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第198話 彫刻公園

 ヴィーゲラン彫刻公園は坂を下りて西へ歩いたところにあった。


 門を抜けると、まっすぐな道が奥まで続いている。両側に植えられた木は葉が全部落ちていて、枝の間から低い日が差して道の上に細かい影を落としていた。


 犬を連れた人、乳母車を押している人、走っている人。皆がゆっくり歩いていて、誰も同じ方向へ行こうとしていなかった。


「像がございます」


 フィオナが道の先を指した。


 橋の上に、人の像が並んでいた。どれも裸で大人の背丈より少し小さく、手すりの上に等間隔で置かれていて、一つずつ形が違う。走っているもの、抱き合っているもの、子供を持ち上げているもの。


 葵は一つずつ見ながら歩いた。数えると、橋の端まででも三十を超えていた。


 四隅に大きいものがあった。人にトカゲのようなものが巻きついている。押しのけているのか、抱いているのかが分からない形だった。


 途中に小さいものがあった。子供の像で、片足を上げ、口を開け、片手を握りしめている。


「怒っておられます」


「そうだね」


「なぜでしょう」


「分からない」


 像の左手だけが他より色が薄くなっていて、金色に近い。触られた分だけ磨かれている。


 葵も触ってみた。指の先が冷たかったが、そこだけ滑らかで、他の部分の粗さがない。


「わたくしも、よろしいでしょうか」


「うん」


 フィオナが手を伸ばした。像の手は小さいので、フィオナの掌の方が大きかった。


 橋を渡ると、水の音がした。


 四角い池の真ん中に大きな水盤があり、それを六人が担いでいる。全員が男で、腕を上げ、膝を曲げ、背中を丸めていた。顔は水盤の下に隠れて見えない。


「重そうです」


「うん」


 池の周りを歩くと、木の形をした彫刻が並んでいた。枝の間に人がいる。子供が枝から下がっているもの、若い男女が幹に寄りかかっているもの、老人が根元で丸くなっているもの。


 いちばん端のものには、木しかなかった。


 道が上りになり、段を上がるごとに視界が開けて、いちばん高いところに柱が見えてきた。


 近づくにつれて、それが何でできているのかが分かった。


 人だった。


 柱の表面が全部、人の体で埋まっている。下の方は横たわっているものが多く、その上に別の人が乗って、さらに上へと重なっていた。手が伸び、足が絡み、頭の上に膝が乗っている。それが柱の高さの分だけ続いて、いちばん上に小さいものがあった。


