第14話 鍛冶部
金曜の朝。
——光よ、満ちよ。サナティオ・ルクス。
温かさが体の奥に広がって、夜の重さが消えていく。
机の端に目を向けた。短剣の箱がある。
昨日ハルトマンに教わった突きと薙ぎの動作を、部屋の中で少しだけ繰り返してみた。
狭いから大きく動けなかったけれど、握り方の感触は残っていた。
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三限の剣技の時間。
ハルトマンはいつも通り無駄口を叩かなかった。基礎トレーニングから入り、木剣を持っての型の練習が始まった。
葵は繰り返しながら、昨日の短剣の感触を頭の隅で比べていた。
ハルトマンが巡回してきた。葵のそばで少し足を止めた。
「昨日の短剣のことだが」
「はい」
「手入れの方法は把握しているか」
葵は少し間を置いた。
「……していないです」
ハルトマンは何も言わなかった。ただ、少しだけ葵を見た。
「そうか、魔法武器の手入れは通常の進度では1年生でやるものではないからな。
...鍛冶部がある。場所を知っているか」
「知らないです」
「南棟の地下一階だ。放課後、そこで教えてもらえ」
それだけだった。ハルトマンはもう次の生徒のところへ歩いていた。
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昼休み、颯が「鍛冶部?」と目を丸くした。
「何しに行くんだ?」
「短剣の手入れを教わりに」
「なあ、俺も行っていいか?」
「葵は遊びに行くんじゃないんだよ」
茜が静かに言った。
颯は少しだけ残念そうな顔をしたが、
「わかった、やめとくよ」と言って引いた。
「その代わり、アリア先輩が居たらどんなだったか教えてくれ」
葵と茜が颯を見た。
「誰?」
「アリア・コールマン。鍛冶部の部長をしている。生徒会も兼部しているクールビューティーだ」
「颯、なんで知ってるの」
「逆にお前なんで知らないんだよ。
美人の先輩、興味ないのか?」
そう言った。
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放課後、葵は一人で南棟に向かった。
階段を下りると、地下一階への廊下があった。どこかから金属の振動のような気配がする——音ではなく、魔力の残滓のような何かだった。
突き当たりに扉があった。「鍛冶研究部」と書かれた板が掛かっている。
板の端に、誰かが手書きで小さく「最強の武器を作る」と書き足してあった。
葵はその文字を少し眺めてから、扉を叩いた。
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「どうぞ」
返事はすぐに来た。落ち着いた、低めの声だった。
扉を開けると——。
部室は広かった。いや、広いというより、詰まっていた。
壁一面に工具が並んでいる。ヤスリ、砥石、小さなハンマー、細い針のような道具——見たことのないものも多い。
作業台がいくつかあって、それぞれに金属の欠片や制作途中らしき何かが置かれていた。
棚には完成品らしき武器が並んでいる。短剣、ナイフ、魔法陣が刻まれた盾——どれも丁寧に手入れされていた。
部屋の奥の作業台に、一人の女生徒が座っていた。
背が高い。眼鏡をかけており、金色の髪を後ろで一つにまとめていて、作業用のエプロンをしている。
手元の細い工具で、何かの刀身に刻印を入れる作業をしていた。葵が入ってきても、すぐには顔を上げなかった。手元の作業を一区切りつけてから、ゆっくりと視線を向けた。
目が合った。
「一年生?」
「はい。小春葵といいます。ハルトマン先生に、ここへ来るよう言われました」
「ハルトマンが」
女生徒はそれだけ言って、工具を置いた。立ち上がると、葵より少し背が高かった。
「アリア・コールマン。三年生で部長をしている」
「よろしくお願いします」
「用件は何?武器の作成?修理?」
「いえ、魔法武器の手入れを覚えたくて」
「どんな武器?」
葵は鞄から箱を取り出した。
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アリアは短剣を手に取り、刃を目の高さに持ち上げた。光の当たり方を変えながら、鎬の線を確認する。
柄を握って重さを測る。手首を返して、バランスを確かめる。
静かな動作だった。
「クラウ・ソラスのレプリカ」
「知っていますか」
「知っている」
アリアは短剣を葵に返した。返し方が、迷いなかった。まるで見る前から何を見るか分かっていたような——確認を終えた、という動き方だった。
「光属性向けの設計。素材も悪くない」
そこで少し間があった。
「一年生でこれを持っているのは珍しい」
葵は頷いた。でも——何かが少し引っかかった。アリアの目に驚いた色がなかった。珍しい、と言いながら、珍しそうな顔をしていなかった。
——知っていた?
