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第23話 クラス分け演習

 演習場は、校舎の南側にある砂地の広場だった。


 打ち込み台が並ぶ普段の練習場より広い。四方に観覧用の段差が設けられていて、上級生や教師が見下ろせるようになっている。空は薄い青で、朝の風がまだ少し冷たかった。


 仮クラスの生徒が全員、広場の端に並んでいた。颯が隣にいた。茜はその少し後ろだった。


「緊張する?」と颯が言った。


「少し」と葵は答えた。


 嘘ではなかった。昨夜アーデルが言った通り、緊張はそこにあった。でも体の奥は——不思議なほど、静かだった。


 ライラが胸元でほんのりと温かかった。


――――――――――――――――――――


 観覧席に、いつもより多くの人間がいた。


 教師陣の顔が並んでいる。アーデルが端に座っていた。ハルトマンはその隣で腕を組んでいた。リースが——少し離れた場所に立っていた。段差の上ではなく、広場に面した壁際に、どこか人目を避けるように。


 葵はリースの位置に気づいた。


 リースの肩の近くに、薄い青白い光がわずかに揺れていた。


 ——オルタ。


 授業のときはパネルの中にいる。でも今は、ここにも連れてきている。


 葵は視線を前に戻した。


 観覧席の上の方に、見慣れない顔があった。三年生だ。


 腕を組んで広場を見下ろしている女子がいた。艶やかなストレートの長い黒髪。切れ長の目に、知性と余裕が混ざったような視線だった。その隣に、プラチナブロンドの小柄な女子が座っている。氷のような青い目が、静かに広場を見ていた。段差の端には、黒髪を一つに結んだ凛々しい顔立ちの女子が立っていた。腕を組んでいなかったが、背筋が真っ直ぐで、どこか剣を持っているときと同じ空気があった。


 その少し手前の段差に、カヴィヤとアリアがいた。カヴィヤは葵と目が合うと、小さく手を振った。アリアはその隣で腕を組んだまま、広場だけを見ていた。


 三年生がクラス分け演習を見に来ることは、そう多くない。


――――――――――――――――――――


 演習の形式はシンプルだった。一対一の模擬戦。勝敗だけでなく、判断力・契約神魔との連携・戦略性が総合評価される。


 名前が呼ばれるたびに、生徒が広場の中央に出た。


 葵は自分の番を待ちながら、他の生徒の戦いを見ていた。颯が呼ばれたのは、葵より前だった。颯の相手は背の高い男子で、魔法主体の戦い方をする生徒だった。颯は身軽に動き回って距離を詰め、最後は相手の魔法が収束する瞬間を狙って懐に入った。勝った。判定はAクラス相当と出た。


 颯が戻ってきたとき、「やった」と笑った。葵は「おめでとう」と言った。


 茜の番は静かだった。相手は女子の上位生徒で、風属性の使い手だった。茜は最初から最後まで回復魔法しか使わなかった。でも相手の攻撃を受け流す動きは——葵の目には、どこか必要以上に抑えているように見えた。結果はBクラス相当だった。


 茜は広場から戻ってきて、葵の隣に並んだ。何も言わなかった。葵も何も聞かなかった。


――――――――――――――――――――


「小春葵」


 名前が呼ばれた。


 葵は広場の中央に出た。


 対戦相手が、反対側から歩いてきた。


 背が高かった。葵より頭一つ以上大きい。体格がいい。制服の上から着た戦闘服は企業製で、家名の紋章が胸に入っていた。ゴールドのネクタイ。Sクラスだ。


 葵は少し、足を止めた。


 ——Sクラスの生徒が、なぜここにいるのか。


 演習はクラスごとの抽選のはずだった。Sクラスと仮クラスが当たることは、通常ありえない。


 観覧席の端に、見慣れた顔があった。Sクラスで先行聴講しているコネ組の一人だった。明るいブラウンの髪をきれいに横に流した、細身で姿勢のいい男子だった。整った顔立ちをしているが、葵が広場に出た瞬間から口元に薄い笑みを浮かべていた。隣の男子も、同じように笑っていた。葵と対戦相手の顔を交互に見て——楽しんでいる顔だった。


