第166話 メレク・ルーメン3
ダンジョン部の解散後、葵は部室に残った。机の上に、白い羽根が二十本並んでいる。男子チームが十一層で集めておいてくれた在庫だった。
「じゃあ、始めるね」
一本目を手に取って指先に光の魔力を灯す。羽根の根元から先端へ、撫でるようにゆっくり通していく。三十秒。羽根がかすかに発光して、落ち着いた。手の中の羽根は、もう崩れない。
「綺麗」
向かいの席で、茜が頬杖をついて見ていた。羽根ではなく、葵の手元を見ていた。
「茜は、今日はクラフトの日?」
「うん。昨日、いいの拾えたから」
「楽しみにしてる」
茜は答えずに少しだけ笑った。それからまた葵の指先を見た。安定化の作業は単調で話すことも特にない。それでも茜は、二十本目が終わるまで同じ姿勢で見ていた。
「終わった。じゃあ、僕はこれをイレム先輩のところに」
「うん。またね、葵」
茜は鞄を肩にかけて部室を出ていった。
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羽根の束を布に包んで廊下に出ると、階段の前で呼び止められた。
「葵くーん。鍛冶部は、今日はなしよー」
イレムが壁にもたれて手をひらひら振っていた。
「え、でも今日は熱処理の……」
「アリアちゃんとは話つけてあるから! ね、葵くん、気づいてる? 白羽ちゃんとは剣術部、アリアちゃんとは鍛冶部、カヴィヤちゃんとはヨガ教室、蒼玲ちゃんとはゲームで遊んでるんでしょ? みんなとは週に一度ちゃんと会ってるのに、私とだけ、決まった日がないの。寂しいー」
指を折りながら数え上げて、最後に両手を広げた。それからいたずらが成功した顔で笑った。
「だから決めました。これから火曜日は、商業研究部ね」
「……もう、アリア先輩に話を通した後なんですね」
「商売は根回しが九割なの」
歩き出したイレムの後を、葵はついていった。断るという選択肢は、最初から用意されていなかった。でも嫌な気はしなかった。
歩きながら、今日の森を思い出した。泥に沈んでいた頭蓋骨と腐食した装備。あの人たちと僕の違いは装備だった。装備は、お金だった。蒼玲先輩の戦闘服がなければ、僕は同じ泥の中にいたかもしれない。羽根が高く売れなければ、茜の装備も買えなかった。
お金も、強さに繋がる。
それに、先輩たちにもらってばかりだった。少しでも返せるように、イレム先輩に協力してちゃんと稼ごう。葵はそう決めた。
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商業研究部の部室は、他の部室と匂いが違った。紙とインクと、かすかなコーヒーの匂い。壁際に資料の棚が並び、中央の机は会議用に広かった。
「葵くん、改めて商業研究部に入部おめでとー!」
イレムが両手を広げて迎えた。拍手までついていた。部屋には他にイレムしかいないので拍手も一人分だった。
「ありがとうございます。それで、僕は何をしたらいいのでしょうか?」
「よく聞いてくれました!」
イレムは待ってましたとばかりに端末を机に置いた。指を鳴らすと机の上の空間に白い光が立ち上がる。光の粒子が集まって、金色の縁取りの魔法陣がゆっくり回転しながら文字を結んだ。
メレク・ルーメン株式会社 事業計画。
その下に、社章が浮かんでいた。一枚の白い羽根を金の円環が囲む意匠。白と金。羽根の会社の色だった。
「社章、もう作ったんですか」
「会社はね、形から入るのも大事なの。はい、第一部」
スライドが切り替わる。青白い光の波が左から右へ流れて画面が変わった。
「現在のメレク・ルーメンは、こう。葵くんが手作業で羽根を安定化して、一本三十万クレドで売る。世界にここだけの、小さな工房。ここまではいい?」
「はい」
「じゃあ問題。この羽根、何に一番使えるでしょうか」
「え……装飾品とか、魔法の触媒とか」
「前にそう言ったね。でもそれ、珍しいから欲しがられてるだけなの。この素材が本当は何の役に立つのか。実はね、世界の誰も、まだ知らない」
イレムは楽しそうに言った。光のグラフが空中に伸びる。針がどこも指していない空白の市場の図だった。
「誰も知らないってことは、調べた人が一番先に儲かるってこと。だから第二部。いろんな会社に少しだけ羽根を渡して、使い道を探してもらうの。魔法道具屋さん、武具屋さん、お医者さんの研究所。使い道は、使う人の現場でしか見つからないから」
