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第124話 庶民遊戯3

中央の黒い装置は、二つで一組になっていた。


それぞれが、人の腰ほどの高さの台だった。上面に、カードを置くための窪みがいくつも並んでいる。台の縁には、淡い光の線が走っていた。


「これは……」


「デュエル台よ」


蒼玲が片方の台の前に立った。


「ここにカードを置くと、システムが起動するの。難しいことはないわ。普通にデュエルすればいい」


葵が反対側の台の前に立った。カードを置く窪みに、そっと指を触れた。冷たい金属の感触だった。


「葵」


蒼玲が、台の脇に置かれていた箱を持ち上げた。


「忘れていたわ。罰ゲームを、決めておきましょう」


「罰ゲーム?」


「負けた方が、これを着るのよ」


蒼玲が箱の蓋を開けた。


中から取り出したのは、黒い布だった。蒼玲が広げて見せた。


兎の耳のついた、黒い衣装だった。胸元が大きく開いていて、足の付け根まで布が切れ上がっている。葵が見たことのない種類の服だった。


「これを……着るんですか」


「そうよ」


蒼玲が、その衣装を葵の体の前にあてがった。


ちょうど、葵の背丈に合う大きさだった。


葵が一拍、止まった。


それから、箱の中をもう一度見た。


箱の中には、もう何も入っていなかった。


衣装は、一着だけだった。葵の背丈に合った、一着だけ。


葵は箱と蒼玲を、交互に見た。


——一着しか、ない。


——僕のサイズの、一着だけ。


——蒼玲先輩の分は、ない。


葵は心の中で思った。


——蒼玲先輩、負ける気はないんだな。


葵はもう一つ思った。


——自分の分を用意したら、負けたときのことを考えていることになる。


——きっと、それ自体が、負けだと思っているんだ。


——プライドが、高いんだな。


葵は声には出さなかった。ただ、その黒い衣装を見ていた。


「どうしたの?」


蒼玲が衣装を畳んで、台の脇に戻した。


「いえ」


葵が首を振った。


「蒼玲先輩は、すごいなと思って」


「当然よ」


蒼玲が薄く微笑んだ。何のことか、聞き返さなかった。


ーーーーーーーーーーーーーー



蒼玲が、自分の台にカードのデッキを置いた。


台の窪みが、淡く光った。


それまで静かだった空間に、低い音が響き始めた。床の下から、何かが満ちてくる気配がした。葵の足元の大理石が、わずかに震えていた。


中央のフィールド全体が、光の線で区切られていった。葵と蒼玲の台の間に、見えない盤面が描かれていくようだった。空中に、薄い光の枠が浮かんだ。精霊を置く場所、儀礼カードを置く場所。それぞれが、淡い光で示されていた。


