第67話 ピアサポート
土曜日の朝は、いつもより空気が軽かった。
授業は午前中だけだった。
剣技の時間、葵はエリックと向かい合った。ハルトマンがSクラスの担任になってから、剣技はAクラス以下との合同授業になっていた。広い演習場に人数が増えた分、声と足音が多くなった。
「型の確認をする」とハルトマンが言った。「ペアを組め」
エリックが迷わず葵の前に立った。
「構え」
葵は剣を持った。エリックも構えた。
型の確認が始まった。エリックの動きは正確だった。無駄がない。長年積み上げてきた技術が、動作の一つ一つに染み込んでいた。
葵は自分の動きを確かめながら合わせた。白羽に教わった型が、少しずつ体に馴染んできていた。まだずれる部分はある。それでも先週よりは動けていた。
一通り終わって、エリックが正面から葵を見た。
「腕が上がっているな」
それだけ言った。葵は「ありがとうございます」と返した。
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魔法実戦演習は、剣技の後に続けて行われた。
ハルトマンとオリビアが並んで評価側に立っていた。モローの授業のときとは違った。何が評価されて何が評価されないか、基準がはっきりしていた。
順番に名前が呼ばれた。Sクラスの生徒たちは全員、水準が高かった。魔法の精度・速度・判断力、どれを取っても一般の基準では十分すぎるほどだった。
葵の番が来た。
呼ばれて前に出た。いつも通りやった。それだけだった。
終わって戻るとき、エリックが一言言った。
「……お前、自分がどれだけのことをやっているか、わかっているのか」
葵は少し止まった。「……いえ、わからないです」
エリックはそれ以上言わなかった。
ライラが胸元でかすかに揺れた。何かを感じているような揺れ方だった。葵には、それが何なのかわからなかった。
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午後になった。
ピアサポートの会場は、ある教室の一角だった。カヴィヤがすでに机を並べ終えていた。アリアは壁際の椅子に座って、静かに腕を組んでいた。
「葵くん、来てくれてよかった」
カヴィヤが嬉しそうに言った。
「難しく考えなくていいから。リラックスしてね。」
「はい」
「わからなかったら私に振って。アリアさんに振っても大丈夫」
アリアが無言でこちらを見た。否定はしなかった。
しばらくして、扉が開いた。
「葵ー」
颯だった。後ろにマルコとリオが続いた。
「本当に来てくれたの? お前、高貴なSクラスだろ?」
颯が葵を見て笑いながら言った。
「もう、颯は」と葵は言った。「座って」
マルコは赤みがかった髪をかき上げながら、教室の中を物珍しそうに見回していた。
「葵くんのお友達?」
カヴィヤが嬉しそうに颯たちを見た。
颯が「幼馴染です」と答えた。「かわいいお友達ね」とカヴィヤが言った。颯が少し固まった。
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三人が席に着いた。
「何が難しいですか」とカヴィヤが聞いた。
「世界史と数学です」とリオが言った。颯とマルコも頷いた。
葵は少し考えてから、昨日オリビアに教わったばかりの範囲から始めることにした。
「じゃあ世界史から。ローマ帝国の崩壊のあたりはどこまでわかってる?」
「全然」と颯が言った。マルコが「俺も」と続けた。
「……少し」とリオが小さく言った。
葵はノートに簡単な図を描いた。線を引いて流れを示した。
「帝国が大きくなりすぎると、端まで目が届かなくなる。ローマもそれで——」
「あ、なんかわかる気がする」とマルコが身を乗り出した。
一つ説明するたびに、三人が追いついているか確かめた。追いついていれば次へ。止まっていれば戻る。
——オリビア先生の教え方に似ている、と思った。
そう気づいてから、葵は少し可笑しくなった。昨日教わったばかりのことを、もう真似していた。
しばらくして、アリアが壁際から立ち上がって数学で詰まっている颯の手元を覗き込んだ。一言二言だけ言って、また戻った。
「やっぱり教え方上手ですね」と葵は言った。
「……そう」とアリアは言った。
リオが葵の方を見た。「葵も上手だよ」と小さく言った。颯が「ほんとそれ」と続けた。
葵は少し止まった。「……家庭教師の先生に教わってるから」
颯が「どんな先生?」と言った。葵は「補助教師のオリビア先生」とだけ答えた。
颯が少し前のめりになった。「あの先生? めちゃくちゃきれいな人じゃないか」
「……知ってるの」
「知ってるよ、ハルトマン先生の横に居るのを見かけたから。あの先生に家庭教師してもらってるのかよ?」
「うん」
颯が「ずるいぞ」と言った。マルコが「誰、誰」と颯に聞いていた。リオだけが静かに葵を見て、小さく笑っていた。
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颯たちがひとしきり騒いで、それから勉強に戻った。
しばらくして、扉がまた開いた。
セレンだった。
一人だった。颯たちとは違う空気で入ってきた。教室の中を一瞬確認してから、葵の方へまっすぐ来た。
「……私も、勉強教えて」
「うん」と葵は言った。「座って」
セレンは颯たちの隣に座った。颯が「よ」と声をかけた。セレンは小さく頷いた。
「……世界史を、教えてほしい」
葵はノートを開いた。「どこまでわかってる?」
セレンが少し間を置いた。「……あまり」
「どのくらい」
「……ローマが、あった、くらいは」
葵は少し止まった。颯が小声で「やばいな」と言った。マルコが笑いをこらえていた。
葵は最初から説明し始めた。セレンは黙って聞いていた。途中で止まるたびに、短く確認した。説明が進むにつれて、セレンの目が少しずつ変わった。
「……あ」
「わかった?」
「……こういうことか」
セレンが小さく頷いた。
——わからない人に教えると、こちらも整理される。
葵はそう思った。教えながら、自分の理解が固まっていく感じがあった。
一通り終わって、セレンがノートを閉じた。少し間があった。
「……まずい、と思った」
「うん」
「……悪いんだけど、明日も教えてくれない?」
葵は少し考えた。日曜日だった。特に予定はなかった。
「いいよ」と葵は言った。
セレンが小さく頷いた。「……ありがとう」
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ピアサポートが終わった。
教室から人が出ていった。カヴィヤが机を片付けながら「お疲れ様、葵くん」と言った。アリアはすでに荷物を持って立っていた。
葵は一人になった。
窓の外はまだ明るかった。試験まで、あと二週間だった。
——まず、中間試験だ。
それだけ考えた。70層のことも、格のある神魔のことも、今は後回しでいい。今やるべきことは一つだった。
ライラが胸元でかすかに揺れた。
「……うん」と葵は言った。
ライラは何も言わなかった。ただ、揺れが少し温かかった。




