第159話 庶民体験2
トレーを返しに立ったとき、エリサベットが言った。
「次は、魔法を使わないものがいいわ」
「魔法を使わないもの、ですか」
「そうよ。魔法なしで遊べるゲーム。あるでしょう、そういうコーナー」
魔法を使うアトラクションの方が人気だと思うんだけどな。前に颯たちと来たときは、魔法系ばかり回った。けれど言われてみれば、フロアの奥に賑やかな一角があったのを覚えている。
「魔法なし、いいですね!」
フィオナが身を乗り出した。
「魔法なしなら、いいところが見せられそうです!」
「フィオナさんは、さっきも見せていたと思うけれど」
「レースで失態を見せてしまったので......」
奥のコーナーは音で満ちていた。機械の鳴らす電子音と、球の跳ねる音と、誰かの歓声。手前のパンチングマシンの前で、エリサベットが足を止めた。
「これは?」
「殴った力を測る機械です。魔法は使いません。エフェクトは機械が出してくれるだけで」
「単純ね。いいわ、気に入った」
先に葵がやった。グローブ型の的を殴ると、拳の軌道に沿って光の尾が走り、数字が表示された。悪くない数字だと思った。
エリサベットが進み出た。コートを脱いで葵に預け、袖を折る。それから的を睨んで思い切り打った。
的が鈍い音を立てて跳ね、葵の数字を少しだけ越えた数字が光った。
「ふふん」
エリサベットは折った袖を戻しながら葵を横目で見た。
「見たかしら。私の勝ちよ」
「強いですね……」
葵は自分の数字とエリサベットの数字を見比べた。ほんの少しだけの差だったが、鬼の首を取ったかのような態度だ。
「次は私です!」
フィオナが進み出た。凄まじい勢いで打った。
数字は表示されなかった。代わりに機械が短い悲鳴のような音を鳴らして、画面に「999」の文字が点滅した。周りにいた家族連れが振り返り、小さな男の子が拍手をした。
「やりました! 一番です!」
「機械、壊れてない?」
ライラが葵の肩の上で言った。フィオナは男の子に手を振り返していた。
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隣のマジック・バスケットボールは、坂の上のゴールへボールを投げ込む機械だった。ボールが輪をくぐるたび、機械が花火のエフェクトを打ち上げる。
「これも魔法なしですね」
「ふうん。投げるだけね」
三台並んで座り、同時に始めた。葵のボールは山なりの軌道で、一定のリズムで輪をくぐっていく。一球ごとに花火が上がった。
フィオナは坂の中程でボールを受け、軽く放った。ボールは輪をくぐり、花火が上がった。二球目も、三球目も同じだった。
「生前も、これは得意でした」
フィオナと葵の数字は競り合った。エリサベットは眉を寄せて投げ続けていたが、強くても弱くても輪には嫌われて、数字は二人の半分にも届かなかった。
終了の音が鳴った。葵の台の花火が最後にひときわ大きく上がった。僅差だった。
「むう、負けました。次は勝ちます」
「……納得いかないわ。さっきの機械では、私が勝ったのに」
「力と器用さは、別なんだと思います」
「もう一回よ。もう一回」
二回目はフィオナが勝った。エリサベットは無言で三回目のボタンを押した。三回目も葵が勝ったが、エリサベットの数字は一回ごとに伸びていた。それを言うと、エリサベットは「当然だわ」とだけ答えて、四回目のボタンから手を離した。
それからは、目についた台を順番に回った。エアホッケーでは葵とエリサベットが打ち合い、フィオナが審判を名乗り出て、誰よりも大きな声を出した。クレーンゲームでは、エリサベットが狼のぬいぐるみに三クレド、五クレド、八クレドと注ぎ込み、諦めた直後にフィオナが一発で取った。フィオナはそれをエリサベットに差し出し、エリサベットは受け取るかどうかで一分近く悩んだ。受け取った。
気づけば窓の外の光が変わり始めていた。
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帰る前に、フィオナが足を止めた。壁際に並んだ写真を撮る箱の前だった。
「これは何の機械ですか」
「プリクラだよ。写真を撮って、シールにしてくれるんだ」
「これが未来のプリクラ......記念ですね! 撮りましょう!」
エリサベットは箱と葵を見比べて澄まして言った。
「そうね。せっかくだもの、思い出を作りましょ」
三人で中に入ると、思ったより狭かった。葵が真ん中に立ち、右にフィオナ、左にエリサベットが並ぶ。右の肩にはフィオナの体温が布越しに伝わってきて、左のエリサベットとの間には、拳ひとつ分の隙間が几帳面に保たれていた。ライラは葵の頭の上に座った。
画面に三人が映った。エリサベットが自分の映りを見て前髪を直した。直してから、直す前と同じ位置に戻した。
