第79話 試験の打ち上げ
葵はしばらくその廊下を見ていた。
「打ち上げよ。ついてきなさい」と蒼玲が言った。
生徒会メンバーが当然のようについていった。葵も後を追った。
「どこに行くんですか?」
校舎を出ると、蒼玲が振り返った。「凌霄星辰閣よ」
聞いたことがあった。
天龍集団のビルの最上階にある天空テラス。名前だけで値段が想像できた。
「あの……今日は予定があって」と葵は言った。
——嘘ではなかった、オリビアの夕食を作っていなかった。いつもより少し遅い時間なので、服の上からほんのりと丸みが伝わってくるあのお腹を、空かせているかもしれない。
「予定?」と蒼玲が言った。
「ご飯を作らなきゃいけない人がいて」
蒼玲が少し間を置いた。「私との時間より大事な予定があるの?」
葵が答える前に、手首をつかまれた。
柔らかかった。しかし動けなかった。
そのまま歩き出した。
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校舎の正門を出ると、黒い車が止まっていた。
細長く、窓が暗く染まっていた。
タイヤがなく、地面から静かに浮いていた。
「乗りなさい」と蒼玲が言った。
中は広く、向かい合わせのシートが並んでいた。
間接照明が柔らかく光っていた。
全員が乗り込むと、扉が静かに閉まった。
車がゆっくりと上昇し始め、アルカディア島の夜景が下に広がっていった。
光の建築群が輝いていた。
アーデルとオリビアに連絡を入れ、葵は窓の外を見た。
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天龍集団のビルは島の中心部にあった。
「蒼玲様、お待ちしておりました」
エントランスに入ると、スーツ姿のスタッフが深々と頭を下げた。
エレベーターが最上階まで一気に上がった。扉が開いた。
視界が開けた。
四方がガラス張りでアルカディア島の夜景が360度広がっていた。
海が光を反射しており、空中モノレールが静かに走っていた。
魔法の防壁だけが空気の代わりに張られていて、夜風がそのまま入ってきた。星が近かった。
「……すごい」と葵は思わず言った。
「当然よ」と蒼玲が言った。
全員が席についた。
エリサベットが「お姉さま、今日もありがとうございます」と言った。
蒼玲が「ええ」と言った。
葵はまだ夜景を見ていた。
ライラが胸元でかすかに揺れた。温かい揺れ方だった。
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最初に運ばれてきたのは小さな一品だった。
翡翠色のメロンが丸くくり抜かれていた。中に透明なソースが閉じ込められていた。一口で食べた。
体がすっと軽くなった。
「……なんですか、これ」
「翡翠龍珠涙よ」と蒼玲が言った。
「魔法で育てたメロンに龍の涙ソースを閉じ込めてあるの。」
イレムが「これ好きなんだよね」と言った。
冷菜三品が運ばれてきた。
魔法炎で瞬炙した鴨胸肉の薄切り、琥珀色のゼリーに閉じ込めたエビ、和牛の極細糸切りの黒胡麻トリュフ和え。三品が並ぶと食卓が一気に華やいだ。
次にスープが来た。
黄金色で、九種の仙草と幸運金粉が浮かんでいた。
飲むと温かさが体の奥まで広がった。
試験の疲れが少しずつほどけていくような感覚だった。
メインが三品続いた。
青い光粒子が舞う中で蒸し上げられた魚料理、24時間魔法熟成された豚の叉焼、そして名物、幻蝶宮保鶏丁が運ばれてきた。
一口食べた瞬間、視界に光の蝶が舞った。
葵は思わず手を止めた。
「……見えてますか、これ」
「見えてるよー」とイレムが言った。「きれいだよね」
白羽が無言で箸を動かしていた。アリアが光の蝶を一瞥した。「……演出過多」とだけ言って、また箸を動かした。
締めに銀月仙霊粥が運ばれてきた。とろりとした白い粥だった。
月光を浴びた特製米と九種の霊薬で煮込まれていた。
一口ごとに体の芯が温まった。試験の疲れが、静かに抜けていった。
「……おいしい」と葵は言った。
デザートは月下銀河芒果仙凍だった。星の銀河を閉じ込めたマンゴーのプリンだった。
スプーンを入れると、星が浮かび上がった。本物の星の様だった。
葵はしばらくスプーンを持ったまま見ていた。
最後に永夜烏龍茶が運ばれてきた。
魔法で抽出時間を固定した極上の烏龍茶だった。口の中が静かに整った。
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食事が終わったあとも、しばらく他愛のない話を続けた。
話が一段落着いた頃、スタッフが伝票を持ってきた。
蒼玲が手を伸ばした。
「前回出してもらったから、今日は私が出すわ」とカヴィヤが先に受け取った。
カヴィヤは伝票を見た。表情は変わらなかった。
「……おいくらですか」と葵は聞いた。
「一人80万クレドよ」と蒼玲が言った。
涼しい顔だった。
葵は計算した。80万クレドがどのくらいの金額か、自分の感覚では想像もつかなかった。ただ、とてつもない額だということはわかった。
カヴィヤが端末を操作して全員分を支払った。白羽がすぐに端末を出してカヴィヤに振り込んだ。
カヴィヤが「白羽さんはいつも早いですね」と言った。
白羽が「当然だ」と言った。
どうやら持ち回りらしかった。
「……あの、僕はどうすれば」と葵は言った。
「あら」と蒼玲が微笑んだ。「いずれ私のものになるんだから、私が出す分でいいのよ」
葵は何も言えなかった。
「迷宮で神魔の素材を持ってきたら換金してあげるよー」とイレムが言った。
「100層より上の素材は結構高く売れるんだよね。それでお返しするのはどう?」
「素材、ですか」
「ただし100層より下の雑魚の素材は高くないよ。ボスはちょっと値段がつくけど——例えば20層のボスの素材なら1000クレドくらいかな」
葵は今まで潜ったダンジョンを思い返した。
素材を一度も拾ったことがなく、全部置いてきていた。
——もったいなかった。
「次からちゃんと拾います」と葵は言った。
「そうしてー」とイレムが言った。
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帰りも空飛ぶリムジンだった。
島の夜景が窓の外を流れていった。食事の余韻がまだ体に残っていた。
リムジンが教員寮の前に止まった。
葵が降りると、扉が閉まった。
「傭兵が怖いなら私と一緒に住んでもいいのよ」と蒼玲が窓越しに言った。
「お姉さま!」とエリサベットの声がした。
リムジンがゆっくりと上昇して、夜の空に消えていった。
葵が自分の部屋に向かっていると、壁の穴からオリビアが顔を出した。
「おかえりなさい」
「ただいま帰りました」と葵は言った。
「今日はオリビア先生のおかげでよくできた気がします。何かお礼をしたいんですが」
オリビアが少し目を丸くした。「……お礼、ですか」
「はい」
「それなら今度、買いたい本があるので一緒に行きましょう」
「……そんなことでいいんですか」と葵は言った。「なんだか申し訳ないんですが」
「はい、ぜひ一緒に」とオリビアが言った。嬉しそうだった。
ライラが胸元でかすかに揺れた。
試験が終わった夜だった。




