第181話 砂の上の間合い
砂の上に木剣が並べられていた。
「整列」
ハルトマンの声で、砂の上に列ができた。号令に合わせて体を回し、伸ばし、屈める。同じ順番を九月から繰り返しているので、考えなくても体が動く。
肩を回したとき、右の肩甲骨のあたりが少し鳴った。
「走れ。外周三周」
列が崩れて、砂を蹴る音が一斉に上がった。
三周し終える頃には、十一月の風がちょうどよくなっていた。
「木剣を取れ」
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「今日は間合いをやる」
ハルトマンは自分でも木剣を提げていた。
「二人一組。正面に立て。まず、自分の木剣が届く距離を測る。一歩踏み込んで届くか、届かないか。それだけを確かめろ」
砂を踏む音があちこちで鳴った。
「次に、相手の届く距離を測れ。同じ木剣を持っていても、腕の長さも歩幅も違う。相手の間合いは相手のものだ。自分のもので測るな」
葵はエリックの方を向いた。剣技はいつも一緒に組んでいる。エリックも既にこちらを見ていた。
「ちょっと待った!」
砂を蹴る音がして、間に人が割り込んできた。
「葵くんは私のライバルなんだから、私が組まないとダメなの!」
姫川だった。木剣を肩に担いだまま、胸を張っている。
「私のライバルでもある」
エリックが言った。声は静かだったが、退く気配がなかった。
「え」
「先に名乗ったのは私だ」
姫川の目が丸くなって、それから細くなった。
「……順番の問題じゃなくない?」
「順番の問題だ」
二人がしばらく見合った。葵は口を挟むところを探したが、見つからなかった。
「じゃあ」
姫川が木剣を担ぎ直した。
「どっちが葵くんのライバルか、勝負ね!」
「望むところだ」
即答だった。
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ハルトマンの説明は続いていた。
「間合いの外にいる限り、お前たちは安全だ。だが安全な場所からは何もできん。一歩入れば届くが、相手も届く。この一歩をどう作るかが今日の課題だ」
そこで木剣を構えて、前に出た。
葵の位置からは、ハルトマンの体が縮んで見えた。近づいたのではなく、距離だけが減ったように見える。あれだけの体格で、肩の高さが変わっていなかった。
「三つ注意するべき点がある。踵を上げるな。前足を滑らせて出し、後ろ足を引きつける。足を交差させるな」
もう一度やってみせた。今度は近くの生徒が声を上げた。
「肩を動かすな。歩けば肩が振れる。振れれば見える」
三度目。
「沈むな。踏み込む前に、人は一度腰を落とす。落とした時点で、相手は動き出している」
ハルトマンは木剣を下ろした。
「なぜこれをやるか。魔法は下がりながら撃てる。神魔も同じだ。撃つ側は距離を保ちたい。お前たちは距離を潰したい。剣で神魔と向き合うことがあるとすれば、その一歩を作れるかどうかで決まる」
砂を踏む音が止まっていた。
「今日は当てなくていい。組め」
生徒が散り始めたところで、姫川とエリックがハルトマンの前へ歩いていった。何か話しているのが遠目に見える。姫川が身振りを交えて喋って、エリックが一言だけ足した。
ハルトマンは腕を組んだまま二人を見下ろしていたが、やがて短く頷いた。
「三本先取だ。端を使え。他の者の邪魔をするな」
「やった!」
「二人とも、今日の課題はできている。やる意味のあることをやれ」
言い方は淡々としていた。褒めたのかどうか、葵には判断がつかなかった。
砂の上に、二人ぶんの空白ができた。
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周りはもう組み終わっている。葵は取り残された形になった。
「じゃ、私と組む?」
振り返ると、女子が一人、木剣を提げて立っていた。
「レイチェルさん」
「そう。よろしく」
姫川といつも一緒にいる子だった。話したことはなかったが、名前は知っている。
「よろしくお願いします」
「じゃ、やろっか」
レイチェルは葵の後ろの方に目をやった。姫川とエリックが構えたところだった。
「ごめんね。あの子いつもああだから」
「いつもですか」
「いつも」
言い切ってから、レイチェルは木剣を持ち直した。
正面に立って構えると、レイチェルの間合いが自分より少し短いのが分かった。腕の長さの差だと思った。
