第205話 増え続ける灯り
渡り廊下は暖かく、ガラスの向こうで雪が細かく流れていた。同じ形の棟が奥まで並んで、敷地の果ては分からなかった。
「まずは、端末の棟へ」
ヤンが先頭を歩いた。三十人の列は長く伸びて、話し声はどこにもなかった。
最初に通されたのは、組立の区画ではなかった。廊下の片側が厚いガラスになっていて、向こうは白い部屋だった。台の上に、黒い端末が何百と並んでいる。
一番手前の端末が、起動した。
細い光が走り、部屋の奥の標的を焼いた。隣が続き、その隣も続いた。端から端へ、順番に光は走っていく。音は厚いガラスに吸われ、届くのは足元のかすかな震えだけだった。
部屋の中に、人は一人もいなかった。
「出荷前の試射です。全数、行います」
係の男が事務の高さで言った。撃っているのはAIで、確かめているのもAIだという。見ているのは、今日の見学者だけだった。
「当社の端末は、まず武器です」
ヤンが振り返った。
「2045年に市民へお配りしたのも、武器でした。いまも、同じです」
誇る声だった。誰も驚かず、何人かが頷いた。
組立のフロアも、ほとんど無人だった。白いアームが列をなして動き、人は通路に数人立っているだけで、その数人も組み立ててはいなかった。
デモの卓には、完成品が一台置かれていた。
「こちらは軍用の仕様です」
係が端末を手に取った。いま標的を焼いていたものと同じ製品が、小さな火を点した。風を通さない火だという。灰皿の灰を手のひらに載せ、白い砂に変えて散らした。冷めた珈琲を六十度に戻し、温度は一度刻みで選べます、と言った。
側面の金属板を外すと、板は指の間で形を変えて、小さなナイフになった。
「小さな剣ですね」
フィオナが身を乗り出した。この日一番、嬉しそうな声だった。
係がナイフの先を、隣に立つヤンの方へ向けた。刃は音もなく板に戻った。
「この設定では、人に向けては作動しません」
誰も何も言わなかった。
「あの、こちらは、おいくらなのですか」
フィオナが訊いた。
「十万クレドです」
「じゅ、十万……」
フィオナの背筋は、それでも伸びたままだった。ヤンが明るく付け足した。
「市民の皆さまが街でお使いのものは、一千クレドです。昨年は、およそ三百万台をお届けしました」
フィオナが胸に手を当てて、安心したように頷いた。
デモの最後は、照明だった。端末の上に小さな光球が浮かんで、蝋燭ほどの明るさで卓を照らした。停電の夜に手元を照らせます、と係が言った。
白い光は、揺れなかった。列が動き、葵も歩き出した。
隣の棟へは、屋根のある通路で繋がっていた。歩くあいだ、窓はどこにもなかった。
魔導銃の階は、ガラス越しだった。長いラインの上を、銃身が等間隔に流れていく。ここもアームばかりで、人影は奥に二つか三つ、動かなかった。
「年に、およそ五万丁です」
ヤンの声は、ここでも明るかった。
検品の部屋は、その先にあった。長い机に白い手袋と、銃が並んでいる。
「外装と、刻印を見てください。良いものは右へ、そうでないものは左へ」
係が見本を一丁だけ示した。細かい基準は言われなかった。それでも、周りの手は迷いなく動き始めた。
葵は一丁を取った。手袋越しにも、金属は冷たかった。銃口を人のいない方へ向けて外装をあらため、狼の刻印を指でなぞる。どこにも欠けはなかった。右のトレーに置き、次を取った。
部屋には、紙の音も話し声もなかった。金属を置く音だけが、規則正しく続いた。壁際のフィオナは、銃よりも葵の手元を見ていた。
十数丁目で、手が止まった。刻印の狼が、わずかに傾いている。ほかの銃と見比べて、もう一度確かめた。傾いていた。
「これ、刻印がずれています」
係が受け取り、光にかざした。
「よく見つけましたね」
それだけ言って、左の奥の箱に入れた。
「弾かれたものは、どうなるんですか」
「鋳潰して、混ぜます」
葵は頷いて、次の一丁を取った。
作業の終わりに、ロットごとの検品票が回ってきた。番号の下に、検品者の欄がある。葵はペンを受け取り、名前を書いた。小春葵。
頭の中で、ライラの声がした。
「また、名前、書くんだ」
葵は書き終えたペンを、隣へ渡した。
「では、次の棟へ」
ヤンが扉を開けた。
次の棟までは、外を歩いた。
扉を出ると、日が落ちていた。空の端にだけ薄い青が残って、あとは夜の色だった。頬に当たる空気は硬く、吸うと胸の奥まで冷える。吐く息は白く、すぐ後ろへ流れていった。
街の方で、灯りが点き始めていた。一区画ずつ、遠くへ向かって順番に増えていく。
誰も足を止めなかった。列は同じ速さで次の棟へ進み、雪を踏む音だけが揃っていた。
葵の足だけが、半歩遅れた。
灯りはまだ増え続けていた。それを最後まで見た者は、いなかった。
戦闘服の棟では、仕上げの部屋だけを見せられた。
同じ黒い服が、何百と並んでいた。肩の高さも腕の垂れ方も揃っていて、列の奥は暗さに沈んで見えなかった。壁際の棚には、フルフェイスのヘルメットが同じ角度で並んでいる。
「年に、数万着です」
ヤンが列のあいだを歩いた。
「軽くて、暖かくて、丈夫です。着れば、成人の方なら百メートルを十秒台で走れます。悪魔の爪も、一度や二度は止めます」
そこで足を止めて、全員を見た。
「これを着れば、誰でも、守る側に立てます」
誰かが小さく、感心の息を吐いた。
並んだ服の途中に、一箇所だけ、人の立っている気配があった。警備の人だろう、と葵は思い、それきり考えなかった。
フィオナが、一着の前で足を止めていた。
何も言わなかった。手も伸ばさなかった。葵は隣に立って、待った。
列の最後が部屋を出るとき、フィオナは服にもう一度だけ目をやって、歩き出した。
出口でヤンが振り返った。
「明日は、実射試験のお手伝いをお願いします」
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研修棟に戻ると、研修室の卓は朝の形に戻っていた。窓の外はもう夜で、遠くの灯りがガラスに滲んでいた。
ヤンが前に立ち、一日の連絡を短く済ませた。それから、思い出したような高さで続けた。
「今日の一名を、発表します」
部屋が少しだけ静かになった。
「リーヴ」
栗色より暗い髪が、静かに立ち上がった。ヤンが白い封筒を差し出し、リーヴは両手で受け取った。
「ありがとうございます」
驚いた顔も、確かめる素振りもなかった。長さの揃った拍手が起きて、同じ長さで終わった。
「よく頑張りました」
ヤンがリーヴの肩に軽く手を置いた。それから、部屋の全員へ顔を上げた。
「僅差でした。皆さんも、明日からも頑張ってください」
僅差の中身は言われなかった。誰も訊かなかった。
葵は討議を思い返した。リーヴが喋ったのをはっきり思い出せるのは、頁の位置を示した三度と、換算の話くらいだった。目立っていた記憶は、どこにもない。ただ、思い返すと、話の曲がり角にはいつもあの柔らかい声があった気もする。
(目立って、いただろうか。)
数えても、答えは出なかった。
「では、また明日。お疲れさまでした」
参加者が立ち上がり、部屋がほどけていった。葵は席に残って、端末を開いた。リーヴさん。一万クレド。基準は、非公開。
頭の中で、ライラの声がした。
「葵は、知らないのに、書いてる」
葵は端末を閉じて、立ち上がった。




