第125話 庶民遊戯4
葵はカードを引いた。
百のライフ。向かいには、六体の軍勢。引いた一枚を、葵は見なかった。まだ、見る必要はなかった。
葵の場に、ユニカが一体。胸の青い核が、静かに葵を見ている。
「ユニカの効果」
「蒼玲先輩の精霊が、三体以上いるとき――その中の一体の力を、少しだけ借ります」
ユニカが、片手を蒼玲の盤面へ伸ばした。光の糸が、姫輝鳥に巻きついた。朱雀の体から、淡い光が、ユニカの方へ流れた。
「連環召喚――その力を借りて、仲間を呼びます」
葵の場で、光がほどけて、新しい精霊が形を取った。続けて、もう一体。小さなレガリア精霊が、二体、葵の隣に並んだ。
借りた光が、朱雀へ戻った。鳥は、何事もなかったように、また蒼玲の側に立った。
「借りたものは、お返しします」
葵が言った。
蒼玲が、その様子を見ていた。
「……何のつもり? そんな弱い精霊を、二体並べたところで」
「はい。この子たちは、戦うためじゃないんです」
葵が、自分の場を見た。ユニカと、二体の精霊。
「ユニカの効果。お互いの場の精霊の数だけ、ユニカの攻撃力が上がる」
ユニカの体の環の紋様が、強く光り始めた。
葵が、場を見渡した。蒼玲側に六体。葵側に三体。合わせて、九体。
「一体につき、五百」
ユニカの攻撃力が、二千五百から――膨れ上がっていった。
四千。五千。六千。
七千で、止まった。
「攻撃力、七千」
葵が言った。
蒼玲が、わずかに目を細めた。それでも、口元の笑みは消えなかった。
「バトル。ユニカで――姫輝龍を攻撃」
ユニカが、地を蹴った。白と金の光が、龍へ向かった。攻撃力七千。龍の三千八百を、大きく超えている。
その時。
蒼玲の伏せていた、最後のカードが跳ね上がった。
「封陣カード――逆鱗」
蒼玲の声が、スタジアムに響き渡った。
「私の姫輝龍の攻撃力を、このターン、倍にするわ」
姫輝龍の体が、赤い光を帯びた。鱗が一枚ずつ逆立ち、龍の全身が、怒れる紅に染まっていく。空気が、熱を持った。
三千八百が、七千六百に。
ユニカの七千を、超えた。
ユニカの光が、龍の紅に押し返された。白と金の光が、龍の鱗の前で、せき止められる。
「あなたの負けよ、小春葵」
蒼玲が、まっすぐ葵を見た。その声には、一片の迷いもなかった。
「私の龍は、傷つけられれば傷つけられるほど、怒り、燃え上がる。それが、逆鱗。あなたのユニカは、私の龍に砕かれる。そして、その反動が――あなたの、残りの百を、削り取るわ」
蒼玲が、片手を上げた。
「これが、姫輝。これが、私のすべて。八歳から積み上げてきた、あなたの思い出ごと――私が、終わらせてあげる」
スタジアムが、静まり返った。
八万の空席が、紅の龍の熱を、ただ見ていた。
葵は、その龍を見上げた。赤く逆立った鱗。七千六百の、怒りの攻撃力。
葵の場のユニカが、押し返されている。胸の青い核が、それでも、消えていなかった。静かに、葵を見ている。
葵は、ユニカを見た。
八歳のとき。引き出しの一番下から見つけた、一枚のカード。角が丸くなって、傷だらけになるまで、何百回も握ってきた。一番好きで、誰よりも信じてきたカード。
葵は――小さく、笑った。
「それは、どうでしょうか」
蒼玲の眉が、動いた。
「……なに?」
葵が、さっき引いたカードを、初めて見た。
それから、ゆっくりと、手札のもう一枚に指をかけた。
「蒼玲先輩。教えてくれて、ありがとうございます」
「なに、を……」
「傷つけられるほど、燃え上がる。怒りで、強くなる。――綺麗な力です。蒼玲先輩らしい」
葵が、そのカードを掲げた。
「でも、ハートリンクは、違うんです」
カードの中で、小さな翼を持った精霊が、光を放っていた。
「ハートリンクは――仲間が強い相手と戦うとき、その隣に立つんです。怒りじゃなくて。誰かを、守りたくて」
葵が、そのカードを、そっと墓地へ送った。
「ハートリンク・マコトの効果。手札から墓地へ送って、発動します」
葵の場のユニカの隣に、小さな光が生まれた。
翼を持った、小さな精霊だった。マコトは、ユニカの背に、両手を、そっと添えた。せき止められていたユニカの光が、また、前へ動き出した。
「マコトは、戦う仲間の攻撃力を――相手の攻撃力の分だけ、上げます」
ユニカの攻撃力が、膨れ上がった。
七千に、龍の七千六百が、上乗せされていく。
一万。一万二千。
一万四千六百。
白と金の光が、紅の龍を、はるかに超えて、燃え上がった。
「な――」
蒼玲が、初めて、後ろへ一歩、下がった。口元の笑みが、完全に消えていた。
「あなたの龍が、強ければ強いほど」
