第56話 引っ越してきた隣人
教員寮の廊下にノックの音がした。
アーデルが扉を開けた。
廊下に、栗色のウェーブ髪の女性が立っていた。眼鏡をかけて、大きな鞄を抱えていた。
「あの……お隣に引っ越してきました、オリビア・ベネットといいます」
「アーデル・クラインだ」
「よろしくお願いします……」
オリビアはそこで葵に気づいた。
視線が止まった。
「……葵くん?」
「あ、オリビア先生。よろしくお願いします」
「ここ……アーデル先生の部屋、ですよね」
「はい」
「なんで、葵くんが」
オリビアの視線がアーデルに移った。アーデルは表情を変えなかった。
葵は少し間を置いてから言った。
「少し前に、帰り道で上級傭兵三人に襲われたんです。」
「じょ、上級傭兵に! ......無事だったんですか?」
「はい、なんとか。 でも、また来る可能性があるということで、アーデル先生が教員寮に移るよう言ってくださって。」
「......それでなんでアーデル先生の部屋に?」
「隣の部屋が空いていたんですが、設備が壊れていたので、しばらくこちらに。
......直ったところに先生が引っ越したんですね」
オリビアはアーデルを見た。少しだけ羨ましそうな顔をした。
「……傭兵に狙われているのに、葵くんは随分と穏やかなんですね」
「慣れました」
「慣れたって……」
オリビアは小さく眼鏡を押し上げた。
アーデルは「引っ越しの荷物は自分で運べるか」とだけ聞いた。オリビアは「大丈夫です」と答えた。
扉が閉まった。
廊下に、オリビアの足音が遠ざかっていった。
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その夜、アーデルが葵に声をかけた。
「今日の合一の訓練をする」
「はい」
葵はソファベッドから立ち上がった。目を閉じた。ライラの気配を内側に向けた。
引っ張らない。招く。
最近は最初の引っかかりが薄れていた。それだけ慣れてきた証拠だった。
光の剣が手のひらに生まれた。前より速く、前より安定していた。
「もっと深く取り込んでみろ」
アーデルが言った。
葵は意識を集中させた。触れているところだけでなく、もう少し奥へ。ライラの温かさを、内側のもっと深いところへ。
「……感じるか」
「……感じます」
光の剣が大きくなった。刃の輪郭が安定してきた。
「合一——もう少し」
葵が息を詰めた。
胸の奥で、ライラが静かに言った。
「……一緒にいる」
「……っ」
光が一瞬大きく広がった。部屋の壁を白く照らした。
その瞬間——隣からドン、という音がした。
壁が、崩れた。
隣の部屋との壁に、人が通れるほどの穴が開いていた。
穴の向こうに、オリビアが立っていた。
眼鏡が大きくずれていた。拳を握ったままだった。頬が真っ赤だった。
三人とも、しばらく黙っていた。
「……何を、しているんですか」
オリビアが絞り出すように言った。
葵は穴を見た。それからオリビアを見た。
「……合一訓練です」
「……契約神魔と融合する合一ですか?」
「はい」
「そ、そうなんですか」
「はい」
葵はもう一度穴を見た。
「……壁は、どうしたんですか」
オリビアの頬がさらに赤くなった。眼鏡を押し上げた。拳を後ろに隠した。
「……よ、寄りかかったら壊れてしまいまして」
まっすぐ前を向いたまま言った。
アーデルが穴を見た。
「古い棟だ。壊れてもおかしくはないか」
「……そうですね」
葵も穴を見た。人が通れるほどの穴だった。寄りかかって壊れる壁ではなかった。でも——葵は何も言わなかった。
「……修理は」
「業者は来週だ」
葵は少し間を置いてから、オリビアを見た。
「あの……オリビア先生、僕の家庭教師をしてくださることになっていると思うんですが」
「……はい」
「この壁、しばらくそのままにしておきませんか。家庭教師をするのにも、丁度いいと思うので」
オリビアはしばらく葵を見ていた。頬がまた赤くなった。
「……そう、ですね」
小さくうなずいた。眼鏡を押し上げた。
葵はアーデルを見た。
「……アーデル先生、大丈夫でしょうか」
「問題ない」
それだけだった。
アーデルは穴を見た。それから葵を見た。
「今日の訓練はここまでにしておく」
「……はい」
アーデルは机に向かって書類を広げ始めた。




