った。
「これは?」
「木刀です。練習用の刀ですね」
「刀……」フィオナは木刀をしげしげと眺めた。「こういうものは持ったことがないですね……」
「とりあえず振ってみますか」
フィオナが木刀を振った。ぎこちなかった。
「難しいですね……」
「足をもう少し開いて」
葵が隣に並んだ。自分の木刀を構えてみせた。フィオナが真似をした。
「肘を下げて。刃を意識して振る感じで」
「こうですか」
「もう少し……そうです」
フィオナが何度か振った。最初よりずっとましになった。
「おお……!」
フィオナが嬉しそうに木刀を見た。それから葵を見た。
「ありがとうございます! 教え方が上手ですね!」
白羽がこちらを見ていた。
「……その調子だ」
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剣術部が終わった。
部員たちが道場を出ていく中、フィオナは木刀を元の場所に戻した。その時、マントがずれた。
「あ……」
慌てて直そうとした。留め具がうまくはまらなかった。
葵が手を伸ばした。
「貸してください」
「あ、す、すみません……」
留め具を直した。フィオナが少し赤くなった。
「ありがとうございます……」
しばらく間があった。フィオナが道場をもう一度見回した。
「……楽しかったです」
小さく言った。
それから葵を見た。何か言いかけて、止まった。
「今度呼んでいただけるときは……この世界のことをもっと教えてくださいませ」
光の輪が広がった。フィオナが消えた。
鎧の音が、消えた。
道場が静かになった。