葵が、静かに言った。
「ユニカは、それを超えていきます」
「そんな……私の、逆鱗を……」
「蒼玲先輩が、龍を信じて、最後まで戦ったから」
葵が、まっすぐ蒼玲を見た。
「ユニカも、応えてくれました」
ユニカの光の糸が、紅の龍へ届いた。
一万四千六百の白金の光が、七千六百の龍を、包み込んだ。
龍が、声を上げた。
逆立った赤い鱗が、一枚、また一枚と、青い光の粒に還っていった。怒りの紅が、鎮められるように、澄んだ青へ。長い胴体が、頭が、角が、空中でほどけて、星のように散っていった。
それは、まるで、龍が、安らかに眠りにつくようだった。
姫輝龍が、消えた。
ユニカの光と、龍の光。その差が、蒼玲を貫いた。
一万四千六百と、七千六百。差は、七千。
蒼玲のライフ二千を、はるかに超えていた。
蒼玲のライフが、二千から――ゼロに、なった。
スタジアムの中央で、金色の軍勢が、ゆっくりと光になって消えていった。虎が、鳥が、亀が、麟が、侍女が。一体ずつ、静かにほどけて、空へ昇っていった。
最後の光が消えると、広い無人のスタジアムに、葵と蒼玲だけが、向かい合って立っていた。
葵のユニカが、葵の隣で、青い核を、静かに光らせていた。
デュエルが、終わった。
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蒼玲は、しばらく、動かなかった。
空になった自分の盤面を、見ていた。それから、葵を見た。葵の隣で、ユニカが、青い核を静かに光らせている。
蒼玲が、口を開いた。
「……負けたわ」
短く、それだけ言った。
「あなたの勝ちよ、小春葵」
葵が、頭を下げた。
「ありがとうございました」
葵が、顔を上げた。
「蒼玲先輩。とても、楽しかったです」
蒼玲が、葵を見た。
「あんなに綺麗な盤面、初めて見ました。龍も、四神も、全部揃って、金色に光って。負けそうになったとき、本当に、すごいなって思いました」
葵が、まっすぐ言った。
「だから――罰ゲームは、しなくて大丈夫です。蒼玲先輩は、十分すごかったので」
蒼玲が、葵をしばらく見ていた。
それから、ふっと、息を吐いた。
「馬鹿にしないで」
蒼玲が、台の脇に畳まれた、黒い衣装を手に取った。
「二言はないわ。私は、負けた。罰ゲームは、受ける」
「でも」
「いいから」
蒼玲が、衣装を持って、背を向けた。
「見ていなさい。大龍帝国の皇女が、負けをどう引き受けるか」
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しばらくして、蒼玲が戻ってきた。
葵は、目を見開いた。
黒い、兎の耳のついた衣装。蒼玲の体には、明らかに小さかった。葵の背丈に合わせて作られたものを、百八十センチの蒼玲が着ている。布が、あちこちで張り詰めていた。
蒼玲は、片手を胸元に添えていた。布がこぼれないように、押さえているらしかった。
それでも、蒼玲は、背筋を伸ばして立っていた。顎を上げて、まっすぐ前を見ている。バニーガールの衣装を着てもなお、皇女の威厳を崩さなかった。
「蒼玲様」
観客席から、田中花子が下りてきた。
「バニーガールのお仕事は、給仕です。私たちに、飲み物を」
田中花子が、淡々と言った。真顔だった。
蒼玲の眉が、引きつった。
「……作者直々に、命令するわけ」
「はい。ルールですので」
蒼玲が、小さく息を吐いた。
「いいわ。やってあげる」
蒼玲が、用意されていた飲み物のトレイを、片手で持ち上げた。もう片方の手は、胸元を押さえたまま。
それでも、蒼玲の動きは、優雅だった。背筋を伸ばし、片手でトレイを支え、もう片手で衣装を押さえながら、すべるように歩いてくる。長い脚が、まっすぐに床を踏んでいた。
——器用だな。
葵は、素直に感心した。あんなに小さい服を着て、胸元を押さえながら、トレイをこぼさずに運んでくる。簡単なことではないはずだった。
蒼玲が、葵の前に立った。
「……飲み物よ。受け取りなさい」
葵が、グラスを受け取った。
「ありがとうございます」
葵は、グラスを受け取りながら、蒼玲を見上げた。
兎の耳。張り詰めた黒い衣装。胸元を押さえる白い手。それでも崩れない、皇女の背筋。
葵は、思ったことを、そのまま口にした。
「蒼玲先輩。とっても、綺麗です」
蒼玲の手が、止まった。
「……は?」
「その服、似合っています。蒼玲先輩が着ると、ただの罰ゲームじゃなくて、なんだか、本物のショーみたいです」
葵は、まっすぐ言った。お世辞ではなかった。本当に、綺麗だと思った。
蒼玲の顔に、ゆっくりと、熱が上がった。
