第118話 メレク・ルーメン
スタディホールの時計が四時を回っていた。葵チームは部室の扉を押した。
「お疲れー」
颯の声が真っ先に飛んできた。長机の上には素材がいくつも並んでいる。スプリガンの樹皮、ドリアードの織糸、グレムリンの歯車、薄く透ける魚の鱗。男子チームの戦利品だった。男子チームの面々が長机を囲んで腰を下ろしていた。
「葵! 70層クリアしたんだってな、おめでとう!」
「ありがとう、颯」
リオが軽く手を上げた。マルコが「マジで70?」と口を開けている。他のメンバーもこちらを見た。
「やるな、葵」
「うん、ライラと茜とセレンのおかげ」
茜が後ろで一度、頷いた。それだけだった。セレンは黙って部屋を見渡している。
エリックは長机の端で腕を組んでいた。窓の方を向いている。葵に視線を向けなかった。
「で、こっちは三十五層まで行った」
颯が長机を指した。
「ボスは三十層のスプリガン二体。二体出てくるのキツかった」
「キツかったってお前、お前が一人で一体倒したろうが」
マルコが横から言った。
「いや俺は二体目の方は——」
「もう一体も風で動き止めて、エリックが斧でぶった切った。俺ら全員見てたぞ」
「……まあ、シナツのおかげだ」
颯が照れたように頭をかいた。葵は素材を一つずつ手に取った。スプリガンの樹皮は乾いていた。ドリアードの織糸は、指の腹に微かに引っかかった。グレムリンの歯車は冷たかった。マジックバッグに順に収めていった。
マルコが急に身を乗り出した。
「ところでさあ、エリック、今日ずっと無口じゃね?」
部室が、一拍止まった。エリックが窓の方を向いたまま動かない。マルコが続けた。
「絶対あれだろ、気にしてるんだろ」
「最小限の力だ、テネブラ——」
タヴィタがエリックの真似をして低い声を出した。ダニエルが横で頷いた。
「まあそういうことだろうな」
「ぶっ——」
ユースフが噴き出した。颯が「お前ら」と笑った。リオは黙ったまま、口元だけが少し緩んでいる。
エリックの眉間に皺が寄った。横を向いたまま、低い声が落ちた。
「……黙れ」
「黙れって言うってことは、図星じゃないか」
ジャックがため息をついた。
「もう少し別の話題を振ってくれと言いたいところだが、そっちが黙ってるから振りようがない」
「無理だろ、こんな美味しいネタ」
マルコが肩を竦めた。
葵は素材を持ったまま顔を上げた。真顔だった。
「最小限の力、ダンジョン部の合言葉だよ」
エリックが一瞬、葵に視線を寄越した。すぐに逸らした。
部室がもう一度爆発した。颯が「葵お前!」と笑い、マルコが机を叩いた。タヴィタが「ナイス葵!」と親指を立てた。エリックが眉間を押さえている。
「……当然だ」
短い声だった。怒っているのか諦めているのか分からない。葵はその横顔を見て、少しだけ目元を緩めた。
「エリック」
「……何だ」
「三十層ボス、ありがとう。エリックがいなかったら、きっと、男子チームは三十層越えるの大変だったよ」
エリックの肩が、わずかに動いた。腕を組んだまま、口元が一瞬だけ歪んだ。笑いを堪えたような形だった。
「……当然だ」
二度目の「当然だ」だった。さっきよりも少し柔らかかった。颯がにやりとして葵の肩を叩いた。
「葵、お前エリックの扱い上手いな」
「そんなことないよ」
「上手いって。エリック、機嫌直ったろ?」
「直っていない」
「直ってる」
タヴィタが手を上げた。
「で、葵、換金頼んでいいか」
「うん。これからイレム先輩のところ行ってくる」
「金!」
「タヴィタ、声でかい」
ダニエルが横から言った。
「まあそういうことだろうな、こいつは」
葵はマジックバッグの口を閉じた。重さは、入った分だけ確かに増えていた。それでも、肩にかけた時の感触は変わらない。マジックバッグの仕組みは、何度試しても馴染まなかった。
「じゃあ、ダンジョン部、今日は解散だな」
颯が立ち上がった。男子チームが順に腰を上げた。
「お疲れー」
「葵、結果はチャットで頼む」
「うん」
茜が葵の隣に立った。
「葵」
「うん?」
「またね」
茜が一度、葵の袖の端をつまんだ。離した。視線は葵だけを見ていた。
「うん、また、茜」
茜が扉に向かった。セレンも続いた。