葵がデッキケースから、デッキを取り出した。


八歳の頃から握ってきたカードたちだった。角が少し丸くなって、表面に細かい傷がある。葵はそれを、台の窪みにそっと置いた。


窪みが、葵のデッキを淡く照らした。


「準備はいい?」


蒼玲が向かいで言った。


観客席の田中花子が、こちらを見ていた。広い空席の真ん中で、一人だけ、静かに座っている。瞬きをしなかった。


葵が小さく息を吸った。


「はい」


「では」


蒼玲の口元が、上がった。


「始めましょう。庶民の遊びを、ね」


ーーーーーーーーーーーーーー



「先攻は、私がもらうわ」


蒼玲が手札を引いた。五枚。


葵も自分の手札を確認した。五枚。


蒼玲がカードを引く仕草を見せなかった。葵が一拍、止まった。


——あれ。


——先攻なのに、ドローしない。


葵は記憶をたどった。子供の頃は、先攻でも一枚引けたはずだった。いつの間にか、ルールが変わったらしい。先攻は、ドローしない。


葵が長く握っていなかった時間の分だけ、世界が少し進んでいた。


「私のターン」


蒼玲が手札から一枚を抜いた。


「儀礼カード――『双龍の招き』を発動」


蒼玲がカードを台の窪みに置いた。空中の光の枠の一つが、強く光った。


「このカードで、私はデッキから姫輝龍を、二体、召喚する」


蒼玲が、両手を広げた。


「蒼天より降りし、気高き龍よ。

その鱗は星の輝き、その牙は月の刃。

我が名のもとに顕現せよ――姫輝龍、プリンセス・ドラゴン」


蒼玲の足元から、二筋の光が立ち上った。


光が、フィールドの上で形を取り始めた。


最初に、鱗が生まれた。黒と蒼の鱗が、空中で一枚ずつ組み上がっていく。次に、長い胴体が伸びた。鉤爪が、牙が、角が、順に形を成していった。


二頭の龍が、フィールドに顕現した。


東洋の龍だった。細長い体が空中をうねり、頭には皇女の冠のような装飾を戴いている。鱗の一枚一枚が、青い光を放っていた。


龍が、空気を震わせて鳴いた。


その声が、無人のスタジアムの観客席に反響して、幾重にも重なって返ってきた。八万の空席が、龍の声で満たされた。


葵が、その光景を見上げた。


紙の上にいたはずの龍が、目の前で、生きて動いていた。


葵は息をするのを忘れていた。


——口上まで言って。蒼玲先輩らしい、立派なショーだな。


葵は、そう思った。実体化のシステムに合わせた、皇女らしい演出だと。


「これが、姫輝龍――プリンセス・ドラゴン」


蒼玲が二頭の龍を従えて、立っていた。


「攻撃力、三千三百。二体よ」


葵が龍を見上げたまま、声を出した。


「……すごい」


それしか、出てこなかった。


「先攻だから、攻撃はできないわ」


蒼玲が手札を二枚、台の伏せる場所に置いた。


「カードを二枚伏せて、ターンエンド」


蒼玲の手札が、残り二枚になった。


二頭の龍が、フィールドの蒼玲側で、ゆっくりとぐろを巻いた。


ーーーーーーーーーーーーーー



「僕のターン」


葵がカードを一枚引いた。手札が六枚になった。


向かいで、二頭の龍がうねっている。攻撃力三千三百が、二体。葵の場には、まだ何もいない。


葵は手札を見た。子供の頃から、何百回も握ってきた精霊たちだった。


「ハートリンク・メグリを、通常召喚」


葵が下級の精霊を、台の窪みに置いた。


光が、葵の足元から立ち上った。膝ほどの背丈の、淡い緑色の精霊が顕現した。背中に小さな葉のような羽。きょろきょろと辺りを見回している。


「久しぶり、メグリ」


精霊が葵を見上げて、小さく笑ったように見えた。


「メグリの効果。デッキから、ハートリンク・トモを特殊召喚」


もう一体、小さな精霊が葵の隣に現れた。


それから、葵は精霊たちを繋いでいった。


二体が手を取り合って、光になった。光がほどけて、新しい精霊の形を取る。その精霊がまた仲間を呼び、墓地から別の精霊が立ち上がる。縁が縁を呼んでいく。葵の場で、小さな精霊たちが、何度も姿を変えていった。


「連環召喚――ハートリンク・アーディオ」


一体目のレガリア精霊が現れた。


「連環召喚――ハートリンク・クレイデル」


二体目。


葵の場に、二体のレガリア精霊が並んだ。それでも、葵はまだ手を止めなかった。


「もう一体、繋ぎます」


葵が場の精霊を、もう一度光に変えた。


そして、最後の連環召喚に入った。


葵が、その精霊のカードを手に取った。八歳の頃から、一番好きだったカードだった。角が丸くなって、表面に細かい傷がある。


葵は、それを台の窪みに置こうとした。


置こうとして――手が止まった。


窪みが、赤く点滅した。エラーの色だった。精霊は、現れなかった。


「あれ……?」


葵がもう一度、カードを窪みに合わせた。窪みが、また赤く光った。


「どうして……」


葵が困って、台を見た。それから、向かいの蒼玲を見た。


その時、観客席から声がした。


「葵様」


田中花子だった。


葵が振り返った。広い空席の真ん中で、田中花子が立ち上がっていた。


「連環召喚には、口上が必要です」


田中花子の声が、無人のスタジアムに、静かに響いた。


「口上を言わないと、デュエルエナジーが足りず、召喚できません」


田中花子は、真顔だった。瞬きをしなかった。


葵が一拍止まった。


——デュエルエナジー?


——口上を、言わないと?


