第2話 仮クラスの空気
仮クラスの最初の授業は、基礎魔法の座学だった。
担当は三十代ほどの女性教師だった。切り揃えられた黒髪。静かな佇まい。名前はアーデル・クライン。
切れ長の目が教室をゆっくりと見渡した。何かを確認するような目だった。
「まず確認する。ここにいる全員が、何らかの魔法適性を持っていると判定された。だが適性があることと、使えることは別だ。これからの一ヶ月で、君たちには基礎を叩き込む」
淡々とした口調だったが、話の一つひとつに重みがあった。
「契約神魔を持っている者、アピールしたければ今言え。黙っていたいなら黙っていていい」
教室がざわついた。
契約神魔。神・悪魔・妖精・魔獣。異界の存在と契約を結んだ相手のことだ。術者に力を貸し、魔法を強化する。人間が一生に契約できるのは、一体だけ。
現代において、その使い手は最大の戦力だった。核も爆撃機も、彼らの前では意味をなさない。世界中のスカウトが、常にこの学校に目を光らせている。
アーデルが、教室を見渡した。
手を挙げる者、迷ってから挙げる者、じっと黙っている者。教室の半数ほどが手を挙げた。
葵も挙げた。隠す理由がなかった。
一人ひとりが告げていく。
炎の精霊。水の龍。土の魔獣。風の式神。雷の獣。
古い言葉も混ざった。誰かが祖父から受け継いだ呼び名。誰かの一族が代々契約してきた古い名。
どこかの神話で語られたものたちが、教室の空気の中に、ひとつずつ名前を置いていった。
葵の頭の中で、ライラの声がした。
「申告しない方がいい」
(なんで?)
ライラは黙った。
(ライラ?)
「……」
(なんで?)
隣の生徒が申告を終えた。
教室に、一瞬の静けさが落ちた。葵はまだ手を挙げたままだった。
最初は一人。次に二人。視線が、葵に集まってきた。誰かが小さく首を傾げ、隣の生徒がちらりとこちらを見た。
「……妖精、ピクシーです」
空気が、わずかに動いた。
葵の頭の中で、ライラが言った。
「ほら」
胸元でライラが、ぴりっと揺れた。
申告しない者も、何人かいた。颯も茜も手を挙げなかった。
アーデルが教室を出るとき、葵の方をほんの一瞬だけ見た。
その目が、何かを知っているような色をしていた。
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午後のオリエンテーションが終わった。
廊下に出ると、外が騒がしかった。
窓の向こう、校舎の中庭の方角から何かが聞こえてくる。音楽というより、音の塊だった。
オーケストラと電子音が混ざり合い、魔法で増幅されて、壁越しでも腹に響いてきた。
「なんだ、あれ」
颯が窓に近づいた。
空に、巨大なホログラムが展開されていた。
渦を巻く星と魔法陣が夜空を模して広がり、その中心から何かが降りてくる。反重力のプラットフォームだった。
乗っているのは女子生徒だろうか。角度によって虹色に変わるドレスを纏い、周囲に小型のドローンが何十体も飛び回って、花びらと光の粒子を撒き散らしていた。
「歓迎パレードか」
颯が言った。
「すごいな。お金かかってそう」
廊下にいた他の新入生たちが、ざわめきながら窓に集まってきた。
誰かが「見に行こう」と言い、数人が走り出した。
葵も窓の外を見た。
行列が通る地面から光の花が一斉に咲き、踏まれるたびに色が爆発するように変わっていく。空ではレーザーと本物の火の鳥が交錯していた。召喚されたフェニックスが炎の軌跡を描きながら、ホログラムのコーラス隊と絡み合うように飛んでいる。金色の粒子が、シャンパンのように空から降り注いでいた。
光は、贅沢に降っていた。
ひとひらの粒子の中にも、誰かが膨大な魔力を込めたのだろうと、葵は思った。
それが惜しげもなく、空に撒かれていた。
綺麗だな、と思った。
それから、少しだけ眩しいな、とも思った。
「見に行く?」
颯が振り返った。
葵は中庭の方向に目をやった。
すでに人が集まっているのが遠くからでも分かる。新入生だけではない。歓声が重なり合い、廊下まで熱気が伝わってきた。
