第156話 庶民遊戯5
土曜日の昼過ぎ、葵はリースの研究室の扉を叩いた。
「入れ」
中は機械と部品の山だった。リースは作業台に向かったまま、顔だけこちらへ向けた。
「葵か。できてるぞ」
作業台の端から小さな袋を取って、投げて寄越した。受け取ると透明のフィルムが数枚入っていて、どれにも細い銀色の線で魔法陣が描かれていた。
「腕に貼って、上から魔力を通せば定着する。一週間で消える。何枚か入れてある。足りなくなったら作ってやる」
「ありがとうございます」
「試せ。動かなかったら作り直す」
葵は袖をまくってシールを左腕に貼った。フィルムを剥がし、魔力を通す。銀色の線が肌の上で一度光って、タトゥーになった。
陣に触れる。
淡い光が床から天井へ伸びて、その中から白い鎧が降りてきた。
よかった、うまく召喚できた。
「葵殿!」
フィオナが着地して開口一番に言った。
「何で土曜日なのに、0時に呼んでくれなかったんですかー!」
「えっ」
「約束したではないですか。次は土曜日に呼ぶと。土曜日は0時から始まっているのですよ。私は0時からずっと、天界フォンの前で正座して待っていたのです」
言いながらフィオナはもう葵に抱きついていた。鎧が硬い。体の芯が前よりしっかりして、動きにキレがあった。訓練を頑張っているらしい。頑張っているのに、甘え方は前のままだった。
「ごめんね。次から気を付けるよ」
「1日の始まりは、0時からなのです」
「うん、覚えておく」
「無事に召喚できたようだな」
リースはそれだけ言った。もう作業台に向き直っていて、こちらを見てもいなかった。指先で小さな部品をつまみ、レンズを覗き込んでいる。興味はとうに別の何かへ移ったようだった。
「リース先生、ありがとうございました」
「ん」
返事とも言えない返事だった。葵はフィオナを連れて静かに研究室を出た。
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廊下に出ると葵は鞄から畳んだ服を出した。
「これ、フィオナさんの分。学園の運動着だよ。鎧だと目立つから、用意しておいたんだ」
「私の……?」
フィオナが受け取って広げた。学園の校章が胸に入った白と紺の運動着だった。サイズはフィオナに合わせてある。
「私のために、用意してくれていたのですか」
「うん。今日は生徒会室に行くから、動きやすい方がいいと思って」
フィオナは運動着を胸に抱えた。それから騎士の顔で頷いた。
「着ます。一生着ます」
「普通に着てくれたらいいよ。更衣室はそこだから、着替えてきて」
葵は廊下の先の更衣室を指した。フィオナが入っていき、葵は前で待った。扉の向こうから、鎧の外れる音と鼻歌が聞こえた。
出てきたフィオナは運動着姿だった。橙色の髪と校章の紺が案外似合っていた。
「どうですか、葵殿」
「うん、似合ってる」
「ふふ。学園の生徒みたいです」
フィオナは袖を撫でて嬉しそうだった。
「じゃあ、行こうか。まずお菓子を揚げるよ。先輩に持っていく約束なんだ」
「揚げ……」
フィオナの目の色が変わった。
食堂の調理場を借りてクルシチキを揚げた。細く切った生地が油の中で膨らんで金色になっていく。網に上げて油を切り、手のひらをかざして光の魔法を薄く通した。余分な湿り気が飛んで表面が乾いた音を立てる。粉砂糖を振ると金色の上に細かい雪が積もった。
その一本に白い手が横から伸びた。
「フィオナさん」
「つ、つまみ食いではありません。毒見です。騎士の務めです」
「フィオナさんの分も、ちゃんとあるから」
葵は揚げた分を二つに分けた。蒼玲に持っていく包みと、もう一つの紙袋。紙袋の方をフィオナに渡す。
「これ、フィオナさんの。生徒会室に着いたら食べてね」