「葵、また」
「うん、セレンもお疲れ」
セレンが頷いて、扉を出ていった。エリックが最後に腕を解いた。
「……行ってこい」
「うん。ありがとう、エリック」
エリックも腕を解いて立ち上がった。男子チームと一緒に部室を出ていく。葵はマジックバッグを肩にかけ直した。
廊下に出ると、午後の光が低く差していた。窓の外で、誰かの足音が遠くなっていった。
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商業研究部の部室。
「失礼します」
扉をノックして開けると、机に向かっていたイレムが顔を上げた。
「葵くんー、いらっしゃい」
明るい声だった。机の上には端末が三台広げられている。グラフと表が画面に並んでいた。
「先輩、70層の素材を持ってきました」
イレムの目がきらりと光った。
「ほんとに!? すごいじゃない、葵くん」
「ありがとうございます」
「えっとねー、まずこれ」
イレムが引き出しから一枚のカードを取り出した。深い青のホログラムが浮いている。ヴァルハラ・アームズのロゴが刻印されていた。
「インターン参加証。はい」
葵がカードを受け取った。
「あれ……70層の素材は?」
「うん、私が欲しかっただけ。ありがとねー」
イレムがにこにこ笑った。葵は手のひらの上のカードと、イレムの顔を交互に見た。
「……」
「ん? どうしたの葵くん」
「いえ……」
葵がカードを見下ろした。
人造神魔のことを知ったときから、目指してきた場所だった。
こんなに、あっさり、手渡されるとは思わなかった。
「いえ、その、ありがとうございます」
葵が頭を下げた。
「無償で参加証だけお願いするのは、悪いと思っていたので。ちょうど良かったです、本当に」
「参加証は本人確認のサインだけだから、後で書いといてー」
イレムが照れたように髪を一房いじった。
「あと、ダンジョンでいくらか素材を拾ったんですけど、見てもらえますか?」
「いいよー、見せてー」
葵はマジックバッグを長机の上に置いた。男子チームから預かった分から取り出していく。スプリガンの樹皮、ドリアードの織糸、グレムリンの歯車——一つずつ机に並べた。イレムが机に身を乗り出して、一つずつ手に取った。
「これは……うん、普通」
「これは……普通」
「これはちょっと高い。でもそんなには」
イレムが流れるように評価していく。指先が素材の表面を撫でる。光の角度を変えて確認する。慣れた動きだった。
「全体的にはいい素材だけど、そんなに高くはならないかも」
「そうですか」
「うん、量で稼ぐ感じになる」
葵が次にマジックバッグから取り出したのは、白い羽根の束だった。きれいに整列した二十本。光を反射して淡く青白く輝いている。
イレムの手が、止まった。
「……葵くん」
声のトーンが変わっていた。
「この素材、どうしたの?」
「11層から19層に出る、天使の羽根だと思います」
イレムが羽根を一本、そっと持ち上げた。指先で軸を撫でる。
「……」
「先輩?」
「天使の羽根って、こんな形を保つことはないんだけど」
「劣化していたので、魔力を込めてみました」
「魔力を、込めた」
イレムが羽根を光に透かした。葵を見た。羽根に戻した。一本ずつ確認し始めた。動きが速くなっていく。
「葵くん」
「はい」
「これは……ビジネスになるよ」
「ビジネスに?」
イレムが羽根を机に置いた。両手を腰に当てて立った。目元のいたずらっぽい光が消えて、別の光が宿っていた。
「天使の羽根は、通常ドロップした瞬間から崩れ始めるの。形を保ったまま流通してるものは、世界に存在しない」
「そうなんですか」
「需要は前からあった。装飾品・魔法触媒・宗教的儀礼用。でも素材自体が流通しないから、市場が立ち上がらなかった」
イレムの口調が早くなっている。葵には初めて見る速度だった。
「葵くんが安定化したこの羽根は、世界で初めて市場に乗る天使の羽根になる」
「あの、待ってください」
葵が一歩下がった。
「これ、ルシファーのダンジョンで出た、偽物の羽根ですよ」
「うん?」
「本物の天使の羽根じゃない。偽物です」
イレムが羽根を一本つまんで顔の高さに持ち上げた。少し首を傾げた。
