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第196話 頑張ってね

 お土産を買うのに最初に入ったのは、菓子と雑貨を一緒に置いている広い店だった。


 入口に籠が積んであり、手前の棚に缶が並んでいる。奥へ行くと木の道具と毛織物の棚があった。天井から乾いた花が吊してあって、暖房の風で少しずつ回っている。


「まず、部活の分」


 葵は缶の棚の前に立った。


 金色の紙で包んだものが山になっている。裏を見ると、山羊乳を煮詰めて固めたものだと書いてあった。その隣に、薄く伸ばした飴に木苺の粉をまぶしたもの。さらに隣に、糖衣をかけた小さなパンのような焼き菓子。


 葵は山羊乳の菓子を手に取って、少し考えてから缶ごと三つ取った。ダンジョン部の分だった。剣技部には数が要るので、個包装のチョコレートを袋ごと二つ抱える。


「ずいぶん多いです」


「剣技部、人数多いから」


 フィオナが黒い缶を一つ取って振った。中で乾いた音がする。


「これは、なんでしょう」


 葵は缶を受け取って裏を見た。ラクリスと書いてあり、その下に塩化アンモニウムとある。


「サルミアッキだ。甘草に塩を入れたお菓子」


「甘草に、塩を」


「好き嫌いが分かれるって、本に書いてあった」


「では、やめておきます」


 フィオナは黒い缶を戻して、自分の籠に丸い缶を一つ入れた。それから二つ目を入れて、少し考えて、三つ目も入れた。


「フィオナさん」


「全部味が違うのです」


「うん」


「三つとも、違うのです」


 葵は何も言わなかった。フィオナは四つ目には手を出さず、籠を持ち直して先へ進んだ。


 木の道具の棚があった。


 チーズ削り器が並んでいる。オステホーヴェルという名前で、さっきの店で主人が使っていたものと同じだった。柄の先に薄い刃が横向きについていて、面を引くと紙のように薄い一枚が削げる。