「私の分……! 葵殿、一生ついていきます」
「うん、ありがとうね」
生徒会室へ向かう廊下で、隣からサクサクと音がし始めた。
「フィオナさん、廊下で食べちゃダメだよ」
「美味しくて、止まらないのです……サクサク……」
「着いてからって言ったのに」
「揚げたては、揚げたてのうちに食べるのが、作った人への礼儀なのです……サクサク……」
さっきと同じく、理屈はフィオナに都合よくできていた。葵は少し考えてやめた。紙袋の中身が半分になる前に着けばいい。歩調を少しだけ速めた。
「そういえば、フィオナさんに言ってなかったね。これから会う蒼玲先輩は、生徒会長なんだ。それと、大龍帝国の皇女様」
サクサクが、止まった。
「皇女……帝国? 葵殿、帝国とは、どこの」
「中国だよ」
「なんと。中国が、帝国になっているとは」
フィオナは本気で驚いていた。フィオナが生きていた頃、中国は帝国ではなかったらしい。死んでいた三十年の間に、世界は思ったより変わっている。フィオナは紙袋を抱えたまま、しばらく考え込んでいた。
「それは、失礼な態度を取れませんね」
「ううん、優しい人だから大丈夫だよ、……多分」
「多分、とは」
「大丈夫だよ」
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生徒会室の扉を開けると正面の大きなモニターが光っていた。
見慣れない機械が繋がっている。画面には、虹色の道を走る車たちと太いロゴが躍っていた。
『カオス・クルーザーズ ~アイテム大乱闘レーシング~』
「来たわね、葵」
蒼玲が長机の向こうで足を組んでいた。それから葵の後ろへ視線を動かした。
「あら。あなたが、ヴァルキリーのフィオナ・オコナーね」
「先輩、フィオナさんのこと知ってるんですか」
「この学園で起こったことは、全て知ってるわ」
蒼玲は自慢げに髪を払った。
「さすが生徒会長です」
葵が素直に感心すると蒼玲は満足そうに頷いた。
フィオナが一歩前に出た。背筋が伸びて胸に手が当てられた。騎士の礼だった。
「アスガルドのヴァルキリー、フィオナ・オコナーです。お会いできて光栄です、殿下」
頭は深くは下がらなかった。神界の騎士が人間の皇女に取る対等の礼らしかった。蒼玲も皇女の顔で受けた。一瞬、生徒会室が外交の場のような空気になった。
三秒だった。
「ところで、なんで運動着なの」
「葵殿がくれたのです」
空気が解けた。蒼玲が調子を崩したのが分かった。
「……変わった騎士ね」
「あ、先輩。これ、約束のクルシチキです。揚げたてです」
葵が包みを渡すと、蒼玲は一本を口に運んで目を細めた。
「……いいわ。約束通りね」
そのとき、フィオナが動きを止めた。紙袋を抱えたまま蒼玲と葵を見比べる。
「葵殿。先週の土曜も、この御人と遊んでおられたのですか」
「うん。土曜は庶民の遊びをする日だから」
「……そう、でしたか。あの日、私の誘いを断った理由は、殿下と……むむむ」
フィオナが低く唸った。騎士の礼儀は保たれていたが、目が据わっていた。蒼玲は意味が分からず眉を上げた。葵にも分からなかった。
「なあに、その唸り方」
「何でもありません、殿下。……むむむ」
「まあ、いいわ。今日の庶民遊戯は、これ。庶民が家族や友人と大騒ぎしながら遊ぶ、レースゲームよ」
蒼玲がコントローラーを三つ机に並べた。
「その前に、先輩」
葵は鞄からあるものを出した。白いうさみみのカチューシャだった。
「今日は僕から、罰ゲームを持ってきました。負けたら、これをつけましょう」
毎回、蒼玲は葵サイズの恥ずかしい衣装を用意してくる。バニーの一件で葵は学んだ。先にこちらから穏当な罰を提案しておけば衣装の出番はない。そういう作戦だった。
「あら、ちょうどいいわ」