でも、なぜ。
「いろいろあって、受け取ることになって。手入れの方法、分かりますか?」
「うん、問題ない、教えてあげられる」
アリアはそれだけ言って、次の動作に移った。葵はその引っかかりを、うまく言葉にできないまま飲み込んだ。
アリアはしばらく葵を見た。何かを聞こうとして、やめたような間があった。
「銃に興味ある?」
葵は少し間を置いた。
「……少し、あります」
正直に言った。
短剣を手に入れて、ハルトマンに教わりながら思っていたことがあった。自分の戦い方は、どうしても近距離になる。光弾も、短剣も——相手に近づかないと届かない。それが気になっていた。
遠くから、届く手段があれば——漠然と、でも確かにそう思っていた。
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その瞬間、アリアの表情が変わった。
さっきまでの静かな目が、少しだけ——輝いた。
「興味あるのね?」
「はい、あります」
「でも、銃は持ってないと」
「はい、その通りです」
アリアはしばらく葵を見た。
「少し待って」
作業台の引き出しを、一つだけ開けた。迷わなかった。一つ目の引き出しに、細長いケースが入っていた。
戻ってきたアリアの手に、それがあった。
「見て」
ケースを作業台の上に置いて、開けた。
中に、拳銃が一丁入っていた。
「試供品。弾丸付き。でも弾丸がなくても撃てる——」
説明が始まった。葵は聞きながら、作業台の引き出しのことが頭の片隅に残っていた。
「持ってみて」
アリアが銃を差し出した。葵は受け取りながら、その考えを一度だけ打ち消した。
でも胸元のライラが、ほんのわずかに揺れた。
悪意はなかった。ただ——揺れた。
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細身で、全体が黒い。でも銃身の側面に、細かい魔法陣が刻まれていた。グリップの部分に小さな石が一つ埋め込まれていて、淡く光っている。
「私の作った試供品」とアリアは言った。口調は変わらず落ち着いているが、言葉が少し早くなっていた。「弾丸付き。でも弾丸がなくても撃てる。魔力を込めれば、魔力弾として発射できる設計になってる」
「魔力弾」
「銃口から魔力を圧縮して撃ち出す。弾丸を使うより威力は落ちるけど、補給が要らない。魔力が続く限り撃てる」
アリアは葵の前に銃を差し出した。
「持ってみて」
葵は少し迷ってから、受け取った。
思ったより軽かった。でもグリップを握った瞬間、手のひらに馴染む感触があった。魔力の通り道が、どこにあるか——なんとなく、わかる気がした。
「光属性でしょう」とアリアが言った。「その銃、光属性との親和性が高い設計になってる。魔力を流してみて」
葵はライラの気配を確かめた。それから、指先から魔力を——銃身へ。
銃身の魔法陣が、ふっと光った。埋め込まれた石が、青白く輝いた。
「同調が早い」
「短剣も、同じ感じでした」
アリアはしばらく葵を見た。また、何かを判定している目だった。
「……その銃、持っていきなさい」
「え?」
「試供品だから。持っていって、使ってみて。使い勝手を教えてくれれば、それでいい」
「でも、こんなものをもらっていいんですか」
「試供品は使われてこそ意味がある」
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それから、アリアは少し考えるような間を置いた。
「説明する。座って」
椅子を示すかと思ったが——アリアは自分が椅子に腰を下ろし、葵の方を見た。
「ここに座って。膝の上に」
葵は一瞬固まった。
「……膝の上、ですか」
「銃の扱いは、構えを直接確認しながら教えた方が早い。動くと説明できない」
有無を言わせない口調だった。感情は乗っていない。ただ、合理的な説明として言っている——そういう顔だった。
葵は少し迷ってから、アリアの膝の上に腰を下ろした。
アリアの腕が、葵の両側から伸びてきた。軽く、でも確実に、葵の動きを制限する形で。
「動かないで」
「……はい」
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「まずグリップの握り方」