「一つの石でございますか」


「みたいだね」


 台座に出ていた説明には花崗岩の塊を一つ彫ったものだと書いてあり、彫った人の名前とかかった年数が並んでいた。


 葵は下から順に目で追った。


 上へ行くほど体が小さくなる。下の方は大きくて動きが少なく、上の方は細くて手足がよく伸びていた。いちばん上のものは、まだ立てないくらいの大きさだった。


 登っているように見えた。


 同時に、下のものが上のものを持ち上げているようにも見えた。どちらとも取れる形で彫ってあって、どちらだと決められなかった。


 柱の周りにも像が並んでいた。段になった台の上に、二人組や三人組が置いてある。抱き合っているもの、背を向け合っているもの、片方がもう片方を担いでいるもの。


 フィオナが台座の周りを一周してきた。


「向こう側にも、おられます」


「うん」


「全部で、何人でしょう」


 葵は首の角度を変えて数えようとしたが、三十まで数えたところで重なっている部分が分からなくなった。


 日が低くなり、柱の西側だけが橙色になって東側は影に入っている。同じ石なのに、色が二つに分かれていた。


 襟の内側でライラが動いた。外へは出てこない。


「下の人は何してるの?」


 頭の中に声が届いた。


 葵はもう一度、いちばん下を見た。


「支えてるんだと思う」


「なんで?」


 葵は答えられなかった。


 柱の先にもう一つ、輪になったものがあった。


 大人が四人と、子供が三人。手足を繋いで円を作っている。始まりも終わりもなく、どこから見ても切れ目がなかった。


「これは、回っておりますね」


「そうだね」


「どこまで回るのでしょう」


 葵は輪の内側を覗いた。中には何もなかった。


 輪から離れて坂を下りかけたところで、葵は足を止めた。


 道の脇に、もう一つあった。


 狼だった。


 座っている。前脚を揃えて、顔を正面に向けていた。石ではなく金属で、表面が灰色に鈍く光っている。大きさは人の背丈ほどで、台座の上に乗っていた。


 葵は台座を見た。


 何も刻まれていなかった。作った人の名前も、置いた年も、題も出ていない。四角い石の面が、削ったままになっていた。


「葵殿?」


「これ、気になって」


「この街は、狼をよく見ますね」


「うん」


 フィオナは狼の前を通り過ぎていった。


 襟の内側でライラが動いた。


「狼、変」


「変?」


「ここ、人しかいない」


 葵は坂の下を振り返った。


 橋の像も、水盤を担いでいた六人も、木の中にいた人たちも、柱に重なっていたものも、輪になっていたものも、全部が人だった。裸で、名前がなくて、どれも人の形をしていた。


「この子だけ、人じゃない」


「うん」


「なんでいるの」


 葵は答えられなかった。


 狼の前脚に触れると、指を離すまでの間に、指先の熱が全部そこへ移っていった。石の像を触ったときとは違う冷たさだった。


 風が出てきて、地面の落ち葉が動いた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 柱を離れて坂を下りると、木の間から明かりが見えた。


