第153話 ソウルチューニング2
金曜日の放課後、葵は南棟の地下へ降りた。
鍛冶部の扉を開けると、熱気が顔に当たった。奥の魔力炉に火が入っている。アリアが作業台の前に立っていた。金髪のポニーテールが、炉の明かりで揺れている。
「来た」
「よろしくお願いします」
葵は頭を下げた。前回教わったことをまとめたノートを、鞄から出して作業台に置く。
「火曜は、なかったから」
アリアが言った。
「今日が二回目」
火曜日は蒼玲の誕生日会で、アリアも出席していた。
「あの、先輩。今週は、ダンジョンに行ってないんです」
葵は先に言った。前回、杖の中の素材を整えてもらった。今日見てもらっても、新しい素材が何もない。
「それが普通」
アリアはあっさり言った。
「毎週行く場所じゃない」
「そうなんですか」
「浅い層でも、命の危険がある。毎日のように潜れば、心が疲弊する。疲弊した心は、判断を鈍らせる。ダンジョンで不覚を取る。死ぬ」
アリアは手を止めずに言った。事実を並べる声だった。
「その点、鍛冶は違う。武器の研究は、いくらやっても死なない」
鍛冶も、やりすぎたら駄目な気がする。過労死という言葉が、世の中にはある。
葵は、そう思った。何も言わなかった。
「これ」
アリアが作業台の下から、畳んだ布の束を出した。作業着だった。前回借りた予備とは色が違う。濃い灰色で、折り目が新しい。
「あなたの」
「僕の、ですか」
「言った。合うのを用意すると」
葵は受け取った。広げると、丈が前のものより短い。袖も細い。前回の予備は、袖を二回折っても余った。
「着てみて」
葵は上から羽織って、袖を通した。丈が合っていた。袖口が手首で止まる。腰の紐を結ぶと、布が体に沿った。
「動いて」
葵は腕を回し、しゃがんで、立った。どこも突っ張らない。
「すごい。ぴったりです」
「サイズは前回、見た」
アリアは葵を上から下まで一度見て、それから小さくうなずいた。作業台の引き出しから、ゴーグルを出す。
「これも」
葵はゴーグルをかけた。目の位置が、合っていた。こめかみも痛くない。前回はアリアに指で直してもらった位置に、最初から収まっている。
「ありがとうございます。あの、代金は」
「部の備品。部員は使う」
アリアはそれだけ言って、作業台の上を片づけ始めた。空いた台の上に、布を敷く。その上に、金属の板が並べられていった。大きさは手のひらほど。色も、光り方も、少しずつ違う。全部で六枚あった。
「今日は、金属」
アリアが椅子に座った。それから、自分の膝を軽く叩いた。
「座って」
「はい」
葵はアリアの膝の上に座った。前回もこうだった。あなたが小さいから、動かなければ説明しやすいから、とアリアは言う。葵の背中に、アリアの体温が当たる。作業台の金属板が、ちょうど目の高さに来た。
「鍛冶は、素材を知ることから。金属が分からない者に、武器は作れない」
アリアの腕が葵の横から伸びて、一枚目の板を取った。灰色の、鈍い光の板だった。
「鉄。普通の鉄。持って」
葵は受け取った。ずしりと重い。冷たい。
「重さを覚える。手のひらで」
葵は手のひらの上で、板を少し上下させた。重さが手に残る。
「次」
二枚目は、少し白っぽかった。受け取ると、鉄より軽い。
「アルミ。軽い。柔らかい。武器には向かない」
三枚目、四枚目と続いた。銅は赤みがあって重い。タングステンは小さいのに一番重かった。葵は一枚ずつ手のひらに載せて、重さと色をノートに書いた。
五枚目に、アリアの手が止まった。
「ここから、違う」
五枚目の板は、一見すると鉄に似ていた。灰色で、鈍い。だが受け取った瞬間、葵は違いが分かった。
重さの割に、手に馴染む。冷たくない。手のひらに載せていると、板の輪郭が手に吸いつくような、静かな収まり方をする。
「これ、何か違います」
「エーテライト。魔力を帯びた鉱物。まとめてそう呼ぶ」
アリアが葵の手から板を取り、炉の明かりにかざした。
「見た目は鉄と似てる。だが、光り方が違う。よく見て」
葵は目を凝らした。炉の火が板の表面で揺れる。普通の鉄なら、光は表面で跳ね返るだけだった。この板は、光がわずかに沈む。表面のすぐ下に、もう一枚薄い層があるような、深い光り方だった。
「光が、少し沈んで見えます」
「そう。魔力が光を吸う。それが見分け方の一つ」
アリアは板を作業台に戻し、指の背で軽く叩いた。澄んだ音がした。鉄より高く、長く残る音だった。
「音も違う。魔力を帯びた金属は、音が残る」
「重さと、光り方と、音」
「それで大体分かる。等級までは分からない。等級は、道具で測る」
六枚目は、五枚目よりさらに深い色をしていた。葵が受け取ると、手のひらが少し温かくなった気がした。
「等級が上のエーテライト。触ると分かる。魔力が多いほど、手に応える」
葵は五枚目と六枚目を、両手に一枚ずつ載せた。確かに違う。右の手のひらの方が、はっきりと応えてくる。
「不思議です。金属なのに、生きてるみたいで」
「生きてない。だが、応える。素材は、扱う者に応える」
アリアの声は、いつもと同じ平らな声だった。ただ、その一言だけ、少しゆっくりだった。
「じゃあ、磨く」
アリアが葵を膝から下ろした。作業台に、磨き布と小さなヤスリが置かれる。前回、道具の場所を教わったときに見たものだった。
「鉄の板。磨いて」
葵は椅子に座り直して、鉄の板に磨き布を当てた。力を入れて、こする。
「力、入れすぎ」
アリアが横から言った。
「磨きは、力じゃない。往復の数。同じ力で、同じ方向に、何度も」
葵は力を抜いた。同じ方向に、布を滑らせる。十回。二十回。板の表面が、少しずつ変わっていく。曇りが薄れて、光が均一になっていく。
「そう。その力のまま」
葵は磨き続けた。単純な作業だった。だが、面白かった。往復のたびに、板が確かに変わる。手の中で、素材が応えてくる。
アリアは隣で自分の作業をしながら、時々、葵の手元を見た。何も言わないときは、合っているということらしかった。
気づくと、窓の外が暗くなっていた。
「今日は、ここまで」
アリアが言った。葵の磨いた鉄の板を取り、炉の明かりにかざす。
「悪くない」
「ありがとうございます」
「次は、熱処理。金属を熱して、冷やす。金属の性質が変わる」
葵は作業着を脱いで、畳んだ。アリアがそれを受け取り、作業台の下の棚に置いた。前回の予備とは別の、専用の場所だった。
「ゴーグルも。ここに置いておく」
「はい。よろしくお願いします」
葵は頭を下げて、鍛冶部を出た。
階段を上がると、胸のポケットからライラが顔を出した。
「葵、鉄の匂い」
「磨いてたからね」
「アリア、畳み直してた」
葵は少し考えた。自分でも畳んだはずだった。
「僕の畳み方、雑だったのかな」
「……違う」
ライラはそれだけ言って、ポケットに引っ込んだ。