「な……っ、なに、を……」
蒼玲が、トレイを持つ手に、少し力を込めた。胸元を押さえる手の指が、わずかに動いた。
「あなた、こういうときは……からかったり、目を逸らしたり、するものでしょう……」
「どうしてですか?」
葵が、首を傾げた。
「綺麗なものを、綺麗って言っただけです」
蒼玲が、言葉を失った。
顎を上げていた背筋が、ほんの少し、崩れた。視線が、葵から逸れて、また戻ってきた。戻ってきて、また逸れた。
「……本当に、変な子ね」
蒼玲が、小さく言った。
その声には、さっきまでの命令形の鋭さが、なかった。
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蒼玲が、田中花子にもグラスを渡した。
田中花子が、それを受け取った。
「ありがとうございます、蒼玲様」
田中花子は、グラスには口をつけなかった。
その紫の瞳は、蒼玲ではなく、葵を見ていた。葵が飲み物を飲む様子を、瞬きもせずに、じっと見ている。
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給仕を終えると、蒼玲は、足早に着替えに行った。
戻ってきたときには、制服姿に戻っていた。バニーガールの衣装は、もう手にしていなかった。
「帰るわよ」
蒼玲が、そっけなく言った。葵と、目を合わせなかった。
「あの、蒼玲先輩」
「なに」
「一緒に、帰らないんですか」
蒼玲の足が、止まった。
「……あなたたちは、先に帰りなさい」
蒼玲は髪を払った。葵の方は見なかった。
「飛行機は二台あるわ。
こういうものは、二台で運用するものなのよ。
一台が整備に入っても、もう一台が動くように」
「でも、それなら、一緒に――」
「いいから」
蒼玲が、葵を遮った。耳のあたりが、わずかに赤かった。
「私は、後から帰るの。少し、頭を冷やしたいのよ」
蒼玲が、背を向けた。
「あなたに……あんなことを、まっすぐ言われたら。一緒の機内になんて、いられないわ」
最後の方は、小さくて、葵にはよく聞こえなかった。
「蒼玲先輩?」
「なんでもないわ。早く行きなさい」
蒼玲が、手を振った。
葵は、その背中を見た。
そっけない態度。でも、その背中は、なぜか、軽そうに見えた。負けて、罰ゲームまで受けたのに。蒼玲の足取りは、来たときよりも、どこか弾んでいるように見えた。
——蒼玲先輩、楽しそうだ。
葵は、そう思った。口にはしなかった。
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一台目の専用機が、不壊の龍巣の屋根から、飛び立った。
葵は行きと同じ革張りのソファに座っていた。
向かいに、田中花子が静かに腰を下ろしている。
蒼玲はいない。広い機内に、葵と田中花子の、二人きりだった。
眼下に、青金色の光の街が、遠ざかっていく。浮遊列車の銀色の線が、ビルの間を滑っていた。
葵は、内ポケットのデッキケースに、そっと触れた。八歳から使ってきた、傷だらけのデッキ。今日も、一緒に戦ってくれた。
「葵様」
田中花子が、口を開いた。
葵が、顔を上げた。
田中花子が、片手を、軽く持ち上げた。指先で、小さく円を描く。
その瞬間、機内の音が、消えた。
エンジンの低い唸りも、空気の流れる音も、すべてが、ふっと途切れた。葵の耳に、自分の鼓動だけが、やけに大きく聞こえた。
「あ……音が」
「無音の魔法です」
田中花子が、淡々と言った。
「このフィールドの中では、私たちの声は、外に漏れません。誰にも、聞かれません」
葵が、辺りを見回した。窓の外では、街が変わらず流れている。でも、音だけが、完全に消えていた。葵と田中花子を包む、静寂の繭の中に、二人だけがいた。
「葵様」
田中花子が、まっすぐ葵を見た。紫の瞳が、瞬きもせず、葵を捉えている。
「あなたを見込んで、お伝えしたいことがあります」
「……はい?」
葵が、首を傾げた。
田中花子の表情は、いつもと同じ、真顔だった。冗談を言う顔では、なかった。
「私は」
田中花子が、静かに言った。
「私は、銀河帝国の皇帝でございます」
無音のフィールドの中で、その言葉だけが、はっきりと響いた。
葵は、その言葉を、頭の中でなぞった。
銀河帝国。皇帝。
葵には、すぐには、意味が掴めなかった。
田中花子は、瞬きもせず、葵を見ていた。その紫の瞳の奥に、何が在るのか――葵には、読み取れなかった。
専用機は、青金色の街を背に、東の空へ向かっていた。
音のない繭の中で、葵と、銀河帝国の皇帝を名乗る女が、向かい合っていた。