見ようかと思った。一瞬だけ。
でも、あの人の中に入って、押されながら、上を見上げて。
「帰る」
葵は歩き出した。
「え、もう?」
颯の声が後を追ってくる。
「あの先輩さ、生徒会長じゃないかな。めちゃくちゃ綺麗だったし、せっかくだから」
「颯は行けばいいよ」
「……いや、まあ。お前が帰るなら俺も帰るけど」
少し間があった。
「惜しいとは思わないの」
颯が言った。責めているわけではなかった。ただ、純粋に不思議そうだった。
葵は少し考えた。
「思わない、かな」
「なんで」
「あそこに行っても、たぶん疲れるだけだから。あと、前に颯と行ったお祭りの時、人混みで後悔してたよね?」
颯は黙った。
「……まあ、確かに」
颯はそう言って、葵の隣に並んだ。
合流した茜を含め、三人で廊下を歩いた。窓の向こうでは、まだ音楽が続いていた。クライマックスに向かっているらしく、さっきより音が大きい。空が虹色に染まっていくのが、窓から見えた。
学校全体を包む光のバリアだった。新入生全員への、歓迎の祝福らしい。
「運が良くなるやつだって」
颯が言った。
「同じクラスのやつが教えてくれた。今日一日だけだけど」
「へえ」
「受けてよかったのかな、俺たち」
葵は窓の外を一度だけ見た。虹色の光が、少しずつ薄れていくところだった。
「……いいんじゃないかな」
廊下の角を曲がったとき、小さな機械が飛んできた。
手のひらほどの大きさのドローンだった。三台。それぞれが葵、颯、茜の前で止まり、表面のパネルが光った。
「ようこそ、小春葵さん。あなたの適性属性は——光です」
合成音声だった。葵のドローンが光の粒子を一瞬散らして、静かに飛び去っていく。
「夏目颯さん。あなたの適性属性は——風です」
「おお」
颯が声を上げた。
「かっこいいじゃん、風」
最後に、茜のドローンが光った。
「夕凪茜さん。あなたの適性属性は——光です」
茜がこちらを向いた。
「お揃い」
葵を見て、少し笑った。
葵は茜を見た。何か感じた。名前は分からなかった。
「そうだね」
颯が二人を交互に見て、口を尖らせた。
「俺だけ違うじゃないか」
「風も悪くないよ」
葵は言った。
「そりゃそうだけど。なんか、二人だけ仲良さそうで悔しい」
茜は颯をちらりと見て、また前を向いた。
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「今日、どうだった?」
「普通……だったよ」
茜は前を向いたまま、それだけ言った。
颯が口を開いた。
「俺、昼休みに隣のやつと話しててさ。そいつ契約神魔が氷の精霊なんだって。握手したら手がひんやりして、思わずびびった」
「そっちが挨拶したんでしょ」
「まあな。でも、話しかけてみて初めてわかることってあるよな」
葵は少し考えた。そうかもしれない、と思った。
三人でモノレールに乗り、丘を下りた。
車窓から、アルカディアの街が夕暮れの橙に染まっていくのが見えた。窓の向こうで、まだ花火が続いていた。音はもう聞こえなかった。光だけが、遠くで静かに広がっていた。
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部屋に戻った。
ライラが胸元から出てきた。葵のベッドの端に腰を下ろして、膝を抱えた。
「ねえ、ライラ」
「なに」
「人前で喋らないのも、そういう理由?」
「うん」
「僕は気にしないよ。人にどう思われたって、ライラが大切。妖精なら分かるでしょ?」
「分かる」
ライラは少し間を置いた。
「でも、葵が傷つくのはイヤ」
「なんで僕が傷つくの」
「私を心配して傷つく」
葵は少し黙った。
ライラは、僕のことを心配してくれているのか、と葵は思った。
それが、嬉しかった。
同時に、少し申し訳なくもあった。
ライラに、そんなふうに気を遣わせていることが。
「……そっか」
ライラは何も言わなかった。膝を抱えたまま、葵を見ていた。目を逸らさなかった。
葵もそれ以上は聞かなかった。