「うーん」
「いいんですか? 売っても」
「葵くん、これ、本物と同じ性質してるよね」
「性質は、多分同じだと思います」
「だったらいいの。ちゃんと『パンデモニウム・ラビリンス産』って表記するし」
イレムが軽く頷いた。
「商品の出所を偽装するわけじゃないから、騙すわけじゃない」
「……」
「あ、でも、ね」
イレムが羽根を机に戻した。指を顎に当てて少し考えた。
「サラーム教的に、ちょっと気になる人もいるかも。偽物だし、悪魔のダンジョンで出たものだし」
「あ、はい、それも」
「えっとねー、考えがあるんだー」
イレムが片目を瞑った。
「アービターで探してみるね。素材の浄化を専門でやってる人、いるから」
「アービターで?」
「うん、各国の聖職者・宗教家・呪術師が登録してて、依頼を受けてくれるの」
イレムが端末を取り出した。指がメッセージを打ち始める。
「『悪魔のダンジョン産・天使の羽根二十本・形を保ったまま・各宗派の祝福を希望』っと」
イレムが軽く頷きながら入力した。
「これで投稿しとくね」
「それで、いいんですか?」
「うん、アービターの公的な仕組みだから、信頼できる人しか登録してないし」
イレムが端末をしまった。にっこり笑った。
「誰か受けてくれるといいなー」
葵が小さく頷いた。
「あ、お父さんに見つかったら、ちゃんとアービター経由で依頼したって言えるし」
「お父さん、厳しいんですか?」
「うん、政治の話だと現実主義なんだけど、信仰の話だと意外と硬いの。お父さんの前ではこういうこと、自分判断でしない」
葵が頷いた。
「先輩、ちゃんとされてますね」
「葵くん、ほんと素直」
イレムが、一拍黙った。
「父よりは……小さな商売だけど」
葵が首を傾げた。
「先輩のお父さん、すごい人なんですか?」
イレムが少し驚いた顔をした。机に置いていた指が、一度、止まった。
「あ……うん、すごい人。トルコ統一して、人を救って、世界中で平和の話をして」
「先輩もすごいです」
「……ありがと」
イレムが髪を一房いじった。指の先で、その毛先を一度撫でた。端末に視線を戻した。指の動きが少し遅くなった。
「葵くん」
イレムが急に真剣な顔をした。
「これ、量産していっぱい売ろう!」
「量産」
「11層から19層の天使の羽根なら、ダンジョン部?に任せられるでしょ?」
「はい、たぶん」
「葵くんが安定化した羽根は、世界に一本しかない素材になるの。希少価値が爆上がりだよ」
イレムが指を折って数え始めた。一本ずつ、机を軽く叩く。
「装飾品・魔法触媒・儀礼用品・コレクション品。市場が四つ立つ」
「四つ……」
「葵くん、会社作ろう」
「会社」
葵が瞬きをした。イレムが机の上の端末を一台引き寄せた。指が画面の上を滑り始める。
「まずアービターに企業設立を申請、と」
イレムの指が、滑らかに動いた。葵の側からは画面の文字までは見えなかった。
「私の名前と、葵くんの名前と、商業研究部の業績……三年生の生徒会会計の肩書きで通すから、申請は三日くらいで通るよ」
「三日」
「うん、今日が木曜だから、月曜には登記が下りる」
「あの、待ってください」
葵が一歩近づいた。机に手を置いた。指の下の木目が、わずかに冷たかった。
「未成年でも、会社って作れるんですか?」
「親の同意書がいるよ。葵くんのご両親には、私から連絡入れていい?」
「あ、はい、お願いします」
「内容は『天使の羽根を扱う小さな素材ビジネスの共同経営者』ね。難しい話じゃないから、ご両親もそんなに反対しないと思う」
イレムが端末から目を上げた。
「あとは社名」
「社名」
「うん、葵くんの会社でもあるから、名前は一緒に決めようよ」
イレムが顎に指を当てた。目を閉じた。机の上に肘をついたまま、しばらく動かなかった。葵は黙って待った。
「えっとねー」
数秒の沈黙があった。
「メレク・ルーメンって、どう?」
「メレク・ルーメン」
葵がその名前を、口の中で一度、繰り返した。
イレムの指が、机の上で、一度止まっていた。
「どういう意味ですか?」
「メレクはトルコ語で天使。アラビア語でも同じ意味」
イレムが目を開けた。
「ルーメンはラテン語で光」