 その隣にバターナイフがあった。刃に厚みがなく、先が丸い。切るというより塗るための道具だった。


 葵はバターナイフを一本取った。柄が白樺で、削り跡が波のように残っている。隣の一本を取ると、跡の入り方が違った。もう一本取ると、また違った。


「同じものが、一つもありません」


「手で削ってるからだと思う」


 葵は六本を並べて、順番を入れ替えて、それからもう一度並べ直した。


「先輩方に」


「六人ですか」


「うん」


 毛織物の棚では、手袋を三双選んだ。厚みがあって、内側が起毛している。色は灰色と、深い緑と、生成りにした。


 茜とセレンと、ミラの分だった。三人とも授業で組むことが多い。ミラだけ渡さないのも、何か悪い気がした。


 葵は色の並びを一度変えた。生成りを真ん中にすると、収まりがよかった。


「葵殿は、ご友人が多いのですね」


「そうでもないと思うけど」


 毛織物の棚の隣に、小さな瓶や缶を並べた棚があった。石鹸と、蓋の平たい缶が積んである。


 葵は缶を一つ取って裏を見た。羊毛から採った脂で作ってあると書いてある。蓋を回すと、匂いがほとんどしなかった。


 ナタリアさんに合いそうだった。


 葵は缶を籠へ入れた。


 フィオナは棚の前で長く迷ってから、帽子を一つと、靴下を二足取った。靴下は同じ柄の色違いだった。


 会計の台で、店の人が籠を受け取った。年配の女で、眼鏡を額に上げたまま値札を見ていく。


 六本のバターナイフを並べ直して、一本ずつ紙で巻いた。それから缶の数を数えて、箱に詰めていく。


「送れますか」


「送れるわよ」


 女は伝票を出して、住所の欄を指した。葵は端末を見ながら学園の住所を書いた。


「これは味見。持って帰りなさい」


 女は小さな袋を台に置いた。中に丸い缶が入っている。


「いいんですか」


「いいの」


 葵が受け取ると、女は次の客の籠に手を伸ばしながら言った。


「ボランティア、頑張ってね」


 外へ出ると、フィオナが立ち止まった。


「葵殿」


「うん」


「あの方も、ご存じでした」


 フィオナが後ろを見た。硝子の向こうで、女は値札を確かめている。こちらを見ていない。


「名乗っておりません。参加証も、お出ししておりません」


「会社には書いて出したけど」


「会社に、です」


「うん」


 葵は味見の袋を持ち直した。中で缶が動いて、乾いた音がした。


 会社が街に伝えているのだろうか。伝えているとして、何を、どこまで。


「葵殿?」


「ううん。行こう」


 フィオナが一歩、葵の方へ寄った。


 襟の内側でライラが動いた。外へは出てこない。


「あの人、ずっと見てた」


 頭の中に声が届いた。


「見てた?」


「入ってきたときから。値札の前も、棚の前も」


 葵は硝子を振り返った。女は台の向こうで手を動かしている。


「悪い人じゃなさそうだったけど」


「そう」


 ライラはそれきり黙った。襟の内側で、光が少し弱くなったのが分かった。


 通りには人が増えていた。袋を提げた人が同じ速さで歩いている。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 二軒目は、通りから少し入ったところにある小さな店だった。


 硝子の向こうに木の器が並んでいて、どれにも花が描いてある。渦を巻いた花で、中心から外へ向かって花弁が広がっていく。同じ絵が一つもない。


 中に入ると、絵の具の匂いがした。奥の台で女が筆を持っていて、こちらを見ずに手を上げた。


「ローズマリングです」


 フィオナが棚の前で膝を折った。


「花が、回っております」


「そうだね」


 葵は小さな箱の並んでいる棚を見た。掌に収まる大きさで、蓋の上に花が描かれている。青の地に赤と白の花のもの、黒の地に金のもの、木の色をそのまま残して線だけ入れたもの。


 一つ取って蓋を開けると、内側は塗っていなかった。木の目がそのまま出ている。閉めると乾いた音がして、隙間がなかった。


「これは、何を入れるのでしょう」


「何でもいいと思う」


 葵は青の地のものを手に取った。それから黒の地のものを取って、並べた。


「先生に」


「先生に」


「フィオナさんが来たとき、いた先生」


「リース殿ですね」


 フィオナは箱の棚をしばらく見て、それから青の地のものを指した。


「こちらの方が、あの方に似ております」


「そう?」


「はい。線が細いです」


 葵は二つを持ち替えて、明かりの下で見た。青の地のものは、花弁の縁に細い線が何本も引かれている。黒の地のものは面で塗ってあって、金がまとまって光る。


「細い方にする」


 台へ持っていくと、女が筆を置いた。指の腹に絵の具がついている。


「贈り物?」


「はい」


「箱に入れる?」


「お願いします」


 女は薄い紙で箱を包み、細い紐をかけた。学園へ送ってもらうことにした。作業の間、フィオナは台の端の器を見ていた。皿の縁に沿って花が一周している。


「これも、お一人で描かれるのですか」


「一人よ」


「何日かかりますか」


「大きいのは三日」


 フィオナが息を吸った。


「三日」


「乾かす時間がいるからね。急ぐと縁が濁る」


 女は紐の端を切って、伝票を書き終えた。


「そちらのお嬢さんは、何か見てた?」


 フィオナが背筋を伸ばした。


「わたくしは、見ていただけです」


「見てただけ?」


「はい」


 女は台の下から小さな籠を出した。中に木の札が入っている。掌より小さく、それぞれに花が一つずつ描いてあった。


「これは端切れで作ったやつ。一つ持っていって」


「よろしいのですか」


「どれでもいいわ」


 フィオナは籠の上で手を止めた。それから一枚を取って、両手で持った。白い地に、青い花が一つ描いてある。


「ありがとうございます」


「ボランティア、頑張ってね」


 外へ出ると、フィオナは札を握ったまま歩いていた。しばらくして、それをコートの内側の袋へ入れた。


「葵殿」


「うん」


「あの方も、でした」


「うん」


 葵は答えて、それから何も続けなかった。


 襟の内側でライラが動いた。


「三人目」


「うん」


「数えてる」


「僕も」


 通りに戻ると、正面に大きな建物があった。硝子の中に本が積まれている。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 書店は天井が高かった。