 葵には意味がわかった。


 抽選は、弄られていた。


 対戦相手——エリックは、広場の中央に来ても表情を変えなかった。葵を見た。一瞬だけ、目が止まった。


「小春葵か」


「はい」


「知っている。契約神魔は、ピクシーだな」


 エリックは静かに言った。事実を確認するような、淡々とした口調だった。


「……はい」


「私はエリックだ。対戦相手の契約神魔の情報を事前に知っておいて、お前が知らない状態で戦うのは——正々堂々とは言えない」


 エリックは葵の目を見た。


「私の契約神魔はケルベロスだ。知った上で来い」


 葵は少し間を置いた。


「……ありがとうございます」


「礼はいい」


 エリックは装備を外し始めた。魔法増幅の企業製装甲、家名入りの戦闘服。一つひとつ、丁寧に外して脇に置いた。


 コネ組たちの笑みが、少し固まった気がした。


 エリックは演習場に備え付けの大斧を手に取った。


「正々堂々やろう。お前の武器はそのままでいい」


 葵はクラウ・ソラス・レプリカを見た。それから、演習場に並んでいるロングソードに目をやった。


「……ロングソードを借ります」


 エリックは少し間を置いてから、口の端を上げた。


「好きにしろ」


――――――――――――――――――――


 審判のアーデルが、開始の合図を出した。


 エリックが動いた。


 速かった。大柄なのに、足が軽い。大斧を低く構えて、最初の一撃を真横に薙いだ。


 葵はロングソードで受けた——受けた瞬間、腕に衝撃が走った。力が違う。押し切られる前にロングソードを滑らせて、エリックの腕の外に出た。


 距離を取った。


 エリックが今度は縦に振り下ろした。葵は横に飛んで外した。砂が跳んだ。


 ——速い。そして重い。真正面からは受けられない。


 葵はライラに魔力を流した。足に、速度の強化。踏み込みが速くなった。


 エリックの脇に入ろうとした。エリックが半歩引いて対応した。


 ——読んでいる。


 二人は何合か打ち合った。葵が踏み込めば、エリックが退く。エリックが押せば、葵が流す。どちらも決め手がなかった。


 観覧席が静かになっていた。


――――――――――――――――――――


 膠着が数十秒続いたとき、エリックが動きを変えた。


 大斧を高く上げた——フォム・タークに近い体勢。葵はその軌道を読んで、ロングソードを構えた。


 上から来る。受ける体勢を取った。


 大斧が振り下ろされた。


 葵のロングソードに当たった。


 ——折れた。


 金属が高い音を立てた。ロングソードが中ほどから断ち切られた。


 観覧席から息を呑む声がした。


 エリックがわずかに笑った。


 その瞬間——葵は動いていた。


 折れたロングソードの切っ先が、砂の上に落ちた。葵はそれを素手で拾った。右の手のひらが切れた。血が出た。でも手を止めなかった。


 ライラが手のひらを包む光を強めた——金属の刃に触れても耐えられる、あの強化。


 葵はエリックに向かって踏み込んだ。


 エリックが大斧を横に振った。葵は屈んで潜り抜け、切っ先をエリックの大斧の柄に叩きつけた。一度、二度、三度——精度を上げて、同じ場所を打ち続けた。


 大斧の柄が、亀裂を入れた。


 エリックが力を込めた——その瞬間、柄が砕けた。大斧の頭が砂に落ちた。


 広場が、静かになった。


――――――――――――――――――――


 エリックは落ちた大斧を見た。それから葵を見た。


「……剣の腕は互角のようだな」


 エリックが言った。声に、感情が乗っていた。怒りではなかった。


「だが——契約神魔は、どうかな」


 エリックが右手を上げた。


 闇の気配が広がった。


 影が実体を持った。黒い獣が、砂の上に顕現した。三つの頭を持つ大きな犬——ケルベロスだった。三つの頭がそれぞれ別の方向を向いて、低い声で唸っていた。


 ケルベロスの一頭が、葵の胸元に向かって動いた。


 ライラが出てきた瞬間だった。


「ライラ——」


 間に合わなかった。


 ケルベロスの顎が、ライラを捕らえた。力で押さえ込む形だった。ライラが身をよじったが、動けなかった。


「——っ」


 葵の体が、ライラの方に向いた。思考より先に、体が動いた。


 その瞬間、別の二頭が葵に巻きついた。闇の拘束だった。腕と体を締め付けた。


 葵は動けなくなった。


「降参しろ」


 エリックが静かに言った。「契約神魔を傷つけるつもりはない。だが、このままでは君も神魔も動けない」


 葵は拘束されたまま、ライラを見た。


 ライラが葵を見ていた。怖いとは言わなかった。ただ——光を揺らした。葵にだけわかる揺れ方で。


 ——大丈夫。


 葵は少し間を置いた。


 右の手のひらから血が出ていた。さっき切った傷だった。


 葵は、その血を見た。


 ——思い出す。八歳のときのことを。ライラと初めて契約した、あの形を。


 今も、覚えていた。


 拘束された腕の中で、指を動かした。砂の上に、血で線を引いた。右の手のひらから滲んだ血が、細い線になった。形を引いた。簡単な形だった。でも葵には、その意味がわかっていた。