葵は、さっきの蒼玲の口上を思い出した。あれを、皇女らしいショーの演出だと思っていた。でも、違ったのか。あれは、召喚に必要なものだったのか。


何か、少し、引っかかった。紙のカードでは、口上なんて言わなかった。声に出さなくても、精霊は出てきた。


でも、ここは実体化システムのある場所だった。精霊が、本当に出てくる場所。


——きっと、これも、世界観の演出なんだ。


葵は、そう思うことにした。


——遊びを、全力で楽しむための。


葵は納得した。


ただ、少しだけ、恥ずかしかった。誰もいないとはいえ、声に出して口上を言うのは、慣れていなかった。


葵が、手の中のカードを見た。


その時、ふと、言葉が浮かんだ。どこから来たのか分からない言葉だった。カードの中から、聞こえてきたような気もした。


葵が、口を開いた。


「巡る縁よ、ほどけて、また繋がれ」


葵の声が、静かに響いた。


「連環召喚――ハートリンク・ユニカ」


葵の場の中央で、光が立ち上った。


その光は、これまでの精霊とは違っていた。白と、淡い金。人の形をした精霊が、ゆっくりと顕現した。体の各所に、環のような紋様が流れている。胸の中心に、青く澄んだ光の核があった。その核が、葵を見ているように、静かに瞬いた。