 一階の中央に台があって、そこから奥へ棚が伸びている。二階は手すりだけが見えていて、そこにも棚が並んでいた。硝子の天窓から光が落ちているが、この時刻でも弱い。棚の間の照明の方が明るかった。


 人が多かった。座って読んでいる人がいる。壁際に椅子が並んでいて、そこが全部埋まっていた。


「静かです」


 フィオナが声を落とした。


「人はたくさんおられるのに」


 葵は台の上を見た。写真の本が積まれている。表紙にフィヨルドが写っていて、水面に山が逆さに映っていた。


 隣の一冊は雪の森だった。木の間に光が斜めに入って、地面に長い影が並んでいる。その隣は夏の海辺で、赤い家が岩の上に建っていた。


 葵は雪の森の本を取った。開くと、紙が厚くて重い。写真が見開きで入っていて、文字はほとんど入っていなかった。


「きれいです」


「うん」


「どなたに」


「妹に」


 フィオナが顔を上げた。


「妹御がおられるのですか」


「従姉妹だけど、一緒に住んでたから」


「今は」


「スウェーデンにいる。この近く」


 葵は本を閉じて、台の上に戻した。それからフィヨルドの本を取って、開いた。


 一枚目は霧だった。水面が白くなって、山の裾だけが見えている。二枚目は晴れていて、水が黒く光っている。三枚目は上から撮ったもので、船が一隻だけ写っていた。


 葵は三枚目のところで手を止めた。それから閉じて、戻した。


「船が写ってるから、やめておく」


「船が、いけないのですか」


「この国、船が出てないから」


 昨日の港には一隻もいなかった。海があって、桟橋があって、その先には何もなかった。この写真は、船が出ていた頃のものだ。


「そうでした」


 葵は雪の森の本をもう一度取った。写真をめくって、それから最後の頁まで送って、また最初に戻した。


 奥へ歩いていって、棚から別の本を出した。花の本だった。押し花のように平らに写してあって、名前が並んでいる。葵は数枚めくって、棚へ戻した。


 戻ってきて、また台の上の本を開いた。


「葵殿」


「うん」


 フィオナは何も言わなかった。それから壁際の椅子の方を見た。


 葵は雪の森と、夏の海辺の二冊を並べた。


 雪の森は、この街で見た色に近かった。灰色と白と、その間の色。窓の外がずっとこうだった。


 夏の海辺は違った。赤い家と青い水で、光が強い。この国のものだと言われなければ分からない。


 葵は夏の海辺の本を取った。それから戻して、雪の森を取った。それも戻した。


「決まりませんか」


「うん」


「どちらでもお喜びになると思います」


「そうかな」


「はい。葵殿が選ばれたものですから」


 葵はもう一度、二冊を見た。


 雛の部屋には窓辺に鉢が置いてある。通話のとき、いつも画面の隅に写っている。緑の葉が大きくて、光が当たると縁が透ける。


 葵は夏の海辺の本を取った。


「こっちにする」


「なぜですか」


「こっちの方が、雛の部屋に合う気がする」


 台へ持っていくと、店の人が包んでくれた。若い男で、手が早い。二重に紙を巻いて、角を折って、紐をかけた。


「この本、去年の秋に出たやつです」


「そうなんですか」


「撮った人が同じ場所に十年通って、いいのだけ選んだって」


 男は包みの上に一枚の紙を置いた。


「これ、写真の場所の一覧です。地図が付いてます」


「ありがとうございます。あの、送ってもらえますか」


「できますよ。国外でも」


 葵は伝票にスウェーデンの住所を書いた。


「ボランティア、頑張ってください」


 外は明るくなっていた。空はまだ白いが、通りの向こうの建物の上の方に光が当たっている。街灯は点いたままだった。


 葵は手ぶらだった。全部、店から送ってもらうことにした。フィオナの手にも、自分の分の小さな袋が一つあるだけだった。


「フィオナさん」


「はい」


「お昼、何がいいかな」


 フィオナは本を鞄から出して、付箋を送った。三枚目の折れたところを通り過ぎて、その先で止まった。


「羊が、載っております」

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