 ライラとの契約のとき——最初に引いた、あの魔法陣だった。


――――――――――――――――――――


 砂の上の線が、光った。


 エリックが気づいた。


「なに——」


 光の中から、小さな影が現れた。


 ピクシーだった。


 ライラではない。別の、葵の知らない顔のピクシーだった。水色の翼、短い白い髪、緑の目——ライラより少し小さい。でも、光の粒のような気配は同じだった。


 そのピクシーが、エリックの足元に光の弾を叩きつけた。


 エリックが体勢を崩した。


 拘束が、わずかに緩んだ。


 葵は腕を引いた。


 ケルベロスの顎からライラが飛び出た。


 葵の胸元に、ライラが戻ってきた。


 葵はエリックの正面に立った。切っ先を向けた。


 エリックは体勢を立て直そうとして——止めた。


 葵の目を見た。


 しばらく、二人は動かなかった。


 エリックが、ゆっくりと両手を上げた。


「……負けだ」


 審判のアーデルが、静かに言った。


「小春葵の勝利」


――――――――――――――――――――


 広場が、しばらく静かなままだった。


 それから、何人かが声を上げた。観覧席がざわめいた。


「待ってください」


 声がした。観覧席の端から、さっきの男子生徒が立ち上がっていた。金色の装飾が多い戦闘服。横流しの明るいブラウンの髪。口元の笑みは、もう消えていた。


「あれは不正ではないですか。二体目の神魔が出てきた。人間は神魔と一生に一体しか契約できない。それを破ったなら——」


「黙れ」


 ハルトマンが言った。低い声だった。静かだったが、広場全体に響いた。


「演習前に身体検査を行った。魔力の流れも、契約神魔の数も、全員確認済みだ。不正の余地はない」


「でも——」


「私の言葉が聞こえなかったか」


 コネ組の生徒は黙った。


 ハルトマンは葵を見た。それから前を向いた。それだけだった。


――――――――――――――――――――


 エリックが葵の前に来た。


「驚いた」とエリックが言った。「二体目が出てくるとは思わなかった」


「……僕も、できると思っていなかった」


「嘘をつくな」


「本当です」


 エリックはしばらく葵の顔を見た。それから、少し笑った。


「お前は——生涯で二番目のライバルだ」


「一番目は誰ですか」


「昔の話だ」


 エリックはそれだけ言って、装備を拾いに行った。


――――――――――――――――――――


 演習の後、全員の結果が出された。


 颯はAクラス。茜はBクラス。リオはBクラス。そして——


「小春葵。測定不能につき、評価基準外」


 審判の教師がそう読み上げた。


 しばらく、広場が静かになった。


 学園長が、観覧席の中央に座っていた。小柄な老人。皺の刻まれた顔に、深い何かが滲んでいた。


 学園長が、立ち上がった。


「特例を認める」


 静かな声だったが、よく通った。


「小春葵は本日よりSクラスに正式配属とする」


――――――――――――――――――――


 観覧席がまたざわめいた。


「特例?」「仮クラスからSクラスは聞いたことない」「不当だ」


 その男子が再び立ち上がった。「学園長、それは——」


「異議があれば、私に直接申し出なさい」


 学園長は振り返らなかった。「ただし、今日の演習を見た上での申し出であることを忘れないように」


 コネ組の生徒たちは口を閉じた。


――――――――――――――――――――


 演習が終わり、生徒たちが散り始めた頃、葵は広場の端に立って、ライラと話していた。


「もう一人のピクシー……」


「うん」とライラが言った。「呼ばれた」


「ライラが?」


「葵が呼んだ。あの魔法陣で」


「知ってた? あれで呼べるって」


「……なんとなく」


 ライラは少し間を置いた。


「でも葵が一人でやった。私は何も教えてない」


 葵はその言葉を聞いて、しばらく黙った。


 ——体が知っていた。また。


――――――――――――――――――――


 観覧席の壁際に、リースがまだ立っていた。


 演習が終わっても、帰らなかった。砂地になった広場を見ていた。葵が目を向けると、リースはこちらを見た。


 目が合った。


 リースは何も言わなかった。


 でも——口の端が、少しだけ上がった気がした。


 肩の近くに、青白い光がわずかに揺れていた。


 ライラが胸元で、静かに光を強めた。


 ——悪意は、ない。


 でも。


 葵は視線を外して、広場を後にした。


 金色のネクタイが、鞄の中にある。


 今日から、Sクラスだ。

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