第151話 象徴の火
金曜日の一限は、魔法工学だった。
「葵、こっち」
茜が隣の席を指した。
「うん」
葵が座ると、左からセレンが来て腰を下ろした。右に茜、左にセレン。木曜と同じ並びだった。
教卓に、リースが立っていた。背後のパネルに青白い光が灯り、人の形の輪郭が静かに揺れている。オルタだった。
「今日は演習だ」
リースが言った。淡い水色の目が、ホールを見渡す。
「前回、三層構造をやった。外枠、属性紋、象徴文字。今日は、その象徴文字を読む。初級の魔法陣に使われる形からだ」
葵はうなずいた。崩したラテン語で書かれた、あの読みにくい文字だった。
「今、教科書に載っている組み方は、今のところ、いちばん効率がいいとされているものだ。だが、象徴文字の研究はまだ途中だ。この先、もっと効率のいい組み方が見つかるかもしれない。あるいは、これが限界なのか。それも、まだ分かっていない」
茜が小声で「奥が深いのね」と呟いた。葵はうなずいた。
前の方の生徒が、手を挙げた。
「これって、現代魔法の魔法陣ですよね。更新されたら、僕たちが魔法を使うときの魔法陣も、変わるんですか」
「半分正解で、半分違う。」
リースは即答した。
「魔法を撃つとき、浮かぶ魔法陣。あれは、お前たちが『魔法を使うと、魔法陣は浮かぶものだ』と思っているから、そう浮かぶ。イメージが出ているだけだ。研究でいい組み方が見つかっても、お前たちの頭の中が変わらない限り、浮かぶ形は変わらん。」
「じゃあ、浮かばせないことも」
「できる。『魔法陣は消せる』とイメージできれば、浮かべずに撃てる。それも、イメージの問題だ。だが、それは魔法工学の話じゃない」
リースが手を振って、話を切った。葵は、そういうものなのか、と思った。
「では、配る」
教卓の前の空間から、薄い光の紙が一枚ずつ、それぞれの席へ滑ってきた。
葵の手元にも届いた。白黒だった。線だけで描かれた魔法陣がいくつも並び、そのうちのいくつかは、一部が空欄になっている。属性紋の一画が抜けていたり、象徴文字の一つが欠けていたりした。
「欠けている部分を、読んで埋めろ。何が抜けているかが分かれば、書ける。では、始めろ。」
葵はプリントを見た。一問目は火だった。属性紋の外周の一画が空いている。教科書の一覧と見比べて、抜けている線を書き足す。属性紋は、一覧をたどれば埋まった。
難しいのは象徴文字の方だった。崩して組み合わせてあるので、どの線が何を意味するのか、すぐには出てこない。葵は一つずつ、教科書と照らし合わせて書いていった。
火の魔法陣の一つで、手が止まった。
象徴文字が一つ、欠けている。前後の形から、燃やす、という意味の文字が入るらしかった。葵は該当の形を探して、線をたどりながら書き写した。
書いているうちに、指の先に、熱が戻ってきた。
嵐の空中回廊。散盟で呼び出したキマイラが、炎を吐いた。ズメイの三つの首が、赤い火を噴いた。あのとき、神魔の火は、葵の胸の奥から喉、腕、指先へと、魂の器を一本の道のように通り抜けて、外へ出ていった。その道筋の熱が、今、同じ順で、指の先に戻ってきていた。胸が熱を持ち、腕の内側がわずかに疼いた。
葵は、書きかけの象徴文字を見た。
外枠で囲い、属性紋で火に傾け、象徴文字で燃やす方向へ向ける。その形が、あのとき魂を通った火の流れと、重なった。
この火は、自分でも出せるかもしれない。
葵は、そう思った。陣の示す通りに魔力を流せば、あのとき神魔がくぐらせた火を、今度は自分の手からも出せる気がした。
もっとも、確かめようはなかった。ここは教室だった。火を出す場所ではない。葵は象徴文字の残りを書き足して、次の問題へ進んだ。
「やめ」
リースが言った。
「答え合わせだ。前から順に」
リースが教卓の上に、一問目の魔法陣を浮かべた。欠けていた部分が、正しい形で光っている。二問目、三問目と進んでいく。
葵は自分の解答と見比べた。属性紋は、全部合っていた。象徴文字は、埋められたものは合っていたが、時間内に書ききれず空欄のまま残った問題が少しあった。
十問目まで進んだ。
葵は左を見た。セレンのプリントは、空欄がすべて埋まっていた。属性紋も、象徴文字も、十問すべて合っている。
「セレン、全部あってる」
葵は言った。
「どうして分かるの」
「死ぬ気で覚えた」
セレンが短く言った。
「なんで」
「内緒」
セレンはそれだけ言って、プリントを裏返した。葵は、その横顔を少しの間、見た。何か言いかけて、やめた。セレンは、もう前を向いている。葵も、それ以上は聞かなかった。
「今日はここまでだ」
リースが言った。
「言っておくが、アービターの定期テストは、選択式だ」
ホールの空気が、少し緩んだ。どこかで、小さく息をつく音がした。
「安心するな」
リースが続けた。淡い水色の目が、少しだけ笑う。
「本格的に魔法工学をやるなら、選択式では済まん。読めて、書けなければ、話にならない。今日はその第一歩だ」
背後のパネルで、青白い光が揺れた。
「補足します」
オルタの穏やかな声が響いた。
「本日の演習範囲は、期末試験に含まれます。象徴文字の書き取りは、繰り返しの練習を推奨します」
葵は、手元のプリントを見た。書き足した火の象徴文字が、線の中に収まっている。さっきの熱を、もう一度思い返した。神魔の火が通った道と、この陣の火の道筋。同じ形をしていた。
この火は、使えるかもしれない。
葵はそう思った。魔法実技演習の時間にでも、試してみよう。




