第25話 銃の手入れ
土曜日の午後。
Sクラスへの正式配属が決まってから、最初の週末だった。
突き当たりの扉に「鍛冶研究部」の板。端に手書きで「最強の武器を作る」の文字。
葵はそれを見てから、扉を叩いた。
「どうぞ」
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部室に入ると、アリアはいつもの作業台にいた。
エプロン。金色の髪を一つに束ねている。細い工具を持って、何かの刀身の刻印を確認していた。葵が入ってきても、すぐには顔を上げなかった。手元の作業を一区切りつけてから、ゆっくりと視線を向けた。
「来たの」
「はい。また来てと言っていただいたので」
「うん」
アリアは立ち上がって、棚の方へ歩いた。いくつかの道具を取り出す。砥石、油の入った小さな瓶、細いブラシ、柔らかそうな布。それを作業台の上に並べた。
「短剣、出して」
葵は鞄からクラウ・ソラス・レプリカを取り出した。
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アリアは短剣を手に取り、刃を光の当たる角度に向けた。
「前回から一週間弱。実戦で使ったって聞いた」
葵は少し間を置いた。演習のことは広まっていた。傭兵の件も、一部には。
「そうですか」
アリアは刃を目の高さに保ったまま、少しだけ角度を変えた。光の当たり方が変わるたびに、刃の表面の細かい状態が浮かび上がってくる。
「刃に細かい傷が入ってる。傭兵の防護膜を貫いたとき、魔力の干渉を受けた」
「……気づいていませんでした」
「見ても分からないくらい細かい。でも」
アリアは葵に刃の側面を向けた。
「ここ。光を当てると、うっすら筋が見える」
言われて初めて、葵にも見えた。細い、ほとんど線と呼べないような傷が、刃の中ほどに数本走っていた。
「こういう傷は放置すると、魔力の通り道が歪む。術式の精度が落ちる。今はまだ気にならない程度だけど」
「そうなんですか」
「そのために手入れがある」
アリアは短剣を作業台に置いた。砥石に油を少量垂らし、なじませてから刃を当てた。
「見てて」
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静かな音が、部室に溶けていった。
砥石に対する刃の角度、力の入れ具合、一方向に動かすこと——アリアの動作は無駄がなく、見ているだけで手順が頭に入ってくるような動き方だった。刃の片面を終えると、裏返して同じことをする。
「角度は一定に保つ。変えると均一に研げない」
「はい」
「この短剣は光属性向けの魔法陣が刻まれてる。刃を研いだ後は、魔法陣の溝を細いブラシで掃う。削りかすが詰まると魔力の流れが悪くなる」
アリアはブラシを取り、刃の側面の細かい溝を一本ずつ掃った。丁寧で、速かった。
「最後に布で拭く。油分を残さない。光属性の武器は清潔に保った方が同調しやすい」
布で刃を拭うと、短剣が少し輝いて見えた。気のせいかもしれない。でも葵には、さっきより刃が「整った」感じがした。
「今度は自分でやってみて」
アリアが砥石を葵の前に置いた。
「構えて」
葵は短剣を持った。砥石に当てようとして——すぐに止まった。
「角度がわからないです」
「そう」
アリアは葵の手の上に自分の手を添えた。刃の角度を、わずかに調整する。
「ここ。感覚で覚えて」
「……はい」
「動かして」
葵は砥石の上で刃を動かした。さっきアリアがやっていた方向に、同じように。
「力が強い。もう少し抜いて」
葵は力を緩めた。
「そこ。その重さで」
音が変わった。さっきアリアがやっていたときと、同じ音になった。
「わかった?」
「……たぶん」
「たぶん、は困る」
「感覚はつかめた気がします。でも一人でやって同じにできるかは、まだわからないです」
「正直でいい」
アリアは手を引いた。葵が数回繰り返すのを、黙って見ていた。途中で一度だけ「もう少し前に動かす」と言った。それ以外は何も言わなかった。
一通り終わると、アリアはブラシと布の使い方も葵にやらせた。溝の掃い方、拭き取りの方向。間違えると短く「逆」「もっと細かく」と言って、手を添えて直した。
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短剣の作業がすべて終わると、アリアは短剣を葵に返した。
葵は刃を光に当ててみた。さっき見えていた細い筋が、消えていた。
「きれいになった」
「当然」
アリアはすでに次の道具を出していた。銃のケースを取り出した。葵が持参したのではない——アリアが棚から出してきた。前回葵に渡した試供品と、同じ型の銃だった。
「今度は拳銃の方」
「……先輩のものですか」
「同じ型の別の個体。手元に置いてある」