「天使と光」
「天使の羽根と、葵くんの光」
イレムがにっこり笑った。
「葵くんの光の魔力が、天使の羽根を再生させる。それを売る。そのまんまの名前」
「……いい名前だと思います、すごく」
「ほんと?」
「はい」
葵が頷いた。
「先輩、いい名前を考えるのも、商業のセンスなんですね」
イレムが、一拍黙った。
ライラがふっと顔を出した。葵の胸元から、イレムの顔を見ている。
「葵くんって、ほんと素直よね」
イレムが少し小さい声で言った。
「あ、で、土地ね」
イレムが画面を切り替えた。地図が表示された。葵が覗き込んだ。机を挟んだ距離が、一歩、近くなった。
「土地?」
「会社の本社と工場用地」
「工場……ですか?」
「うん、葵くんさあ、これ全部一人で加工するつもり?」
イレムが羽根の束を指した。葵が黙った。羽根の一本一本が、机の上で並んでいた。光に応えて青白く揺れている。
「20本くらいなら今日みたいに葵くんが安定化できるけど、量産するなら桁が違うよ。週に何百本、何千本になる」
「あ……」
「そんな量、葵くん一人で魔力込めてたら、葵くんが先に倒れる」
イレムが机に肘をついた。葵を見た。視線は、葵の手の上で、一拍、止まった。
「だから、葵くんが羽根に魔力を込める方法を、まず再現性のある形に落とし込む」
「再現性」
「うん、どのくらいの魔力を、どのタイミングで、どのくらい注入するか。データを取って、手順を確立する」
「それを、機械でやるってことですか?」
「うん。葵くんの魔力波形を測って、機械でその波形を再現する。最初は職人が手作業で補助しつつ、将来的には自動化」
葵が小さく頷いた。指が、机の縁に触れていた。
「魔法工学の応用ですね」
「そう。リース先生に相談したら喜んで設計してくれそう」
イレムが端末を操作して、地図に戻った。指が画面の上を滑る。地図が拡大されていく。
「で、その工場用地。フレデフォート・クレーターの近くがいいでしょ?」
「ダンジョンに近いから、ですか」
「うん、素材を採取してすぐ加工できる。素材の劣化が始まる前に処理できる」
イレムが地図をさらに拡大した。クレーターの北縁にパリスという町が表示されている。その南東に広い緑色の領域が広がっていた。
「ここ、パリスとヴレーデフォートの間。元はヒマワリ畑だった農地。今は放置されてる」
「広いんですか?」
「八百ヘクタール」
「八百……」
葵が画面を見た。広大な緑色の領域だった。
「八平方キロですね」
「うん、アルカディア島のテーマパークの……ええと、何倍くらいだったかな、まあ広いよ」
「先輩、そんなに必要ですか?」
「加工工場と本社と倉庫とー」
イレムが指を折った。
「あと、将来何作るか分からないでしょ? 領地みたいにしてもいいし」
「領地」
葵がもう一度繰り返した。
「うん、葵くんの領地。天使の羽根の聖地、どう?」
(先輩、ノリが軽い)
葵が内心でそっと思った。
「あの、それだけ広いと、すごく高いんじゃ」
「うん、それなんだけどね」
イレムが少し声を落とした。
「フレデフォートの周りって、企業が買えないことになってるの」
「企業が買えない?」
「うん、独占を許さない仕組みがあって」
イレムが机に肘をついた。指が、机の上で組まれた。
「揉め事を起こしたら町全体から袋叩きにされるの。暗黙の掟」
「袋叩き」
「うん。あと、自警団がいて、企業関係者には何も売ってくれない。食料も水も武器修理も全部」
「えっと、それは」
「探索者の町を守ってる組織。元軍人とか、地元の人とか、高位の魔法使いも何人かいる」
「ダンジョンの中に、拠点を作るのは?」
「ダンジョンが壊しちゃう。神魔か、ルシファーの意思か、わかんないけど」
葵が黙った。
(……ルシファーかもしれない)
胸元のライラが小さく揺れた。葵にだけ聞こえる声で囁いた。
「ルシファー、嫌な感じ、する」
葵が小さく頷いた。
イレムが葵を見た。
「だから——お父さんの企業の名前は使えない。私個人として、メレク・ルーメンっていう新しい会社で進出する」
「先輩、それで、新しい会社を」
「うん。これは私の会社。お父さんとは関係ない」
イレムが端末に視線を戻して、画面を再度操作した。