蒼玲は長机の下から見覚えのある大きさの袋を取り出した。
「最下位は、私が用意したこの衣装。二位が、そのうさみみ。二段構えにしましょう」
作戦は、合流されて終わった。
「殿下、その袋の中身は何ですか」
「開けてのお楽しみよ」
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「さあ、キャラクターを選びなさい」
蒼玲がコントローラーを配った。フィオナは受け取ったそれをしげしげと眺めた。
「これが未来、いや、現代のゲーム機……」
「フィオナさん、ゲーム機、昔と違う?」
「私が生きていた頃にも、似たゲーム機はありました。警備隊にいた頃、訓練所で友人たちと、よくやったのです。レースのゲームも」
フィオナはスティックに親指を置いて二、三度倒した。手つきに迷いがなかった。画面のカーソルが素直に動いて、熊の上で止まった。
「この熊にします。力が強そうなのです」
「パワー系ね。当たりに強いけど、小回りは利かないわよ」
「騎士は力です」
蒼玲は素早そうな兎を選んだ。葵は癖のなさそうな標準の狐にした。ライラは葵の膝の上に座って画面を見上げていた。
コースは『レインボー・フォレスト』。出走は二十台。三人のほかはCPUが十七台走るらしかった。画面がスタート位置に並んだ車で埋まって賑やかだった。
信号が三つ数えて青になった。
蒼玲の兎が、先頭集団を置き去りにした。
「ふふ。見たかしら」
合図に合わせてアクセルを踏むと加速が付くらしい。蒼玲はそれを一発で決めていた。葵は普通に踏み出して、二十台の真ん中あたりに揉まれた。フィオナは五、六番手につけていた。手つき通り、走りも慣れていた。
蒼玲はそのまま独走した。
最初のヘアピンで兎が横に滑った。事故かと思ったら、滑ったまま向きを変えて火花を散らし、加速して出ていった。
「これがドリフトよ」
「殿下、お上手ですね。……練習してきましたね?」
「皇女は、常に備えるものよ」
ルミナスの時と同じだった。この人は、庶民の遊びに全力の準備をしてくる。
葵は中団で道に浮かぶ箱を拾いながら学んでいた。このゲームは順位で箱の中身が変わる。前にいるほど守りの物、後ろにいるほど強い物が出る。CPUの相手たちが撃ち合う油だの弾だのをくぐり抜けて、少しずつ順位を上げた。最終ラップに入る頃には二位まで来ていた。前は蒼玲だけだった。
最下位付近まで落ちていたフィオナの画面が、光った。
「……葵殿。雷のマークが出ました」
「フィオナさん、それ、たぶん」
「知っています。友人たちとのゲームにも、こういうものがありました。」
フィオナの親指が、ボタンを押した。
空が光った。独走する蒼玲の兎の頭上に、雷が落ちた。
「なっ……!?」
兎が黒焦げで縮んで止まり、CPUが次々と抜いていった。葵はその脇を静かに走り抜けて、一位に出た。
蒼玲は立て直して追ったが、その横を後ろから来た熊が凄まじい速度で抜いていった。
「ちょっと待ちなさい。あなたの速さ、おかしくないの!?」
「後ろの者は、速くなるのです」
離されすぎた車には追いつくための速さが与えられるらしい。ビリの方から来る車ほど速い。先頭は雷に落とされ、ビリは風のように戻ってくる。誰も安全な場所にいられない仕組みだった。
「理不尽だわ! 先頭は狙われて、ビリは速くなるなんて、どこに正義があるの!?」
「みんなで最後まで競り合えるのが、正義なのだと思います」
葵はそう答えて一位でゴールした。
順位表が出た。一位、葵。フィオナは六位、蒼玲は七位だった。
「……庶民は、恐ろしい遊びをしているのね」
蒼玲がコントローラーを握り直した。目が本気になっていた。
