第60話 視線と金色の光
ハルトマンの授業は、モローのそれとはまったく違った。
一つ説明するたびに生徒に問いを返して、答えが出るまで次に進まない。板書は少なく、代わりにハルトマン自身が魔法を発動して見せる場面が多かった。
Sクラスの生徒たちが端末を閉じて黒板を見ていた。
葵もノートを取りながら、初めてSクラスの授業で言葉が腹に落ちる感覚があった。
補助教師のオリビアが教壇に立つと、教室の空気が少し変わった。
声が低く、静かで、抑揚が少ない。しかしどこで止まれば生徒が追いつくかを正確に測っているような話し方だった。難しい概念を説明するとき、言葉を一度止めて別の角度から言い直す。それだけで、さっきまで霧の中にあった話が急に輪郭を持った。
Sクラスの生徒たちが、オリビアの声に引き寄せられるように顔を上げていた。
ただ。
気がつくと、オリビアがこちらを見ていた。目が合うと、すっと逸れた。少し経つとまた来た。また逸れた。
——なぜだろう。
ライラが胸元でかすかに揺れた。
「……気になってる」
葵は前を向いたまま、何も言わなかった。
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授業が終わって廊下に出ると、エリックが隣に並んだ。
「あの先生」
「はい」
「授業中、お前のことを見ていた」
「……気のせいでは」
エリックは少し間を置いた。「気のせいではない」
「……はい」
「何かしたのか」
「……心当たりがないです」
エリックはそれ以上何も言わなかった。ただ前を向いたまま、少し歩調を落とした。それだけだった。
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スタディホールの時間、葵は茜と転移ゲート室にいた。
試験勉強も大事だが、ヴァルハラ•アームズのボランティア募集開始までに70階層に到達しなければならない。
「茜、戦闘服は?」
「借りてきた」
茜は学園のレンタル戦闘服を着ていた。葵の蒼玲から贈られたダークネイビーのスーツとは違う、学校の紋章が入った標準的なものだった。動きやすく、最低限の防刃・防魔性能はある。
茜が自分の袖を少し引っ張った。「……似合ってる?」
「似合ってるよ」
「……そう」
茜は少し目を細めた。それ以上は何も聞かなかった。
転移ゲートを抜けた。
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一層の廊下は薄暗かった。
消えない松明が等間隔に並び、ひび割れた石畳が続いている。葵には見覚えのある光景だった。
茜は少し歩調が遅かった。葵の半歩後ろについて、左右の壁を確認しながら進んでいる。
「大丈夫?」
「……大丈夫よ」
口調は落ち着いていたが、指先がかすかに戦闘服の裾を握っていた。
「まずは茜の力を確認したいから。無理はしなくていい」
「……わかった」
しばらく進むと、十字路があった。
まっすぐ進んだ。
半透明の深緑色をした、粘性のある不定形の塊が現れた。表面がぬめぬめと光を反射し、内側の気泡が絶え間なく動いている。地面にへばりつくように広がりながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
茜が止まった。
一瞬、体が固まったのがわかった。
それから、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。
淡い金色の光が、ゆっくりと滲み出し始めた。
「——天使様、お願い」
光の粒子が一気に渦を巻いた。純白の翼が広がり、銀色の装甲をまとった天使が降臨した。聖なる杖から厳かな光があふれ出す。
次の瞬間、白い光の奔流がスライムを包んだ。
塊が、消えた。
廊下に静寂が戻った。
天使がゆっくりと茜の体に戻っていった。茜は少し肩で息をしていた。
葵はその場に立ったまま、一瞬だけ遠い目をした。
——僕も同じことをやったな。
上級魔法でスライムを一撃。エリサベットに笑われた。あのときのことがふわりと浮かんで、すぐに沈んだ。
「茜」
「……何」
「スライム、そんなに強くないよ」
茜がゆっくりこちらを向いた。
一秒の間があった。
「……ふふ」
小さく笑った。肩の力が、すっと抜けていくのがわかった。
「そっか」
「うん。……僕も最初、同じことやったんだ」
茜が少し目を丸くした。「葵も?」
「上級魔法で一撃。先輩に笑われた」
「……あはは」
今度はもう少し大きく笑った。
「……葵が、そんなことするなんて」
「念のためって思っただけで」
「念のため」と茜が繰り返した。「……そうよね、初めてだもの。わからないもの」
少し間があった。
「……少し、安心した」
「うん」
茜の半歩後ろを歩く足が、気がつくと葵の隣に並んでいた。廊下の先に、次の松明の明かりが見えた。