立ち位置の案内に従って寄ると、機械が全員に薄い光をまとわせた。フィオナの髪が淡く光り、エリサベットの瞳に星のような粒が浮かぶ。機械が勝手にやってくれる魔法だった。
「近づいてください、と書いてあります」
フィオナが長い腕を伸ばして二人まとめて抱き寄せた。拳ひとつ分の隙間が消えた。カウントダウンの数字が減っていく。三、二、のところでエリサベットが慌てて口角を上げた。シャッターの音がして、画面の中の三人の間に光の線が渡った。手を繋ぐと絆の線が出るらしい。フィオナの腕の中では、繋ぐまでもなかった。
出てきたシールを、フィオナは日に透かして眺めた。
「私の髪が光っています。ライラ殿は葵殿の頭で笑っています」
「一枚ずつ分けられるよ」
エリサベットは自分の分を受け取ると、財布を開いた。カードの並びを一段ずらして場所を作り、シールの角を揃えて差し込む。財布を閉じる前にもう一度だけ開いて確かめた。
「お姉さまに、見せるのよ」
笑顔でそう言った。
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外に出ると、日が傾き始めていた。マナ・スフィアの外壁を巡る光の帯が夕方の色の中で濃くなっている。半日遊んだ身体に、十一月の空気が心地よかった。パンチングマシンを打った拳の付け根にまだ鈍い感触が残っている。
フィオナはシールを胸の高さに掲げて、日に透かしたり戻したりを繰り返していた。エリサベットは鞄を掛け直して駅までの道を並んで歩いた。誰も口を開かなかったが、気詰まりな沈黙ではなかった。
葵は歩きながら今日一日を思い返していた。それから口を開いた。
「エリサ先輩」
「何かしら」
「本当は、ゲームセンターに来たことがありますよね」
エリサベットの足が止まった。
「し、失礼ね。当てずっぽうで人を疑うものじゃないわ」
「魔力回復ドリンクを、一目でただのジュースだって言いました」
「そ、それは。見れば分かるでしょう、あんなの」
「フードコートの注文も慣れてました。番号札の仕組みも、聞きませんでした」
エリサベットの視線が泳いだ。右に、左に、それから鞄の持ち手に落ちた。
「それに、誕生日会です。二年生の先輩たちの贈り物は、生徒会のみなさんのものほど高価じゃありませんでした。一般のご家庭の友達が多いんだなって、あのとき思ったんです。それなら、ゲームセンターに誘われないほうが不思議です」
「う……」
「来たこと、ありますよね」
「……何度かあるわよ」
白状する声は小さかった。けれど葵は続けた。
「でも、奥のコーナーは初めてでしたよね」
エリサベットの肩が跳ねた。
「パンチングマシンの前で、これは何、って聞きました。バスケットボールも、投げ方を知りませんでした。魔法のアトラクションのことは知ってるのに、そちらのほうは何も知らなかった。友達と来てたのは、魔法のコーナーだけだったんじゃないですか」
「な、なんで、そこまで」
エリサベットは一歩下がった。頬の色がもう夕日のせいにできなくなっている。フィオナがシールを掲げたまま二人を交互に見ていた。
「じゃあ、最後にひとつ」
葵は言った。
「どうして今日、僕のところに来たのか」
エリサベットが固まった。鞄の持ち手を両手で握って、口を開きかけて、閉じた。持ち手の革に、白くなった指先が食い込んでいる。目が助けを探すように動いて、どこにも見つからずに戻ってきた。耳の先まで、頬と同じ色をしていた。何かを言われる前に走り出しそうな顔だった。
「エリサ先輩は」
「ま、待ちなさい、それ以上は」
「庶民の遊びが、してみたくなったんですよね」
風が通りを抜けた。
エリサベットは瞬きをした。二度、三度。それから、握っていた鞄の持ち手からゆっくりと力が抜けた。
「……そ、そうよ」
声に、見る間に張りが戻っていく。
「そうよ、その通りだわ。庶民の遊びを、ちょっとやってあげようと思っただけなんだから。お姉さまがいつも楽しそうに話すから、気になってただけ。あなたと遊んでるお姉さまが羨ましかったとか、全っ然ないんだから!」
庶民の遊びをした蒼玲先輩が羨ましかったのなら、朝の怒りようにも納得がいった。
「最初からそう言えばよかったのに」
「言うわけないでしょう!」
エリサベットは胸を張って歩き出した。数歩進んで、立ち止まって、こちらに向き直った。夕日の中で姿勢を一度正した。
「今日は一緒に遊んでくれて、ありがとう。とても楽しかったわ。……予定が合えば、また一緒に遊びましょう」
今度は目を逸らさなかった。それだけ言うと、返事を待たずに駅のほうへ歩いていった。鞄の中には三人で撮ったシールが入っている。お姉さまに見せるのだと言っていた。
「良い方でした!」
フィオナが手を振った。その手にもシールが握られていた。
「うん。また遊ぼうね」