葵が、その精霊を見上げた。


「久しぶり、ユニカ」


ユニカが、葵の方を向いた。何も言わなかった。ただ、青い核が、一度だけ、強く光った。


向かいで、蒼玲が腕を組んでいた。


「ふうん。それが、あなたのエース?」


「はい」


葵が頷いた。


「攻撃力、二千五百。私の龍の方が、八百も高いわ」


「はい」


葵が頷いた。


「でも、ユニカの力は、攻撃力じゃないんです」


ーーーーーーーーーーーーーー



「ユニカの効果」


葵が宣言した。


「このターン、ユニカは二回、攻撃できます」


ユニカの体の環の紋様が、ゆっくりと二重に光った。


「それから、アーディオの効果」


葵の場のもう一体、青い装束の精霊が、前に出た。


「アーディオは、自分の攻撃を放棄して、ユニカに託します。託された精霊は――この戦闘で、ダメージ計算を行わず、相手の精霊を破壊する」


アーディオが、手にした光の糸を、ユニカに手渡すような仕草をした。糸がユニカの腕に巻きついて、淡く光った。


蒼玲が片眉を上げた。


「ダメージ計算を、行わない?」


「はい」


葵が頷いた。


「攻撃力は、関係ないんです。ユニカが触れた精霊は、破壊されます」


「面白いことを考えるのね」


蒼玲が龍の鱗を、指先で撫でた。


「バトル」


葵が宣言した。


「ユニカで、一体目の姫輝龍を攻撃」


ユニカが、地を蹴った。


白と金の光が、まっすぐに龍へ向かった。ユニカの腕の光の糸が、龍の鱗に触れた。


龍が、声を上げた。


鱗の一枚一枚が、青い光の粒になってほどけていった。長い胴体が、頭が、角が、光になって空中に散った。一頭目の姫輝龍が、消えた。


蒼玲の場に、龍が一頭、残った。


「ユニカは、もう一度攻撃できます」


葵が続けた。


「二体目の姫輝龍を、攻撃」


ユニカが、再び地を蹴った。


光の糸が、二頭目の龍へ伸びた。


その時、蒼玲の伏せていたカードの一枚が、跳ね上がった。


「封陣カード、発動」


蒼玲の声が響いた。


「龍鱗の盾。私の姫輝精霊一体を、破壊から守るわ」


二頭目の龍の前に、青い鱗の障壁が広がった。ユニカの光の糸が、その鱗に触れて――弾かれた。


龍が、無傷で残った。


ユニカが、静かに葵の場へ戻った。


「……守られましたね」


葵が、その龍を見た。


「ええ」


蒼玲が腕を組んだ。


「私の龍を、二体とも墓地に送るつもりだったの? 甘いわね」


「一体は、守られると思っていました」


葵が言った。


「蒼玲先輩なら、龍を守るカードを伏せていると思って」


蒼玲が、少しだけ目を細めた。


「だったら、なぜ二体狙ったの」


「狙えるところまで、狙ってみたかったんです」


葵が、自分の場のユニカを見た。


「一体でも、減らせたら、十分です」


蒼玲が、葵をしばらく見ていた。


それから、龍の鱗に手を置いた。


「……ふうん」


葵が手札を確認した。残り三枚。


「カードを一枚伏せて、ターンエンドします」


葵が一枚を伏せた。手札が二枚になった。


葵の場に、ユニカ、アーディオ、クレイデルの三体。蒼玲の場に、姫輝龍が一頭。


一ターンが、終わった。


ーーーーーーーーーーーーーー



「私のターン。ドロー」


蒼玲がカードを引いた。


「あなたの精霊は、面白い効果を持っているわね。でも――数で攻めれば、関係ないわ」


蒼玲が手札から一枚を置いた。


「姫輝の侍女、プリンセス・メイデンを通常召喚」


蒼玲の場に、小さな精霊が現れた。


侍女の装いをした、少女の精霊だった。淡い金の髪を結い上げて、銀の縁取りの衣をまとっている。胸元に、小さな鍵の意匠の飾りがついていた。控えめに顔を伏せて、龍のそばに立った。