「ただで渡すんですか?」
「ただより高いものはないの。渡した先が使い道を見つけたら、材料はうちからしか買えない。じゃあ、第三部」
光の波が流れてスライドが変わった。工場の図面が浮かぶ。二百万クレドで買ったあの土地だった。
「葵くんの魔力の込め方を研究します。葵くんがどうやって羽根が崩れなくするのか、その方法が分かれば、機械で再現できるかもしれない。そうしたら量産。機械の羽根を世の中に、葵くんの手作業は特別な一級品として、ちょっとだけ。作れるのに出さないのが、高いってことなの」
「僕の魔力を、研究……」
「嫌?」
「いえ。ちょっと不思議な感じがして」
「最後、第四部。いつかは羽根を材料にして、うちで魔法のアイテムを作って売る。材料屋さんから、物を作る会社になるの。——以上!」
光の粒子が集まって、社章がもう一度大きく浮かんでゆっくり消えた。葵は少しの間、何も浮かんでいない机の上を見ていた。羽根を作って売る、だけだと思っていた。イレムの頭の中には、何年も先の地図が畳まれていた。
「で、分かりやすくまとめたのが、こっちねー」
イレムは部屋の隅からホワイトボードを引きずってきた。手書きの矢印と丸文字で、いまの四部構成がそのまま描いてあった。工場の絵には煙突までついていた。
「魔科学もいいけど、やっぱ昔ながらのやり方も分かりやすいよねー」
「じゃあ、さっきのスライドは……」
「格好つけたかったの」
イレムは悪びれずに笑った。
「さて、解散にはまだ早いし——今日は自分たちで、まず天使の羽の使い道を考えよっかー。葵くん、思いつくのどんどん言ってみて」
「え。いきなり言われても、いいアイデアが出ないかもしれないです」
「いいアイデアじゃなくてもいいの。ブレインストーミングよ」
「……それ、何か聞いたことがあるような」
「発想法の基本の基本。ルールは三つ」
イレムは指を三本立てた。
「一つ、量が命。質は考えない。二つ、批判禁止。自分のにも人のにもダメ出ししない。三つ、突飛なほどいい。使えるかどうかは、あとで別の頭が考えるの。いい? 頭の中の門番を、いったん休ませるのがコツ」
「門番……はい、やってみます」
イレムがホワイトボードの裏面をひっくり返してペンを構えた。
「矢羽根。弓矢の羽根の部分です。軽くて丈夫なので」
「いいね、武器屋さん向き」
「筆。魔法のインクと相性がいいかもしれません。あと、お守り」
「枕! 天使の羽根の枕、絶対いい夢見られるやつ」
「寝てる間に浄化されそうですね。……ええと、扇子。結婚式のブーケに混ぜる」
「ウェディング! それ高く売れる! ほら、出るじゃない」
ペンの音が続いた。門番が休むと、思いつきは案外止まらなかった。光るアクセサリー、赤ちゃんの命名式の飾り、瓶詰めのお守り。途中で胸元のライラが頭の中に一言寄越したので、それも報告した。
「ライラは、寝床に敷きたいそうです」
「ピクシーサイズのお布団! 商品化はできないけど今度作ってあげる」
ボードが半分埋まったところでイレムはペンを置いた。
「はい、今日はここまで。この中のどれが本当に商売になるかは、休みの間に私たちでも考えてみるよー。葵くんも、思いついたら書き溜めておいて」
「分かりました。なんだか、面白かったです」
「でしょ? 商売はね、半分はこういう遊びなの」
イレムはホワイトボードの四部構成の第二部を、指でとんとんと叩いた。
「休み明けの火曜日は、羽根を渡す相手を決めます。葵くんは羽根の性質に詳しいから、どこに向いてるか一緒に考えて」
「はい。あの、イレム先輩」
「なに?」
「この計画、全部先輩が考えたんですよね。すごいです」
イレムの手が、一瞬だけ止まった。それからひらひらと振られた。
「私はね、葵くんみたいな力はないから。お金の計算くらいしか、できないの」
飄々とした、いつもの声だった。いつもの声すぎると葵は思った。でも何が引っかかったのか分からないうちに、イレムは次の話題に滑っていった。
「そうだ、社章のバッジ作ったから、はい。社員第一号」
手のひらに、白い羽根と金の円環の小さなバッジが乗せられた。まだ少しだけ金型の匂いがした。




