第114話 魂の合金
三限のチャイムが鳴った。
授業ホールは、Sクラスの教室より広い。階段状の席が緩やかに下りていって、最下段に教壇がある。葵は中段の席で、茜とセレンに挟まれていた。
茜が左、セレンが右。
「葵」
茜が小声で言った。
「うん」
「ノート、見せてもらえる?」
「うん、いいよ」
葵はノートを茜の方に少し寄せた。茜がページを覗き込んだ。髪が肩から落ちて、葵の腕に触れた。
「ありがとう」
右側から、袖が引かれた。
セレンだった。
「葵」
「うん?」
「ここ、わからない」
セレンが教科書の一行を指していた。指の先が葵の方に少し触れた。
「うん、見るね」
葵が右に体を傾けた。セレンの肩と葵の肩が、軽く触れた。セレンの黒髪が葵の頬の近くにあった。
茜が葵を見た。目だけが動いた。
「葵」
茜が左から呼んだ。
「うん」
「私が、先」
「うん、ごめんね、茜」
葵がもう一度左に体を戻した。
セレンが葵の袖を、もう少し引いた。
「茜」
セレンが言った。
「うん?」
「順番で、いい?」
茜が少し黙った。
「……分かったわ」
葵は二人の間で、何も言わなかった。
教壇に、リース・オルタが上がってきた。
スーツの袖がまくられている。黒板の左端のパネルが、青白く灯った。光の輪郭が、ゆっくりと揺れた。オルタだった。
「今日は、武器の魔力回路の話をする」
リースが黒板にチョークで書いた。
——武器同調(Weapon Resonance)。
「武器に魔法陣として刻まれた回路と、術者の魔力回路。この二つが同調することで、魔力が武器に流れ込む。同調の精度が高いほど、魔力の損失が少なく、威力が上がる」
葵はノートにメモを取った。茜がそれを横から見て、自分のノートにも同じ内容を書いた。セレンは何も書かずに、リースを見ていた。
「武器回路の設計プロセスは、三つの工程がある」
リースが黒板に三段で書いた。
——設計フェーズ。粗刻印フェーズ。精密調整フェーズ。
「設計フェーズは、専用端末でCADのように回路パターンを設計する。粗刻印フェーズは、設計データを元に機械で粗い刻印を行う」
リースが三つ目のところで、少し間を置いた。
「精密調整フェーズは、術者が魔力を込めながら手作業で微調整する。高度な技術が必要だ」
葵の指が、止まった。
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葵は、一昨日のことを思い出していた。
鍛冶部の中だった。
アリアの手のひらが葵の胸の中央に置かれて、そこから熱が伝わってきた。背中に回された腕が、肩甲骨のあたりを抱き込んでいた。汗の匂いと、鉄の匂いが混じっていた。
——魂への登録。
アリアはそう言った。
魂晶鉄製の武器は術者の魂と紐付けられる、と。
葵はノートに視線を戻した。
——精密調整フェーズは、術者が魔力を込めながら手作業で微調整する。
リースの文字が、黒板に並んでいた。
葵は端のページに、別の一行を書いた。
——魂晶鉄とは。
ライラが胸元で、少し動いた。
何も言わなかった。
「次に、武器に刻まれる魔法陣のパターンだが」
リースが話を続けた。
葵はノートに、講義の続きを書き取った。
ただ、端のページに書いた一行だけは、消さなかった。
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授業終了のチャイムが鳴った。
教科書を閉じる音が、ホール全体に重なって響いた。
茜が立ち上がった。
「葵、次、ダンジョン部——」
「ごめん、ちょっとリース先生に聞きたいことがあるから、先に行ってて」
茜が止まった。
「……何?」
「魔法工学のことで」
「ふうん」
茜が葵を見た。少し目を細めた。
「じゃあ、部室で待ってる」
「ありがとう」
セレンが葵の袖を一度、軽く引いた。
「葵」
「うん?」
「今度、私にも、教えて」
「うん、いいよ」
セレンが頷いた。茜がセレンを横目で見た。それから二人が一緒にホールを出ていった。
葵はノートを閉じて、教壇に下りた。
リースは黒板の前に立っていた。チョークの粉を布で拭いていた。
「リース先生」
葵が言った。
リースが振り返った。目が、少し笑った。
「小春。質問か?」
「はい」
葵は少し間を置いた。
「魂晶鉄という素材は、何ですか」
リースの手が止まった。布を黒板に置いて、それから葵を見た。
黒板の左端のパネルの中で、青白い光の輪郭がゆっくりと揺れた。
オルタだ。
「……どこで、その名前を聞いた?」
リースの声が、いつもより少し低くなっていた。
