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第5話 魔法と演算

四日目、午前中は数学と言語・リンガの授業だった。


数学は魔力の出力値を計算式で表す内容で、葵は途中まで普通についていけたが、後半の魔法陣の数値変換あたりから少し置いていかれた。言語・リンガはラテン語の基礎で、詠唱文に使われる単語の意味を一つひとつ確認していく地道な作業だった。


——スクトゥム・ルクス。光よ、我が前に立て。


葵は教本の余白にそっとメモした。言葉の意味を知ると、詠唱が少し違って感じられる気がした。


――――――――――――――――――


午後三限は魔法工学だった。


教室に入ると、黒板の前に魔法工学担当のリースが立っていた。


長身。スーツをきちんと着ているが、両袖だけがまくれている。無表情に近い顔立ちで、でも目だけが——なんとなく、少し笑っているように見えた。


全員が席に着くのを待って、リースが口を開いた。


「改めて、リース・オルタだ。こっちがオルタ」


リースが軽く手を向けると、黒板の隣のパネルに青白い光が灯った。AIだ。人の形をぼんやりと模した光の輪郭が、静かに揺れている。


「よろしくお願いします」


オルタが言った。声は穏やかで、どこか柔らかかった。


「今日は一つ、問いから始める」


リースは黒板に二つの図を並べた。左は魔法陣。右はコードの断片のような、記号と数字の羅列。


「魔法陣とAIの演算処理。何が違うと思う?」


教室がしばらく静かになった。誰かが「構造?」と呟いた。別の誰かが「魔力があるかないか」と言った。


リースは特に反応しなかった。


「どちらも、意図を形にして現実に作用させる技術だ。魔法陣は術者の意図を図形と記号で構造化する。AIの演算はコードとアルゴリズムで構造化する。原理は同じだ」


葵はその言葉を聞いて、少し考えた。


——意図を形にして、現実に作用させる。


「詠唱も同じだ」とリースは続けた。「言葉によって意図を構造化し、魔力の流れに方向を与える。だから詠唱なしで魔法を発動するのは難しい——構造化の補助がない分、術者が自分の内側だけで意図を完結させなければならない」


葵の手が、ノートの上で止まった。


——詠唱なしで、意図を完結させる。


自分がやっていることを、そう言葉にされると、なんとなく腑に落ちるような、でもまだわからないような——そういう感覚だった。


――――――――――――――――――


授業が終わり、生徒たちが教室を出始めた。


葵はしばらく席に座ったまま、ノートを眺めた。


——聞いてみようか。


胸元でライラが、温かく揺れた。背中を押すような気配だった。


葵は立ち上がり、片付けをしているリースの元へ歩いた。


「あの、少しいいですか」


リースは顔を上げた。目が、わずかに動いた。


「何だ」


「詠唱なしで魔法を発動できたんですが——これはどういうことなんでしょうか」


リースは少し間を置いた。


「初級か」


「いえ……上級まで」


また間があった。今度は少し長かった。


「上級を、詠唱なしで」


「はい」


リースはパネルに何かを書き込んでから、葵を見た。表情は変わらない。でも目の奥が——さっきより少しだけ、笑っているように見えた。


「熟練者なら初級は詠唱なしで出せる者がいる。

 中級も、稀に。でも上級を詠唱なしで——入学したての一年生では、聞いたことがないな」


葵は何も言わなかった。


「いつからできたのか」


「……最初から、です。練習で初めて魔法を使ったときに、詠唱なしでも出ました」


リースはもう一度パネルに何かを書き込んだ。それから、特に驚いた様子もなく言った。


「わかった。教えてくれてありがとう」


それだけだった。


葵は少し拍子抜けした。もっと何か言われると思っていた。でもリースはすでに視線をパネルに戻していた。


「あの……何か、おかしいんでしょうか」


リースは少し考えてから答えた。


「おかしい、というより——珍しい。それだけだ」


その言葉が、褒めているのか、それとも別の何かを含んでいるのか、葵にはわからなかった。


「ありがとうございました」


葵は頭を下げて、教室を出た。


廊下に出ると、颯が壁にもたれて待っていた。


「何してたの? 先生に質問?」


「うん、少し」


「どんな?」


「魔法のこと」


「ふーん」


颯はそれ以上聞かなかった。二人で廊下を歩き始めると、茜が角から現れた。いつものように、何も言わずに葵の隣に並んだ。


葵はそっと胸元に手を当てた。


ライラの温かさが、手のひらに静かに宿っていた。


——ふと、教室の窓が脳裏をよぎった。


葵が廊下に出た後も、リースの部屋には灯りがついていた。


パネルの前に座ったまま、何かを書き留めていた。


「珍しい、それだけだ」と言ったあの声が、どこか平坦すぎた気がした。


驚いていなかった。最初から、知っていたかのように。


気のせいかもしれない。


でも——ライラは、何も言わなかった。

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