葵が、その精霊を見た。


——あの精霊、エリサ先輩に、そっくりだ。


葵は、生徒会の書記の先輩を思い出した。物静かで、いつも蒼玲の少し後ろにいる人だった。精霊の佇まいが、その人によく似ていた。


「侍女の効果。私の姫輝精霊のレベルを、調整するわ」


蒼玲が手札の最後の一枚を置いた。


「そして、儀礼カード――『龍宮の祭壇』を発動」


蒼玲の場の姫輝龍と侍女が、祭壇の光に包まれた。


「この二体と、祭壇を捧げて、二体の眷属を呼び出す」


光が、二つに分かれた。


「星位召喚――姫輝虎、プリンセス・タイガー」


白い虎が現れた。背に星の紋様。低く唸って、四肢を地につけた。


「重畳召喚――姫輝鳥、プリンセス・フェニックス」


朱色の翼が空に広がった。炎をまとった鳥が、羽を打って舞い上がった。


蒼玲の場に、白虎と朱雀が並んだ。


葵が、ふと気づいた。


——蒼玲先輩は、今、口上を言わなかった。


葵は、自分が召喚するとき、口上を言わないと精霊が出てこなかったことを思い出した。デュエルエナジーが足りない、と田中花子は言った。


でも、蒼玲は、口上なしで召喚している。


「あの、蒼玲先輩」


「なに?」


「口上は、言わなくていいんですか。さっきは、言っていたのに」


蒼玲が、軽く首を傾げた。


「ああ、あれ? 言わなくてもいいのよ。気分で言うだけ」


「気分で……」


葵が、首を傾げた。


——どうして、僕は言わないと召喚できなくて、蒼玲先輩は言わなくてもいいんだろう。


——デュエルエナジーって、何なんだろう。


葵は、その疑問を、心の隅に置いた。今は、デュエルに集中する。


「姫輝鳥の効果。重畳素材を一つ取り除いて――あなたの伏せカードを、破壊するわ」


朱雀が翼を一打ちした。炎の羽根が、葵の伏せカードへ飛んだ。葵の伏せていたカードが、炎に包まれて消えた。


「あ……」


葵が、消えたカードを見た。


「これで、邪魔な仕掛けはないわ」


蒼玲が手を上げた。


「バトル。姫輝虎で、クレイデルを攻撃」


白虎が、葵の小さな精霊へ飛びかかった。


クレイデルは、攻撃力千。自分の身は、守れなかった。


白虎の爪が、クレイデルを捉えた。クレイデルの体が、青い光になってほどけた。


葵のライフが、八千から、六千二百になった。


「クレイデル……ありがとう」


葵が、消えた精霊に小さく言った。


「姫輝鳥でも、攻撃。アーディオを狙うわ」


朱雀が、炎の翼で襲いかかった。


葵のアーディオが、炎に包まれた。


その時、葵が動いた。


「アーディオの効果。場にいる間に、一度だけ――姫輝鳥の攻撃力を、八百下げます」


アーディオが、最後の力で光の糸を放った。糸が朱雀に巻きついた。朱雀の攻撃力が、二千七百から、千九百に下がった。


それでも、アーディオの攻撃力千八百には、わずかに届いた。


アーディオの体が、ほどけていった。


葵のライフが、六千二百から、六千百になった。


「アーディオ……」


アーディオが、最後に葵の方を向いた。小さく頷いて、光になって散った。


蒼玲が、龍の鱗を撫でた。


「最後に、抵抗したわね」


「はい」


葵が言った。


「ダメージを、少しでも減らしたくて」


蒼玲が、葵をしばらく見た。


「ターンエンドよ」


葵の場に、ユニカが一体だけ、残っていた。蒼玲の場には、姫輝虎と姫輝鳥。


数で、押されていた。


ーーーーーーーーーーーーーー



「僕のターン。ドロー」


葵がカードを引いた。手札が三枚になった。


向かいで、白虎と朱雀が、葵を見据えている。葵の場には、ユニカが一体だけ。


葵は手札を見た。


「ハートリンク・マモリを、守備表示で召喚」


葵の足元から、光が立ち上った。


丸い体の、小さな精霊だった。淡い水色の殻のようなものを背負っている。地面にぺたりと座り込んで、殻を前に出した。亀のような姿勢で、じっと身を守っている。


「マモリの効果。一ターンに一度、戦闘では破壊されません」


マモリが、殻をきゅっと閉じた。


「壁を、置いたのね」


蒼玲が言った。


「はい」


葵が頷いた。


「それから――ユニカの効果」


ユニカの体の環の紋様が、淡く光った。


「今度は、攻撃力を上げる方を選びます。フィールドの精霊の数だけ、ユニカの攻撃力が上がる」


葵が、場を見渡した。葵側に二体、蒼玲側に二体。合わせて四体。


ユニカの攻撃力が、二千五百から、四千五百に上がった。


「私の虎より、高くなったわね」


「はい」


葵が頷いた。


「バトル。ユニカで、姫輝虎を攻撃します」


ユニカが、地を蹴った。


白と金の光が、白虎へまっすぐ向かった。ユニカの腕が、虎の体を捉えた。


白虎が、声を上げた。星の紋様が、光の粒になってほどけていった。硬い体が、空中で砕けて、散った。


蒼玲のライフが、八千から、六千三百になった。


「一体、倒させてもらいました」


葵が言った。


蒼玲が、消えた虎の場所を、指先で軽くなぞった。


「いいわ。なかなか、面白いじゃない」


「ありがとうございます」


「カードを一枚伏せて、ターンエンドします」


葵が手札から一枚を伏せた。手札が一枚になった。


葵の場に、ユニカとマモリ。蒼玲の場に、姫輝鳥が一体。


数の上では、互角に戻っていた。


ただ、葵には分かっていた。


——蒼玲先輩は、まだ、半分も出していない。


葵は、向かいの蒼玲を見た。蒼玲の余裕は、崩れていなかった。


ーーーーーーーーーーーーーー



「私のターン。ドロー」


蒼玲がカードを引いた。


「鳥一体で、互角だと思っているなら――甘いわ」


蒼玲が手札を広げた。


「儀礼カードを使って、二体の眷属を呼ぶわ」


蒼玲の場が、光に包まれた。


「共鳴召喚――姫輝亀、プリンセス・タートル」


水色の光の中から、巨大な亀が現れた。背の甲羅が、幾重もの六角形の鱗で覆われている。どっしりと地に伏せて、首をゆっくりと持ち上げた。


「守備力、三千。私の盾よ」


蒼玲が続けた。


「アドバンス召喚――姫輝麟、プリンセス・キリン」


今度は、金色の光が立ち上った。


光の中から、麒麟が現れた。鹿のような体に、龍の鱗。額から一本の角が伸び、たてがみが金色の炎のように揺れている。蹄が地につくと、フィールド全体が、淡く金色に染まった。