 四角い氷が張ってあった。学校の教室を四つ並べたくらいの広さで、周りを低い柵が囲んでいる。柱の上に立った四本の照明は、まだ日があるのに点いていた。


 氷の上には子供が多く、壁際を掴んで進んでいるものと真ん中を回っているものに分かれていた。


「葵殿」


 フィオナが柵の前で止まっていた。


「あれは、楽しそうですね」


「やったことある?」


「ございません」


「僕もないんだ」


 小屋で靴を借りると、番号の振られた棚から二足出てきた。刃に薄く油が引いてある。


 紐を締めると足首から先が一つの塊になった。立ち上がったところで床の上を刃が鳴って、二人とも壁に手をついた。


「まだ、氷ではありません」


「そうだね」


 氷の上へ出ると、足の裏が急に軽くなった。踏んでも進まず、押しても止まらないので葵は柵を掴んだ。


 隣でフィオナが片足を前に出し、そのまま体ごと横へ流れた。柵を掴んだ手が滑って、掴み直す。


「難しいです」


「うん」


 しばらく二人で柵に沿って進んだが、手を離すと止まらないので離せなかった。


 十分ほどして、フィオナの動きが変わった。


 それまでは足で前へ行こうとしていたのが、体の重さを片方へ乗せて流れるようになっている。柵から手が離れ、離れたまま三度ほど蹴って進んだ。


「葵殿」


 戻ってくるときに止まれず、柵に胸から当たった。


「止まるのが、難しいです」


 葵も柵から手を離した。


 体重を右へ乗せると右へ行き、左へ乗せると左へ行く。それだけのことだと分かってから、進むのは早かった。膝を少し曲げておくと氷の上の細かい凹凸が膝で消える。


 一周して戻ると、フィオナが両手を上げた。


「速いです」


「フィオナさんも速いよ」


「わたくしは、止まれません」


「僕も」


 二人でもう一周した。フィオナが少し前に出て、葵が追いつく。追いつくと、フィオナがまた前に出た。


 三周目で、フィオナの足が交差した。


 体が横へ倒れかけて、手が伸びた。葵はその手を掴んだ。掴んだまま二人とも流れて、柵の前で止まった。


「失礼いたしました」


「怪我はない?」


「ございません」


 フィオナは手を離さなかった。葵も離さなかった。


「このまま滑ると、転ばないかもしれません」


「そうかもね」


 二人で並んで蹴ったが、歩幅が合わないので最初は互いに引っ張り合う形になった。フィオナの方が脚が長いので一蹴りで進む距離が違う。


 三度目でフィオナが合わせてきた。


 同じ間隔で足が出るようになると、氷を切る音が二つ重なって、一つに聞こえた。


 真ん中を回っている人たちの内側へ入ると、速さがついてきて風が顔に当たった。フィオナの髪が後ろへ流れて、その先が葵の肩に触れる。


「葵殿」


「うん」


「速いです」


「速いね」


「もっと、いけますか」


 葵は蹴る間隔を短くした。フィオナがすぐ合わせた。


 照明の下を抜けて影の中へ入り、また明かりの下へ出る。それを何度か繰り返すうちに、氷の面が光を返して足の下を流れていった。


 曲がるところでフィオナの体が内側へ傾き、葵も同じだけ傾いた。繋いだ手が支点になって、二人でひとつの弧を描く。


 一周して直線に入ると、フィオナが笑った。


「もう一度です」


「楽しいね」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 真ん中の方で、人が回っていた。


 若い女だった。片足で滑ってきて上体を捻り、空中で二回転してから後ろ向きに降りる。降りたところから、そのまま前へ流れていった。


 葵は足を止めて見た。フィオナも止まった。


「今、回っておられました」


「回ってたね」


 女がもう一度跳んだ。今度は着地でよろけて氷に手をついたが、すぐ立ち上がってまた滑り出した。


 フィオナが繋いでいた手を離した。


「フィオナさん、まさか」


「少しだけです」


「まだ上手く止まれないよね」


「止まらずに跳びます」


 葵が何か言う前に、フィオナは離れていった。


 柵の内側を一周して速さをつけ、真ん中へ入ってくる。片足を上げ、上体を捻った。


 跳んだ。


 足元が光った。


 刃の周りに白い輪が出て、回転に合わせて広がった。空中でフィオナの体が二回転する。速さが途中で変わらず、傾きも崩れない。降りるときに輪が縮んで刃の下へ収まった。


 音がしなかった。


 フィオナは後ろ向きに降りて、そのまま前へ流れた。氷を削る音が一度だけして、止まる。


 止まっていた。


「葵殿!」


 フィオナが両手を上げた。


「跳べました!」


「すごい」


「二回、回りました!」


 葵は近づいていった。


「見てました?」


「見てたよ」


 フィオナは自分の足元を見た。それから、もう一度見た。


 刃の縁に細い線が入っていた。さっきまでなかった線ではなく、最初からあったものが今は薄く光っている。


 葵もしゃがんで自分の靴を見ると同じ線があり、触ると指先が少しだけ痺れた。


 小屋の方を振り返ると、壁に札が出ていて魔導補助つきと書いてあった。回転と着地の姿勢を補正します、初めての方でも安心です、と続いている。


 フィオナが札を読んだ。


 読み終えて、しばらく動かなかった。


「……そうですか」


「跳んだのは、わたくしではなかったのですね」


「跳んだのはフィオナさんだと思う」


 フィオナは自分の手を見た。


「では、回ったのは」


「靴のおかげかな」


「そうですか」


 肩の位置が下がっていた。


 葵は立ち上がって、氷を少し蹴った。


「でも、跳ぼうと思ったのはフィオナさんだよ」


 フィオナが顔を上げた。


「思わなかったら、回れなかったと思う」


 しばらく間があった。


「……そうですね」


「うん」


「そうです。わたくしが跳んだのです」


 フィオナは滑り出した。柵の内側を一周して、また真ん中へ入ってくる。


 跳んだ。


 光った。


 三回転していた。


「葵殿! 三回です!」


「うん」


「三回、回りました!」


 葵は手を叩いた。他に何をすればいいのか分からなかったので、それだけをした。


 日が沈みかけて西の空だけが橙色になり、木の向こうに建物の影が並んでいる。氷の上に落ちた照明の光の周りだけが白く見えた。


 襟の内側でライラが動いた。


「フィオナ、次は転ぶ」


「そう?」


「跳ぶ前に肩が上がってる」


 四回目で、フィオナは転んだ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 公園を出たところでフィオナが鎧に戻った。四時を回っていて、空はもう暗い。