アリアはケースを開けた。安全装置を確認してマガジンを外す。
「前回、手入れは次にと言った。今日が次」
「はい」
「細いブラシで銃身の内部を掃う。魔力弾を通すと、内部の魔法陣に負荷がかかる。使えばそれだけ消耗する」
「どのくらいで交換が必要になりますか」
「連続で百発以上撃てば、石の補充が必要になる。それ以外は五十時間撃ち続けても問題ない設計になってる」
「かなり丈夫なんですね」
「私が作ったから」
そう言って、アリアは手を止めた。葵の方を見た。
「座って」
「……どこに」
アリアはすでに椅子に腰を下ろしていた。前と同じ椅子。前と同じ、落ち着いた顔をしていた。
「ここ」
膝の上、を示している。
葵は一瞬だけ間を置いた。
「……先輩、これはいつもそうやって教えているんですか」
アリアは少し考えるような間を置いてから、答えた。
「いつも、ではない」
「では、なぜ」
「あなたが小さいから」
葵は返す言葉が一瞬なくなった。
「……小さいから、教えやすいということですか」
「銃を持った構えを横から確認するより、後ろから見た方が正確。それに」
アリアは少し間を置いた。
「動かなければ説明しやすい」
それ以上は言わなかった。
葵はライラの気配を確かめた。ライラは何も言わなかった。ただ、少し温かかった。
葵はアリアの膝の上に腰を下ろした。
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アリアの腕が両側から伸びてきた。
前と同じだった。でも今日は手入れの動作を一つひとつ、葵の手を使いながら確認していく。ブラシの持ち方、銃身内部の拭き方、魔法陣の状態をどこで確認するか。
「石が曇ってきたら交換のサイン。今はまだきれいだから大丈夫」
「この石は、どこで手に入るんですか」
「鍛冶部の在庫がある。次に曇ってきたら言って」
「……ありがとうございます」
アリアはそれには答えなかった。そのまま次の動作へ移った。
マガジンの脱着、実弾と魔力弾の切り替えのときに意識する感覚、グリップの磨き方——一通りやり終えると、アリアは葵を膝から下ろした。
葵が立ち上がると、アリアはいつもの作業台に戻る。
「わかった?」
「はい。短剣も銃も、今日は全部わかりました」
「短剣の手入れは毎回、実戦で使ったあとにやること。銃は石の状態を週に一度確認する」
「わかりました」
「一人でやってみて、わからなかったら来て」
「はい」
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帰り支度をしていると、アリアがふと言った。
「颯とかいう子、知り合い?」
葵は少し驚いて振り返った。
「はい、幼馴染です。……来ましたか?」
「昨日」
「……なんと」
「鍛冶に興味があるって言ってた」
葵は颯の顔を思い浮かべた。
「嘘っぽかったから帰した」
「……そうですか」
「本当に興味があるなら来ていい、とは伝えた。でもたぶん来ない」
アリアは手元の作業を再開しながら、淡々と続けた。感情はない。ただ事実を述べている顔だった。
「あいつ、なんで来たんだと思う」
「……察しがつきます」
「そう」
アリアはそれ以上聞かなかった。葵も説明しなかった。
「また来て」
「はい。来週また来ます」
葵は扉の方へ向かった。
「小春」
「はい」
「演習のとき、手のひら切っていた。もう治ってる?」
葵は右手を見た。傷はもう消えていた。
「知り合いが手当てしてくれたので。治っています」
アリアはそれを聞いて、一瞬だけ葵の方を見た。それから手元の作業に戻った。
「そう」
それだけだった。
葵は部室を出た。廊下は少し暗くなっていた。
胸元でライラが、温かくなった。
「なんか、良い先輩だね」
「うん、そうだね」
「膝の上は、どうだった」
「……何を聞いているの、ライラ」
ライラはくすりと笑う気配を返した。葵はそれ以上答えなかった。
階段を上がりながら、端末を開いた。颯からすでにメッセージが来ていた。
颯:昨日鍛冶部行ったんだけど帰されたんだがどういうこと
葵:知ってる
颯:知ってんのかよ!!!
颯:先輩に話した?
葵:してない 先輩から聞いた
少し間があった。
颯:……先輩俺のこと覚えてるんだ
葵:帰したって言ってたから覚えてると思う
颯:でも覚えてる!!!
颯:明日また行っていい?
葵:やめたほうがいいと思う
颯:なんで
葵:本当に興味があるなら来ていい、って言ってたから
少し長い間があった。
颯:……それって本当に興味持ってから来い、ってこと?
葵:たぶん
また間があった。
颯:葵は本当に行くの
葵:行く 来週も手入れを教わる
颯:マジか
颯:俺も鍛冶のこと勉強してから行く
葵は端末をしまいながら、少しだけ笑った。颯が本当に勉強するかどうかは分からなかった。