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第二レース。コースは『アイス・キャニオン』。氷の谷だった。
スタートの合図で、蒼玲は踏まなかった。
「殿下、出遅れましたよ」
「わざとよ」
兎はゆっくり走り出して集団の中盤に紛れた。一戦目の独走が嘘のような地味な位置だった。だが箱を拾うたび兎の手元に強い物が集まっていった。前にいては出ない物ばかりだった。
学習している、と葵は思った。先頭は雷に落とされる。なら先頭に立たなければいい。後ろで力を溜めて終盤に出る。一戦で仕組みを読んで走り方ごと変えてきた。
中盤の氷のトンネルで蒼玲が動いた。
追尾するミサイルが三連続でフィオナの熊に突き刺さった。熊が氷の壁に跳ねて雪崩に埋まった。
「殿下!? 今のは!」
「あら。一戦目のお返しよ」
「雷は、ゲームの掟です。恨みっこなしです」
「ミサイルも、ゲームの掟よ。恨みっこなしね」
「……むむむ。いいでしょう。ならば私も、掟に従うまでです」
そこからは、戦争だった。
雪崩を抜けた熊が油を撒いた。兎が滑って壁に当たる。兎が巨大化の箱を引き、膨れ上がった体で熊を谷へ弾き飛ばす。熊が谷底から速さを取り戻して舞い戻り、画面反転を撃ち込む。蒼玲の手元が狂って兎が逆走する。
「オコナー! あなた、さっきから私ばかり!」
「気のせいです、殿下」
「機械の相手が十七台もいるのに、なぜ私だけ!?」
「掟です」
フィオナのアイテムは全部蒼玲に向かっていた。葵の狐が真横を並走してもフィオナは撃たなかった。
僕を勝たせようとして、やってくれているのかな。
葵は、そう思った。そんなことしなくていいのに、とも思った。勝負は自分の力でやりたい。
だが、見ているうちに違う気がしてきた。
フィオナは、CPUが一位に立っても妨害しなかった。蒼玲が順位を落とせば自分の順位を捨てて追いかけていった。僕を勝たせようとしているのではない。なぜか、蒼玲先輩ばかり狙っている。
理由は、分からなかった。
二人が氷の谷で潰し合っている間に葵は静かに先頭へ出た。だが最終コーナーの手前で、溜めていた蒼玲が来た。ニトロの青い炎を引いて兎が狐を抜き去った。
「見たわね!? これが私の走りよ!」
蒼玲がコントローラーを掲げて立ち上がった。一位、蒼玲。葵は二位だった。フィオナは雪崩の中で終わった。
「次です。次で決めます」
熊の中の人が低い声で言った。
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最終レース。コースは『ボルケーノ・シティ』。溶岩が噴き出す街だった。
総合は葵と蒼玲が並んでいた。このレースで決まる。
「葵、覚悟なさい。今日という今日は、私が勝つわ」
「殿下。その前に、私がいます」
「あなたは総合最下位でしょう」
「騎士は、最後の一戦にすべてを懸けるのです」
スタートの合図で三人が同時に踏んだ。今度は蒼玲も出遅れなかった。
そして開幕から撃ち合いが始まった。
フィオナの油に蒼玲が滑り、蒼玲のブーメランが熊を回転させ、回転したままの熊が体当たりで兎を溶岩に押し出した。二人ともみるみる順位を落とした。順位が落ちるほど強い物が出た。強い物が出るほど相手に撃ち込んだ。撃ち込むほど二人まとめて順位が落ちた。
「殿下ーっ! 今のは卑怯です!」
「あなたが先に撒いたんでしょう!」
順位を上げるための力を、二人は順位を下げ合うことだけに使っていた。CPUたちがその脇を素通りして先へ行った。
葵はその騒ぎの遥か前を、一人で走っていた。
箱を拾う。守りの盾が出る。張っておく。溶岩の噴く間合いを読んで丁寧に曲がる。それだけだった。誰も撃ってこなかった。後ろの雷は全部後ろ同士で落ち合っていた。
静かだな、と葵は思った。
