表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/111

第5話 魔法と演算

午後三限は魔法工学だった。


黒板の前に、リース・オルタはすでに立っていた。


長身。スーツの両袖だけがまくれている。葵には、それが妙に印象的だった。きちんと着る気はある。でも、最後の最後で何かを譲っている。


「リース・オルタだ。こっちがオルタ」


軽く手を向けた先で、パネルに青白い光が灯った。人の形をぼんやりと模した輪郭が、静かに揺れている。


「よろしくお願いします」


オルタの声は穏やかだった。リースのほうは、ほとんど表情を動かさない。それでも、目だけが少し笑っているように見えた。


「今日は一つ、問いから始める」


リースは黒板に二つの図を並べた。左に魔法陣。右にコードの断片。


「魔法陣と、AIの演算処理。何が違う」


教室がしばらく静かになった。


「構造」


誰かが呟いた。


「魔力があるかないか」


別の声。


リースは反応しなかった。視線を黒板に戻して、続けた。


「どちらも、意図を形にして、現実に作用させる技術だ」


短く区切る話し方だった。


「魔法陣は図形と記号で。AIはコードとアルゴリズムで。原理は同じ」


葵はノートを取る手を止めた。


意図を、形にして、現実に作用させる。


「詠唱も同じだ」


リースは黒板を見たままだった。


「言葉によって、意図を構造化する。だから詠唱なしで魔法を発動するのは難しい。構造の補助がない分、術者は自分の内側だけで意図を完結させなければならない」


葵の手が、ノートの上で止まったままだった。


詠唱なしで、意図を完結させる。


自分のやっていることに、初めて名前がついた気がした。

少し、嬉しかった。

誰にも言われずに勝手にやっていたことに、誰かが言葉を与えてくれた——そういう感じだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


授業が終わり、生徒たちが教室を出始めた。


葵はしばらく席に座ったまま、ノートを眺めていた。


(聞いてみたら)


ライラの声がした。


葵は立ち上がった。リースは、すでに片付けを始めていた。


「少しいいですか」


リースは顔を上げた。動作は止めない。目だけが、葵を捉えた。


「何だ」


「詠唱なしで魔法を発動できたんですが、どういうことなんでしょうか」


「初級か」


「いえ……上級まで」


リースの手が、止まった。


ほんの一拍だった。それからまた、書類をまとめる動作に戻った。


「上級を、詠唱なしで」


「はい」


リースはパネルを手元に呼び寄せた。何かを書き込んでいる。表情は変わらない。


でも目の奥が、さっきよりわずかに笑っていた。


「熟練者なら、初級は詠唱なしで出せる者がいる。中級も、稀に」


そこで一度切った。


「上級を詠唱なしで、それも入学したての一年生で。そんな話は、聞いたことがないな」


葵は何も言わなかった。


「いつからできた」


「……最初から、です。練習で初めて魔法を使ったときに、詠唱なしでも出ました」


リースはもう一度パネルを操作した。それから、何でもないことのように言った。


「わかった。教えてくれてありがとう」


それだけだった。葵は少し拍子抜けした。


「……何か、おかしいんでしょうか」


「おかしい、というより」


リースは葵を見た。今度はまっすぐに。


「珍しい。それだけだ」


その言葉に、何かが込められているような気もした。気のせいかもしれなかった。


「わかりました。あと、それと」


葵は少し間を置いた。


「夢の中で何かをしている気がするんです。体が毎朝重くて、医者にかかっても異常なしで……これって何かの魔法現象だったりするんでしょうか」


リースはパネルから手を離した。


完全に、葵を見た。


「夢の中で何かをしている、か」


リースは繰り返した。声に抑揚はなかった。


「体が重いのは、毎朝か」


「はい」


「夢の内容は、覚えているか」


「……覚えていないです。目が覚めると消えていて」


リースの目が、ほんの少しだけ動いた。何かを判断する目だった。


それからリースは、パネルに視線を戻して、書き込んだ。


「人の夢を操ることは、人間の技術ではできない」


リースの声が、少し落ち着いていた。


「脳は、今の科学でも完全には解明されていないからだ。だが、そういう力を持つ神魔はいる」


「神魔ですか」


「ああ」


リースは葵を見ない。パネルを見ている。


「もしお前の夢に何かをやっているなら、神魔の可能性がある」


「そんな、僕はどうすれば……」


「葵」


リースの声が、少しだけ低くなった。


葵、と呼ばれた。苗字ではなく。


「あまり、気にしすぎるな」


葵が、顔を上げた。


「人の夢に干渉する神魔は、サキュバスやインキュバスのような夢魔が考えられる。だが、ああいうのは人の体を衰弱させる。医者にも分かる痕跡が残る」


リースの口調は、淡々としていた。


「それがないということは、大した影響はないのだろう」


葵は頷いた。


少し、安心した。

答えが完全にわかったわけではない。それでも、大した影響はない、と先生が言ってくれたこと。それが、今は助かった。


「ありがとうございます」


頭を下げて、教室を出た。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


廊下に出ると、颯が壁にもたれて待っていた。


葵は少し笑った。

颯はいつも、こうやって待っていてくれる。


「何してたの? 先生に質問?」


「うん、少し」


「どんな?」


「魔法のこと」


「ふーん」


颯はそれ以上聞かなかった。

そういうところが、葵は好きだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


四人で廊下を歩いた。


いつの間にかセレンが合流していた。茜がセレンの隣を歩いている。


「ウェールズに友達とか恋人はいないの?」


茜が静かに聞いた。


「恋人はいない。友達はいる」


「どんな人?」


セレンは少し考えた。


「三人いて、一人は、上品に笑うけど何考えてるかわからない子」


「怖い」


颯が割り込んだ。


「もう一人は、めちゃくちゃ明るい。声が大きい」


「もう一人は?」


「潔癖症の子。でも紳士的」


茜は少し考えた。


「三人とも、セレンと全然違うね」


「……そうかも」


葵はその会話を横で聞きながら、颯と並んで歩いた。


セレンにも大切な人たちがいた。それを置いてここに来た。


セレンも、寂しいのかもしれない。

葵はそう思った。

だから茜は、聞いてあげたのかもしれない。


なぜ来たのか、という問いも浮かんだ。でもそれ以上は出てこなかった。


胸元でライラが、静かに揺れた。葵は胸に手を当てた。


ふと、リースの背中が脳裏をよぎった。


葵が廊下に出るとき、リースの姿が一瞬目に入った。パネルの前に座って、何かを書き留めていた。普段と変わらない姿勢で。


——でも。


「珍しい。それだけだ」


あの声が、どこか平坦すぎた。


驚いていなかった。最初から、知っていたような。


気のせいかもしれない。


ライラは、何も言わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