「で、価格ね。八百ヘクタール、200万ちょっと」
「200万……」
「相場の四分の一くらい。買い手がつかないから、安いの」
「先輩、それ、出せるんですか」
「私のお小遣いの範囲内、かな」
葵が小さく息を吐いた。世界が違うと思った。
イレムが端末をタップした。画面に確認画面が出ている。指が「決済」の文字に触れた。指先が、画面の上で、軽く沈んだ。
「はい、買った」
「……今、買ったんですか」
「うん、ちょちょいと」
イレムが顔を上げて、にっこり笑った。いたずらっぽい目元が戻っていた。
「葵くん、これで私たちの土地ね」
「あとは契約書ね。月曜日にもう一度来てくれる? ご両親の同意書も、月曜までに揃えとくから」
「はい、お願いします」
イレムが端末を閉じた。腰に手を当てて、机の上の羽根を見下ろした。一本ずつ、視線が辿っていく。
「葵くん、これ、ほんとに大きな商売になるよ」
「ありがとうございます、イレム先輩」
葵が深く頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。ありがとう、葵くん」
イレムが、ほんの少しだけ、声を落として言った。
その時、葵の端末が小さく振動した。視線を落として時刻を確認する。十七時を回っていた。
「あ、すみません、もうすぐ剣術部の時間が……」
「あ、ごめんごめん、夢中になっちゃった」
イレムが頭をかいた。
「白羽ちゃんに連絡入れとくねー」
「いいんですか?」
「うん、生徒会で連絡先知ってるから。『今日は会社設立で押さえて』って言っとく」
イレムが端末を取り出して、指を滑らせた。
「白羽ちゃんなら、葵くんが商売頑張ってるって聞けば、納得してくれるよ」
「ありがとうございます」
「いいよー」
イレムが端末を仕舞った。にっこり笑った。
「じゃあ、月曜に契約書ね」
「はい、月曜に」
葵が頭を下げて、扉に向かった。
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教員寮への帰り道、葵は端末を取り出した。廊下の窓から、夕方の光が斜めに差していた。
ダンジョン部のグループチャットを開く。
「先輩に相談したら、素材が高く売れることになって、会社を作ることになったよ」
短く打って送信した。
歩きながら画面を見ていると、すぐに通知が並び始めた。端末の振動が、手のひらに小さく伝わってくる。
颯:「は!?」
颯:「マジで会社!?」
タヴィタ:「いくらもらえるんだ!?」
マルコ:「タヴィタ落ち着け」
マルコ:「で、なんの素材だよ」
葵が歩きながら返信した。
「天使の羽根。11層から19層に出るやつ」
数秒の沈黙があった。それから一気に通知が増えた。
ジャック:「天使の羽根って、すぐ崩れるやつだろ。なんで売り物になるんだ」
葵:「光の魔力で安定化したら、崩れなくなった」
ジャック:「……は?」
マルコ:「は?」
ダニエル:「まあそういうことだろうな」
ユースフ:「ダニエル、それで済ますな」
タヴィタの長文が次に来た。
タヴィタ:「俺もう11層から出ないわ」
タヴィタ:「天使の羽根だけ拾い続ける」
タヴィタ:「金になるなら他の階層行かなくていい」
カイ:「……まあ」
颯の返信が早かった。
颯:「お前らルシファー打倒はどうした」
タヴィタ:「いや、1年では50層が目的だし」
ダニエル:「まあそういうことだろうな」
マルコ:「あと会社作るんなら、葵の会社に就職すればいいんじゃね」
タヴィタ:「天才」
ジャック:「就職って、お前ら学生だぞ」
マルコ:「アルバイトでいいんだよアルバイトで」
タヴィタ:「採用!! 俺を採用!!」
颯:「タヴィタ、葵がまだ何も言ってないだろ」
葵は廊下を歩きながら、画面を見て少しだけ笑った。窓の外で、午後の光が低くなっていた。
葵:「メレク・ルーメンっていう名前の会社」
葵:「月曜に契約書」
葵:「アルバイトも、たぶんイレム先輩と相談したら大丈夫だと思う」
タヴィタ:「やった!!」
マルコ:「葵、お前ほんとすげえな」
颯:「お疲れ、葵」
葵は端末をポケットに収めた。教員寮の入口の扉が、目の前にあった。