最終ラップ、市街地の直線で、後方から二つの光が猛速で迫ってきた。速さを取り戻した兎と熊だった。二人とも最下位圏から風のように戻ってきていた。
「葵! そこを退きなさい!」
「葵殿! 一位はお譲りします! ですが殿下には渡しません!」
「だから、なぜ私なの!?」
二つの光は並んだまま、直線の途中で互いに最後のアイテムを撃ち合った。雷と巨大化が同時に発動して、巨大化した熊に雷が落ちた。大きい分だけ、よく当たった。熊は黒焦げで縮み、兎はその熊を避けそこねて、二台まとめて溶岩の噴水に消えた。
葵は、静かにゴールした。
だいぶ待って蒼玲が入った。フィオナの熊は最後の溶岩から出られないまま、時間切れの音楽が鳴った。
総合結果が画面に出た。
一位、葵。二位、蒼玲。最下位、フィオナ。
「……また、私が負けたのね」
蒼玲が息を吐いた。それから、切り替えるように立ち上がった。
「いいわ。皇女に二言はない。……オコナー。あなたが、袋よ」
「……はい」
フィオナが小さくなって返事をした。
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袋から出てきたのは、ナース服だった。
白衣に、白いストッキングと細いガーターベルトが付いていた。葵サイズだった。
「殿下。これは、その、私には小さいのでは」
「罰ゲームに、サイズの交渉はないわ」
蒼玲が指を鳴らして木の衝立を出した。
フィオナは衝立の陰に消えた。布の擦れる音と小さな悲鳴のようなものが、しばらく続いた。
「……で、できました」
出てきたフィオナに、生徒会室が静かになった。
白衣が、体の線のすべてで張り詰めていた。葵の丈に作られた服は、フィオナの肩で袖が肘までしかなく、裾は腿の半ばで終わっていた。ボタンは胸の上で健気に耐えていて、呼吸のたびに布がぴんと音を立てそうに張った。騎士として鍛えられた体は、隠す布が足りないとかえって輪郭が際立った。腕にも脚にもしなやかな力の線が通っていた。
白のストッキングは長い脚の膝までしか届いていなかった。葵サイズのガーターベルトは腰で精一杯で、吊り紐はストッキングにあと少し届かず、太腿の白い素肌の上で所在なく揺れていた。届いていないのに、届いていないことが妙に目を引いた。
白い衣装に身を包み、顔だけが赤かった。
「は、はわわ……葵殿、見ないでください……いえ、見てください……いえ、やっぱり見ないで」
フィオナは裾を引っ張った。裾を引くと胸が危なくなり、胸を押さえると裾が上がった。両手が忙しく行き来して、どこも守り切れていなかった。
「フィオナ、はちきれそう」
ライラが率直に言った。
「ら、ライラ殿! 言わないでください!」
「フィオナさん、白いから、鎧みたいだね」
葵は素直に言った。白衣の白はフィオナの鎧と同じ色だった。よく似合っていて綺麗だと思った。
「鎧……そ、そうです。これは白衣の鎧。私は治癒の騎士なのです」
フィオナは無理やり騎士の理屈で立て直した。背筋を伸ばすとボタンがまた張り詰めた。伸ばした背筋は三秒で崩れて裾を引く作業に戻った。
蒼玲はうさみみのカチューシャを手に取った。
しばらく、それを見ていた。白いうさみみと、モニターの総合順位表を順番に。二位。皇女の指が、カチューシャの縁を一度なぞった。
「……二位も、負けは負けよ」
蒼玲は低く言って、澄ました顔で頭に載せた。白いうさみみが黒髪の上でぴこんと揺れた。組んだ足も表情も崩さなかったが、その横顔にははっきりと屈辱の色があった。皇女に二言はない。ないからこそ、悔しさだけが行き場を失って、揺れる耳の先に溜まっているようだった。
葵は隣で裾と格闘しているフィオナと、うさみみの蒼玲を見比べた。蒼玲先輩は、フィオナさんより大きい。あの服を着ていたら、もっと大変なことになっていた。