アリアが葵の手に自分の手を添えた。指の位置を、一本ずつ直していく。
「人差し指はここ。トリガーにかけるのは撃つ直前だけ。それ以外は添えるだけ」
「はい」
「両手で持つ。利き手でグリップ、反対の手は下から支える」
葵の手が、正しい位置に収まった。
「次に魔力の流し方。銃に魔力を込めるのはグリップから。さっきやったやり方でいい。ただし、量の調整が重要」
「調整、ですか」
「これは大丈夫だけど、物によっては多すぎると暴発することがある。少なすぎると射程が短い。感覚で覚えるしかない」
アリアは葵の手の上から、グリップをわずかに握り直した。
「今どのくらい流してる?」
「……少し、だと思います」
「もう少し。そこで止めて」
葵は魔力の流れを調整した。銃身の魔法陣が、さっきより少し強く光った。
「そこ。その感覚を覚えておいて」
「わかりました」
「照準は魔力を通せば自然と合う設計になってる。ただし動く目標には慣れが要る」
アリアは続けた。安全装置の位置、弾丸の装填と排莢の手順、魔力弾に切り替えるときの意識の持ち方——一つひとつ、葵の手を動かしながら確認していく。
葵は黙ってついていった。説明は的確で無駄がなかった。でも、その内容が多かった。次から次へと出てくる。
どのくらい経ったか——葵の頭の中が、少しずつ飽和してきた。
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アリアがひと通り説明を終えて、少し間を置いた。
「覚えた?」
「……七割くらい、だと思います」
「正直ね」
アリアは葵を膝から下ろした。葵が立ち上がると、アリアは作業台に戻り、元の刻印作業を再開した。
「今日はそれ持って帰って。メンテナンスフリーでも1週間は使えるはず。次来た時に短剣と拳銃の手入れを教えてあげる。あと残りの三割も」
「……銃の説明が長くなりすぎた」
アリアは少し間を置いてから、それだけ言った。謝罪でも言い訳でもない。ただ、事実として。
「……はい。また来ます」
アリアは手元の作業を続けながら、短く言った。
「うん、また来て」
感情の見えない声だった。手元の刻印作業を再開しながら、葵を見ていなかった。
でも葵は扉を開けながら、ふと思った。
——アリア先輩は、最初からここに来ることが分かっていたような準備をしていた。短剣の反応も、銃の位置も、説明の順序も——何もかもが、最初から整っていた。
たまたま、ということはある。
でも——全部が、たまたま?
答えは出なかった。ライラも何も言わなかった。
葵は廊下に出た。
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「武器、増えたね」
「そうだね。……ライラ、大丈夫?」
「大丈夫。ただ——」
「ただ?」
「葵が強くなっていく感じがする。それが、なんか……」
ライラはうまく言葉にできないようだった。
「嬉しい? それとも怖い?」
「……両方」
葵はその言葉を聞いて、少しだけ立ち止まった。
両方、か。
「ライラ」
「なに」
「僕が強くなるのって——誰かのためになるかな?」
ライラはしばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「なると思う。葵なら守れる人が、増えるから」
葵はその言葉を聞いて、もう一度だけ立ち止まった。
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部室を出ると、廊下はもう夕方の光に染まっていた。
葵は階段を上がりながら、端末を確認した。颯からメッセージが来ていた。
颯:アリア先輩に会えた?
葵は歩きながら返信した。
葵:会えた
すぐに返ってきた。
颯:どんな人だった
葵:きれいな先輩だった
颯:!!! 手入れ教えてもらえた?
葵:教えてもらってない
少し間があった。
颯:え じゃあ何しに行ったんだよ
葵:銃をもらった。膝に座らされて手入れじゃなくて銃の説明をされた
また間があった。今度は少し長かった。
颯:…………
颯:うらやましすぎる
颯:俺も鍛冶部行っていい?
葵は少し笑った。端末をしまって、モノレールの駅に向かった。