「姫輝麟の効果。私の姫輝精霊すべての攻撃力が、五百上がるわ」


麒麟のたてがみから、金色の光が広がった。光が、鳥と亀と麒麟自身を包んだ。


鳥の攻撃力が、二千四百に。

亀の攻撃力が、二千七百に。

麒麟の攻撃力が、二千九百に。


葵が、その光景を見上げた。蒼玲の場に、四神のうちの三体が揃っていた。金色の光に照らされて、どれも攻撃力を増していた。


「もう一つ、効果があるわ」


蒼玲が麒麟の角を指した。


「姫輝麟は、守備表示の精霊を攻撃したとき、守備力を超えた分だけ、ダメージを与える」


葵が、自分の場のマモリを見た。守備表示の、小さな壁の精霊。


「バトルよ」


蒼玲が手を上げた。


「姫輝亀で、ユニカを攻撃」


亀が、ゆっくりと首を伸ばした。重い体が、意外な速さでユニカへ突進した。


ユニカが、白と金の光のまま、亀の甲羅に弾かれた。体の環の紋様が、ほどけていった。


「ユニカ……」


葵が、消えていくユニカを見た。ユニカの青い核が、最後に一度、葵の方を見て、瞬いた。それから、光になって散った。


葵のライフが、六千百から、五千九百になった。


「ユニカの効果。破壊されたとき、一枚ドローします」


葵がカードを一枚引いた。手札が二枚になった。


「次よ。姫輝麟で、その壁を攻撃」


麒麟が、地を蹴った。金色の角が、マモリへ向かった。


「マモリの効果。一ターンに一度、戦闘では破壊されません」


マモリが、殻をきゅっと閉じた。麒麟の角が、その殻に当たって、弾かれた。マモリは、砕けなかった。


だが、金色の光が、殻の隙間から葵へ届いた。


「貫通効果。マモリの守備力を超えた分が、あなたへ通るわ」


麒麟の攻撃力二千九百と、マモリの守備力千二百。その差が、葵のライフを削った。


葵のライフが、五千九百から、四千二百になった。


「ぐ……」


葵が、思わず一歩、後ろに下がった。


「まだよ。姫輝鳥で、もう一度、壁を攻撃」


朱雀が、炎の翼で襲いかかった。


マモリの効果は、もう使えなかった。一ターンに一度は、麒麟の攻撃で使い切っていた。


朱雀の炎が、マモリを包んだ。マモリの殻が、割れた。小さな精霊が、光になってほどけていった。


葵の場から、精霊が、すべて消えた。


ユニカも、マモリも、いなくなっていた。


葵の前には、何もいなかった。


「カードを一枚伏せて、ターンエンドよ」


蒼玲が手札を一枚伏せた。


蒼玲の場に、姫輝鳥、姫輝亀、姫輝麟。金色の光が、三体を照らしている。


葵の場は、空だった。


「どう? 小春葵」


蒼玲が、腕を組んだ。


「あなたの縁とやらは、もう、一つも残っていないわ」


葵が、空になった自分の場を見た。それから、手札の二枚を見た。


葵は、何も言わなかった。


ただ、もう一度、向かいの蒼玲の盤面を見上げた。


ーーーーーーーーーーーーーー



「僕のターン。ドロー」


葵がカードを引いた。手札が三枚になった。


葵の場は、空だった。向かいには、金色の光に照らされた三体の精霊。鳥、亀、麟。


蒼玲が、腕を組んで葵を見ていた。


「立て直せるかしら? 私の盤面を、崩せるかしら?」


葵は、手札を見た。それから、自分の墓地を見た。墓地には、さっき破壊されたユニカが眠っている。


「儀礼カード、繋ぎ直す縁を発動します」


葵がカードを置いた。


「墓地のレガリア精霊を、一体、もう一度呼び戻す」


葵の墓地から、白と金の光が立ち上った。


光が、人の形を取り戻していった。環の紋様が流れ、胸の中心に青い核が灯る。ユニカが、もう一度、葵の場に現れた。


「おかえり、ユニカ」


ユニカの青い核が、一度、強く光った。


葵は、そこから精霊を繋いでいった。手札の精霊が光になり、墓地の精霊が立ち上がり、縁が縁を呼んでいく。葵の場で、小さな精霊たちが、何度も姿を変えた。


「連環召喚――ハートリンク・アーディオ」


青い装束の精霊が、もう一度現れた。


「連環召喚――ハートリンク・サイレオ」


葵の場に、三体目のレガリア精霊が立った。落ち着いた水色の光をまとった、静かな精霊だった。


葵の場に、ユニカ、アーディオ、サイレオの三体が並んだ。


蒼玲が、目を細めた。


「もう一度、同じ盤面を作ったのね。でも――私の亀がいる限り、あなたの破壊は通らないわ」


亀が、甲羅をぐっと地につけた。守備力三千。破壊から味方を守る盾。