まだ、フィオナさんでよかった。
葵は、そう思った。思っただけにした。
「お二人とも、似合ってます」
葵は素直に言った。ショーみたいで綺麗だと思った。
「「………」」
ナースの騎士とうさみみの皇女が、同時に黙った。それから、なぜか二人で顔を見合わせた。
「……オコナー。あなた、来週も来る?」
「参戦します。」
「いいわ。なら、来週はあなたも衣装を持ってきなさい。女性用Mサイズよ」
「! ……殿下、話が分かりますね。望むところです」
「蒼玲でいいわよ」
「では私のことも、フィオナと」
さっきまで撃ち合っていた二人が固い握手を交わしていた。潰し合いの果てに何かの同盟が結ばれたらしかった。
女性用Mサイズ。葵は考えた。どう見ても、二人はLかXLサイズが必要そうなのに。誰が着るんだろう。
嫌な予感が、遅れてやってきた。
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それから、罰ゲームの格好のままレースは続いた。
ナース服の騎士とうさみみの皇女が、画面の中で撃ち合った。勝ったり負けたりした。フィオナが勝てば蒼玲が「もう一戦」と言い、蒼玲が勝てばフィオナが「もう一戦です」と言った。葵はときどき優勝しながら二人の間で静かに走り続けた。窓の外が橙色になる頃、ようやくコントローラーが置かれた。
「今日は、ここまでね」
うさみみを外した蒼玲はいつもの生徒会長に戻っていた。
「フィオナ。来週、忘れないことね」
「はい、蒼玲殿。楽しみにしていてください」
着替えを済ませたフィオナと生徒会室を出た。
夕方の廊下は静かだった。窓から差す光が床を橙色に染めていた。
隣を歩いていたフィオナの手が葵の手に触れた。触れて、指が一本ずつ葵の指の間に入ってきた。噛み合わせるような繋ぎ方だった。前にもあった繋ぎ方だと、葵は思った。
「こうして、この格好で手を繋いで歩くと」
フィオナは運動着の袖を繋いでいない方の手で撫でた。
「同じ学校に、通っているみたいですね」
声が嬉しそうだった。葵は少し考えた。フィオナは学園の生徒ではない。でも、今日一日は生徒みたいだった。運動着を着て、生徒会室で遊んで、廊下を歩いて帰る。
「そうだね。……フィオナ先輩」
フィオナの足が、止まった。
「せ、先輩……! 葵殿、今、先輩と」
「フィオナさんは年上だから、先輩かなって」
「先輩……ふふ、ふふふ。そうです、私は先輩なのです。葵殿の先輩なのです」
フィオナは繋いだ手を大きく振って歩き出した。廊下の窓に運動着の先輩と後輩が映って、揺れていた。
「今夜は、フィオナ先輩の好きなラムチョップを作るね」
「ラムチョップ! 骨のところを持って食べる、あれですね!」
「うん。骨のところを持って食べる、あれ」
「今日は、なんて良い日なのでしょうか。ゲームをして、クルシチキを食べて、先輩と呼ばれて、ラムチョップ……」
フィオナの歩調が弾んでいた。葵はふと思い出して聞いた。
「そういえば、帰るときは日曜日の夜でいいの?」
フィオナが、ぴたりと止まった。
「葵殿! 何てことを言うんですかー!」
「え」
「1日の終わりは、翌日の朝です。日曜日は、月曜日の朝まで続いているのです」
「来るときは、0時からって言ってたのに」
「1日の始まりは0時。1日の終わりは翌朝。常識です」
フィオナは胸を張って言い切った。始まりは0時で、終わりは翌朝。フィオナの一日はどうやら普通の一日より長くできている。全部、フィオナに都合よくできていた。
葵は、笑ってしまった。
「じゃあ、朝ごはんまでだね」
「はい!」
繋いだ手が、また大きく揺れた。夕方の廊下に二人分の足音が続いた。