「鍛冶部で。アリア先輩が、教えてくれました」
「ああ」
リースの肩が、ほんのわずかに緩んだ。
「コールマン、か」
リースが頷いた。
「いいだろう。少し話そう」
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リースが教壇に座った。チョークを置いた。
葵は教壇の前に立ったまま、リースを見ていた。
「魂晶鉄は、二つの素材を組み合わせた合金だ」
リースが、指を二本立てた。
「一つ目は、エーテライト」
「魔力鉱石、ですか」
「そう。魔力を伝導する性質を持つ鉱石だ。希少だが、世界各地で採掘されている。一般にも流通している」
葵は頷いた。
「もう一つ」
リースが指を一本減らした。
「神魔の魂核の欠片」
葵の頷きが、止まった。
「神魔の、魂核」
「死んだ、あるいは封じられた神魔の核から採取される、極小の結晶だ。それ自体が意志の凝縮物——魂の在り方を物質として持っている」
葵はその言葉を、頭の中で繰り返した。
魂の、在り方を、物質として持っている。
「この二つを、職人が自分の魂を媒介にして融合させる。物質と魂の合金——だから、魂の合金と呼ばれている」
リースの目が、葵を見ていた。
「魂晶鉄製の武器は、持ち主の精神力・意志・魂の在り方によって、重さ・硬さが劇的に変化する。羽のように軽くも、岩のように重くもなる」
「はい」
葵は昨日の演習場を思い出していた。
剣にも、ナイフにも、弓にも、拳銃にも、杖にもなった。形が変わるたびに、手の中の重さが微妙に違っていた。
それは——魂の在り方を、武器が読み取っていた、ということなのか。
「ちなみに、エーテライトの方だが」
リースが、机に肘をついた。
「正式には、もう少し興味深い来歴がある。あれは、ただの魔力鉱石じゃない。実は——」
「それは一般には秘密とされています」
黒板の左端のパネルから、声が来た。
オルタだった。
光の輪郭が、少しだけ強く揺れていた。
リースが、頭を掻いた。
「……だな」
「以上の発言は、生徒への提供情報として不適切です」
「分かっている」
リースが葵を見た。それから、口の端を少し上げた。
「忘れろ」
葵は黙っていた。
ライラが胸元で、少しだけ揺れた。
何も言わなかった。
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葵は教壇の前から下がった。
リースは黒板の方を向いていた。
オルタの光が、パネルの中で、もう揺れていなかった。
葵はホールの扉に向かって歩いた。
——エーテライト。
希少な魔力鉱石。世界各地で採掘されている、それは知っていた。
そのはずだった。
でもリースは、もう少し興味深い来歴がある、と言った。
それは、何だろう。
足音が、自分の中で響いた。
葵はそれ以上考えるのをやめた。考えたところで、何も分からない。
ノートを抱え直して、扉を開けた。
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廊下は静かだった。窓から差す日が、白く床を切っていた。
ノートを抱えて、ダンジョン部の部室に向かおうとした、その時だった。
窓の外で、影が二つ、よぎった。
葵が顔を上げた。
二羽の黒い鳥が、廊下の窓の外で滑空していた。
そのうちの一羽が、窓枠に降りた。もう一羽は、空中で旋回を続けていた。
窓枠に降りた方が、ガラス越しに葵をまっすぐ見ていた。
目が、深い赤だった。
葵は窓に近づいた。
カラスが、口を開いた。
「——明日、補習授業をしてやろう」
葵の足が、止まった。
その声は、カラスの声ではなかった。
学園長の、低く静かな声だった。
廊下のガラス一枚を隔てて、葵の耳に直接届いてくるような、そういう響き方をしていた。
「どうする」
葵は少し、間を置いた。
「……お願い、します」
「そうか」
カラスが、目を細めたように見えた。
「明日の昼休み、礼拝堂に来なさい。昼食も、こちらで用意しておこう」
葵の目が、少し丸くなった。
「……ありがとうございます」
「うむ」
それだけだった。
カラスが翼を広げた。窓枠を蹴って、空中に戻った。もう一羽と並んで、塔の方向へ飛んでいった。やがて、見えなくなった。
葵は窓の外を、しばらく見ていた。
ライラが、胸元で動いた。
「葵」
「うん」
「学園長」
「うん」
ライラがそれ以上、何も言わなかった。
葵はノートを抱え直した。
廊下を歩き始めた。
——魂の合金。
——明日、礼拝堂。
葵の中に、二つの言葉が残った。