「はい」


葵が頷いた。


「だから、亀さんには、退いてもらいます」


「なに?」


「サイレオの効果。一ターンに一度――相手の精霊を、一体、手札に戻します」


サイレオが、両手を前に出した。水色の光が、亀を包んだ。


亀の巨体が、ゆっくりと光に溶けて、消えた。


「私の亀を……手札に?」


蒼玲が、わずかに目を見開いた。


「破壊じゃなくて、お返しするんです」


葵が言った。


「亀さんは、壊したくなかったので」


蒼玲が、葵をしばらく見ていた。それから、手札に戻った亀のカードを、指先で挟んだ。


「……変な子ね。本当に」


「ユニカの効果。このターン、ユニカは二回、攻撃できます」


ユニカの環の紋様が、二重に光った。


「それから、アーディオの効果。アーディオは攻撃を放棄して、ユニカに託します。ユニカは、この戦闘で、ダメージ計算を行わず、相手を破壊する」


アーディオが、光の糸をユニカの腕に巻きつけた。


「バトル。ユニカで、姫輝鳥を攻撃」


ユニカが地を蹴った。光の糸が、朱雀に触れた。朱雀の炎が、青い光の粒になってほどけていった。


「ユニカ、二回目。姫輝麟を攻撃」


ユニカが、もう一度地を蹴った。金色の麒麟へ、光の糸が伸びた。


その時、蒼玲の伏せカードが、跳ね上がりかけた。


だが、蒼玲は、それを伏せたままにした。


「……いいえ。今は、まだいいわ」


蒼玲が、伏せカードから手を引いた。


ユニカの光の糸が、麒麟に触れた。麒麟の角が、たてがみが、光になって散った。蒼玲の場の金色の光が、消えた。


蒼玲の場が、空になった。


「サイレオで、直接攻撃します」


サイレオが、前に出た。水色の光が、まっすぐ蒼玲へ向かった。


蒼玲のライフが、六千三百から、四千になった。


蒼玲は、その光を、まっすぐ受けた。一歩も引かなかった。


「カードを一枚伏せて、ターンエンドします」


葵が手札から一枚を伏せた。手札が一枚になった。


葵の場に、ユニカ、アーディオ、サイレオ。蒼玲の場は、空だった。


形勢が、入れ替わったように見えた。


だが、葵は、蒼玲の表情を見ていた。


蒼玲は、まだ、余裕を崩していなかった。手札に戻った亀のカードを、指先でもてあそんでいる。


——蒼玲先輩は、まだ、何か持っている。


葵は、そう思った。


ーーーーーーーーーーーーーー



「私のターン。ドロー」


蒼玲がカードを引いた。


蒼玲の場は、空だった。葵の場には、ユニカ、アーディオ、サイレオの三体。数の上では、葵が押している。


それでも、蒼玲は笑っていた。


「小春葵。あなた、よくやったわ」


蒼玲が、手札を広げた。


「私の盤面を、二度も崩した。私のカードを、手札に戻した。たいしたものよ」


蒼玲が、一枚のカードを置いた。


「姫輝の侍女を、通常召喚」


侍女の精霊が、蒼玲の場に現れた。淡い金の髪を結い上げて、胸元に鍵の意匠の飾り。控えめに顔を伏せている。


「それから、儀礼カード――侍女の献身」


蒼玲が、別のカードを掲げた。


「この侍女を捧げて、手札から、私の盾を呼び戻す」


侍女が、光になって消えた。その光の中から、巨大な亀が現れた。


亀は、甲羅を地につけて、守りの姿勢を取った。


「姫輝亀。守備力、三千。私の鉄壁よ」


蒼玲が、亀の甲羅を撫でた。


「あなたのサイレオでも、もう戻せないわ。この子は、守りに徹してもらう」


葵が、その亀を見た。守備表示。攻撃には、参加しない。守備力三千の壁。


「そして――ここからが、本当の私よ」


蒼玲が、最後のカードを掲げた。青い光が放たれた。


「儀礼カード――姫輝総攬」


蒼玲の足元に、巨大な祭壇の紋様が広がった。


「私のライフを、半分、捧げる」


蒼玲のライフが、四千から、二千になった。


蒼玲が、両手を高く掲げた。


「集え、我が眷属。姫輝の名のもとに――蒼き血脈の威光を、ここに示せ」


「その代わり――私の墓地で眠る、すべての姫輝精霊を、呼び戻す」


祭壇から、光が噴き上がった。


一筋、二筋、三筋――次々と、光が立ち上っていく。


姫輝龍が顕現した。黒と蒼の鱗。空気を震わせて鳴いた。


白虎が、地に降りた。星の紋様が輝く。


朱雀が、炎の翼を広げて舞い上がった。


金色の麒麟が、たてがみを揺らして現れた。