「小春くん、そこからだと届く?」
「たぶん、あと半歩です」
「じゃあ半歩ちょうだい」
葵は前足を滑らせた。踵を上げず、砂の上をこするようにして出す。後ろ足を引きつけたときも、肩の位置は変わらなかった。
「今の、腰が落ちなかったね」
「落とすと、来ると分かってしまうので」
「それ、意識してやってるの?」
「あんまり考えてないです」
交代して、レイチェルが詰める側になった。一歩目で肩が先に出た。二歩目で気づいて直したが、直した分だけ足が止まる。
「難しい」
「難しいですよね」
「小春くんはなんでできるの」
葵は少し考えた。
「うーん、癖かもしれないです」
ダンジョンでは、意識して動いていない。気がつくと距離が詰まっている。この課題は、その動きを分解して名前を付けたようなものだった。
「癖でこれができるの、けっこう嫌な感じだね」
「すみません」
「褒めてる」
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「しかし、地味だな」
近くで誰かが言った。独り言のつもりだったのだろうが、声が通っていた。
ハルトマンの顔が上がった。
「そこの」
砂の上が静かになった。
「派手なことがしたいらしいな。外周十周。行け」
「え、あの」
「行け」
「組んでいた方もだ。相手がいなければ課題ができん」
「え、俺もっすか」
「行け」
木剣を置く音が二つ続いた。走り出してすぐ、後ろの方から声が聞こえてきた。
「おい、何やってんだよ」
「悪い」
「悪いで済むか」
二人の背中が遠ざかっていく。ハルトマンは見送りもしなかった。
「あれを見ろ」
端の方を顎で示した。姫川とエリックが打ち合っている。木と木の音が、途切れずに続いていた。
「派手だな」
誰も答えなかった。
「だが、足が動くから剣が届く。届くから打ち合いになる。あの二人が今やっているのは、お前たちが今やっていることだ。順番が違うだけだ」
ハルトマンは列の間を歩き出した。
「派手なものは、地味なものの上にしか乗らん。続けろ」
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端の音は途切れなかった。
葵は課題の合間に、何度かそちらを見た。エリックが押している。
姫川の踏み込みは鋭いが、そのたびにエリックが一歩内側に入って剣を殺していた。姫川が跳んで距離を取る。取ったところにエリックが詰める。同じ形が何度も繰り返されている。
「エリックが勝ってる?」
レイチェルが横に来ていた。
「押してはいますね」
「同じことじゃないの」
「違うと思います」
押していることと、一本取ることは違う。エリックの木剣は姫川の胴の手前で何度も止まっていて、そのたびに姫川が体をひねって外していた。届いていない。
「あの子、体が柔らかいから」
「今も外しました」
姫川の踵が線を踏む寸前で止まった。踏んでいれば負けだったが、踏んでいなかった。
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課題が二周した頃、笛が鳴った。
「終わりだ。木剣を戻せ」
砂の上の生徒たちが動き始めた。端の二人だけが動かなかった。
「まだ終わってません!」
姫川の声が響いた。
「二対二です! まだ一本ずつ残ってます!」
「授業は終わりだ」
「決着ついてないのに終わるんですか!」
ハルトマンは何も言わずに、二人の間まで歩いていった。それだけで姫川の口が閉じた。
「両者、木剣を戻せ」
「……はーい」
姫川は返事だけは素直だった。木剣を担いで戻ってくる途中で、エリックの方を振り返る。
「次、絶対勝つから」
「私もそう思っている」
「勝つって言ったんだけど」
「私が勝つと言った」
「もー!」
葵の横で、レイチェルが息を吐いた。
「あれ、放課後も続くと思う?」
「続きそうですね」
「私、付き合わないよ」
言いながら、レイチェルは笑っていた。乾いた笑い方だった。
姫川がこちらへ走ってきて、砂を跳ね上げながら止まった。
「葵くん! 今日は引き分けだったけど、私が葵くんのライバルだからね!」
「引き分けではない」
後ろからエリックが言った。
「二対二です!」
「三本先取だ。二本では取っていない」
「じゃあ引き分けじゃん!」
葵は二人を見比べた。それから、木剣を返しに行くことにした。