 宿舎は本社から二つ通りを入ったところにあり、石造りの正面には細い柱が並んでいた。柱の間に硝子の扉がある。扉の前に立っていた人が、二人が近づくと先に開けた。


「ようこそ」


 中は静かだった。


 天井が二階分あった。梁がむき出しで、太い材が横に何本も渡っている。木肌に節が残り、削った跡が見えた。塗ってはいない。


 床はオークで板の幅が広く、継ぎ目の線が部屋の奥まで通っている。歩くと音が吸われた。


 壁は白い。ただの白ではなく、表面の細かい凹凸で光の当たり方によって影の出方が変わる。天井近くの照明は光源が隠してあり、壁を照らして返した光だけが下りてきていた。


 奥に石を積んだ暖炉があって火が入っていた。前に椅子が四つ、間隔を空けて置かれている。座面が革で、肘掛けに毛織物が掛けてあった。


 葵は自分の靴の裏を気にした。公園の土がついている気がしたが、見ても何もついていなかった。


 人がいた。


 椅子の一つに男が座り、膝の上で端末を開いて指を止めずに動かしていた。画面に細かい表が出ている。


 その隣に女が二人いて、片方が何か言い、片方が頷いてから端末に打った。声は低く、こちらまで届かない。


 窓際の卓にもう一人いて、コーヒーカップから湯気が上がっていた。飲んでいる間も片手で画面を送っている。


 皆が同じくらいの年に見えた。


 葵とフィオナが入っていくと、端末を打っていた男が顔を上げた。


 葵を見て、それからフィオナを見た。鎧のところで目が止まり、下まで一度下りて戻ってくる。


 それから画面へ戻った。


 女の一人がこちらを見て、隣の女に何か言った。二人とも笑わなかった。ただ、話が続かなかった。


 葵は受付へ歩いた。


 台は継ぎ目のない一枚の石で、縁が丸く落としてあった。奥に立っている男が、こちらの口を開く前に頭を下げる。


「小春葵です」


「お待ちしておりました」


 男は手元を見ずに鍵の板を二枚出した。木の板の表面に数字が彫ってある。


「一三一三号室です。十三階で、エレベーターは左手にございます」


「ありがとうございます」


「お荷物が届いております。お部屋に入れてございます」


「はい」


「夕食は十八時から、二階でご用意しております。お時間になりましたら、お好きなときにお越しください」


 男は板の角を揃えて滑らせた。指が板から離れるとき、音がしなかった。


「ごゆっくりどうぞ」


 エレベーターの扉は鏡で、閉まると鎧のフィオナとその隣に立つ自分が映った。葵はコートの襟を直した。


「葵殿」


「うん」


「なんだか、嫌な部屋番号ですねえ」


 顎は上がったままだった。声だけが低い。


「そう?」


「十三が二つ並んでおります」


 葵は板を見た。数字が四つ並んでいる。


「フロントの人、普通だったよ」


「普通でした」


「じゃあ、普通なんだと思う」


 フィオナは板を裏返して、また表に戻した。


 部屋は広かった。


 ベッドが二つ並んで、間に低い卓がある。壁際に椅子が二脚。入口の脇に置かれた荷物は二人分がきちんと並べてあった。


 木の匂いがした。壁の一面が板張りになっていて、そこだけ色が濃い。


 正面が全部窓だった。


 床から天井まで一枚で枠が細く、そこだけ壁がないように見える。


 葵は窓の前へ行った。


 眼下に住宅が並んでいた。灯りは点いているが通りほどの明るさではなく、窓の一つずつが小さく光って間に暗い部分がある。


 その向こうに、黒いものがあった。


 横に長く途切れずに続いて、左から右へ視界の端まで伸びていた。壁だった。


 さらに向こうの空は、街の光が下から当たっているので完全な黒になっていない。灰色に近い明るさの中に、別の黒が出ている。


 山だった。


 稜線が幾つも重なり、遠くへ行くほど薄くなっていく。壁の黒と山の黒が同じ高さのあたりで並んでいた。


「山ですね」


 フィオナが隣に来た。


「うん」


「壁の外です」


「そうだね」


 葵は稜線を目で追った。


 あそこには何かがいるのだろうか。飛行機から見たときには何も見えなかった。海にはドラウグルがいると聞いた。山に何がいるのかは、まだ聞いていない。


 空の一点を、何かが横切った。


 黒い形だった。灰色の空の上を左から右へ動いていく。翼のように見えたが、距離が分からないので大きさも速さも分からない。ゆっくり見えたが、遠ければ速いのかもしれなかった。


 葵は端末を向けた。


 画面に写ったのは灰色だけで、もう一度向けたときには何もいなかった。


「どうかされましたか」


「なんでもない」


 襟の内側からライラが出てきて、窓枠に降りた。


「下の人たち、なんか嫌」


「下にいた人?」


「うん」


 ライラは硝子に手をついて、外を見ていた。


「どこが?」


「わかんない」


 それきり黙った。


 窓の外で、住宅の灯りが一つ消えた。

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