最後に、もう一体の侍女が、龍のそばに静かに立った。


蒼玲の場に、六体の精霊が、一斉に揃った。


龍、虎、鳥、亀、麟、侍女。


「姫輝麟の効果。すべての姫輝精霊の攻撃力が、五百上がる」


麒麟のたてがみから、金色の光が広がった。光が、すべての精霊を包んだ。


姫輝龍の攻撃力が、三千八百に。

虎が、三千三百に。

鳥が、三千二百に。

麟が、二千九百に。


葵が、その光景を見上げた。


無人のスタジアムの中央に、金色に輝く軍勢が、並んでいた。八万の空席が、精霊たちの気配で満たされていた。


「ご覧なさい、小春葵」


蒼玲が、両手を広げた。


「これが、姫輝――私のすべてよ」


蒼玲の声が、スタジアムに響いた。


「私の生徒会。私の眷属。私が極めた、私の盤面」


葵は、その軍勢を、ただ見上げていた。


「バトル。姫輝龍で――ユニカを攻撃」


姫輝龍が、地を蹴った。黒と蒼の巨体が、ユニカへ向かった。


その時、葵が動いた。


「封陣カード、繋がる意志を発動」


葵の伏せていたカードが、跳ね上がった。


「ユニカは、このターン、戦闘では破壊されません」


ユニカの体に、淡い光の膜が張った。龍の爪が、その膜に当たった。ユニカは、砕けなかった。


だが、攻撃力の差が、葵のライフを削った。龍の三千八百と、ユニカの二千五百。その差が、葵を貫いた。


葵のライフが、四千二百から、二千九百になった。


葵は、その時、ふと思った。


——もし、今の攻撃が、虎だったら。


虎は、戦闘を行うとき、相手の効果を封じる。もし虎がユニカを攻撃していたら、繋がる意志は、発動できなかった。ユニカは、砕けていた。


——龍で、よかった。


葵は、息を整えた。


「次よ。姫輝虎で、アーディオを攻撃」


白虎が、アーディオへ飛びかかった。アーディオが、青い光になってほどけた。


葵のライフが、二千九百から、千四百になった。


「姫輝鳥で、サイレオを攻撃」


朱雀の炎が、サイレオを包んだ。サイレオが、水色の光になって散った。


葵のライフが、千四百から、五百になった。


葵の場に、ユニカが一体だけ、残った。


「最後よ。姫輝麟で、ユニカを攻撃」


金色の麒麟が、ユニカへ突進した。ユニカの光の膜が、再びそれを受け止めた。ユニカは、砕けなかった。


だが、攻撃力の差が、また葵を貫いた。


葵のライフが、五百から、百になった。


「……ぐ」


葵が、片膝をついた。


スタジアムの中央で、葵が一人、膝をついていた。向かいには、金色に輝く軍勢。龍、虎、鳥、亀、麟、侍女。そのすべてを従えて、蒼玲が立っている。


「あなたの負けよ、小春葵」


蒼玲が、静かに言った。


「亀は守りに残した。侍女は、攻撃には向かない。だから、あなたの命は、百だけ残ったわ」


蒼玲が、葵を見下ろした。


「でも、次のターン――私の軍勢が、その百を削る。あなたには、もう、何もできない」


葵が、膝をついたまま、顔を上げた。


蒼玲の盤面を、見た。六体の精霊。金色の光。完璧に整った、皇女の軍勢。


葵は、肩で息をしながら――小さく、笑った。


「……すごい」


葵が言った。


「蒼玲先輩、本当に、すごいです」


蒼玲の口元から、笑みが消えた。


「この期に及んで、何を言うの」


「こんなに綺麗な盤面、初めて見ました」


葵が、片膝に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。


「八歳のときから、ずっとこのデッキで遊んできて。色んな人と、対戦してきたけど」


葵が、自分の場に残ったユニカを見た。ユニカの青い核が、静かに瞬いている。


「こんなに、すごい盤面は、初めてです」


葵が、まっすぐ蒼玲を見た。


「だから――最後まで、やらせてください」


葵の手が、自分のデッキに伸びた。


蒼玲が、その葵を、しばらく見ていた。


それから、ふっと、笑った。


「いいわ。やってみなさい」


蒼玲が、腕を組んだ。


「あなたの最後のあがき、見届けてあげる」


葵が、カードに指をかけた。


観客席で、田中花子が、こちらを見ていた。広い空席の真ん中で、一人だけ。その紫の瞳が、葵のデッキに伸びた手を、じっと見つめていた。

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