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第112話 保健室の呼吸2

ダンジョン部の部室。


12人が部室に集まっていた。

颯が中央で立った。


「じゃあ、結果発表だ」

颯が言った。

「男子チームは、19層まで行った」

リオが小さく頷いた。マルコが「俺たちはまだまだだ」と笑う。

「葵チームは、60層」

颯がそう続けると、タヴィタが「やっぱ次元違うわ」と肩を竦めた。


エリックが机に腰のマジックバッグを置いた。

「素材を渡すぞ」

バッグに手を入れる。19層分の素材が次々と取り出されていく。骨片。布の断片。光る石の小さな塊。

ジャックが「俺の分も入ってる」と言った。マルコも「俺もエリックに預けてた」と頷く。葵は二人を見た。


「みんな、エリックのマジックバッグを使ってたの?」

「ああ」

颯が頭をかいた。

「俺ら、そんなもん持ってないからな。

最初は『俺の物だ』って渋ってたんだけど、結局貸してくれた」

エリックが眉を寄せた。

「俺は最初から、貸すと言った」

「えー、最初の30分くらい『俺の物だ』って言ってたじゃん」

「言っていない」


葵は少し笑った。エリックも口元だけ歪めた。


エリックがまた取り出した。トゥルダクの骨片を見たタヴィタが顔を綻ばせる。

「これ、いくらになると思う?」

「先輩に聞かないと、わからない」

葵がそう答えると、タヴィタは頷いてまた机の上の山を見ていた。


エリックがアプサラスの織糸を取り出した。薄い光を放っている。指で持ち上げると、糸が空中で揺れた。

「11層からだ」

「うん、ありがとう、エリック」

葵は受け取って戦闘服のマジックバッグに収めた。


エリックがもう一つ、何かを取り出した。

白い羽根だった。

小さく、軽く、形が崩れていた。


「あれ?」

颯が首を傾げる。

「葵、これ、拾ったときは綺麗だったんだけどな」

颯がそう言うと、リオが横から覗き込んだ。

「うん、最初はもっとちゃんとした形だった」

「劣化したのか?」

エリックが眉を寄せた。

「マジックバッグの中で何かしたとは思わないが」


葵は羽根を見た。指先で軽く触れると、表面が浮きそうになる。

ライラが胸元から顔を出して、羽根を見ていた。


「あとで見てみるね」


エリックが頷いた。

「すまない、状態が悪くて」

「ううん。エリックのせいじゃないよ」

葵は羽根をそっとマジックバッグに収めた。


颯がリュックを担ぎ直した。

「じゃ、俺たち先に上がってる。葵もすぐ来いよ」

「うん」

颯たちが部室を出ていく。リオが手を振った。

マルコが「飯、食ってから帰る」と言う。

タヴィタが「素材、お願いね」と振り返った。

葵は頷いた。


部室に、葵と茜とセレンが残った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


葵は机の上に羽根を並べた。

二十本あった。

小さく、軽く、どれも形が崩れていた。


セレンが鞄を肩にかける。

「じゃあ、また明日」

「うん、明日」

セレンが部室を出ていった。


茜は座ったままだった。


葵は最初の一本を選んだ。

机の縁に置き直し、指先をかざす。

触れない。触れたら散る、と思った。


指先から光が滲み出た。

淡く、青みのない、温かい光。

羽根の上にゆっくり降りていく。注ぐように。


葵は息を整えた。

速く流すと、羽根が耐えない。

弱く、長く、流し続ける。


時間がゆっくり進んだ。

30秒ほど経った頃、葵は指先を上げる。

光がふっと消えた。


一本目の羽根は、机の上で形を保っていた。

触れても、もう散る気配はない。


「茜、見てても面白くないだろうから、先に帰ってもいいよ」

葵は二本目の羽根を見ながら言った。

「あと十九本もある」


「私は、ここにいる」

茜が言う。

「葵が、終わるまで」


「うん、わかった」


葵は二本目に手を伸ばした。

同じように指先をかざし、同じように光を注ぐ。

同じ30秒だった。

二本目も、形を取り戻した。


三本目も、同じだった。

四本目も、同じ。


葵はその間、ほとんど動かなかった。

指先から光だけが、静かに流れ続けている。


五本目。

七本目。

十本目。


葵は同じ動作を繰り返した。

指先をかざす。光を流す。30秒待つ。指先を上げる。

次の羽根に手を伸ばす。


十本を超えたあたりで、葵の額にうっすら汗が滲んだ。

それでも光の強さは変わらない。

弱く、長く、注ぎ続けた。


十五本目を、葵は終えた。

十六本目に手を伸ばす。


二十本目を、葵は終えた。

指先を上げる。光が消えた。


葵がふう、と息を吐いた。


「終わったよ」

葵が顔を上げた。


茜は答えなかった。


「茜?」

茜が我に返り、慌てて頷いた。

「うん。すごい、葵」

「ありがとう」


葵は羽根を一本ずつ、丁寧にマジックバッグに収めた。

二十本、全部、形を保っている。


ライラが胸元で揺れた。

「明日、70層終わったら、イレム先輩のところに持って行こうね」

「うん」


茜が立ち上がった。

「じゃあ、また明日」

「うん、また明日」


茜が部室を出ていった。

葵もマジックバッグを確認して、部室を出る。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


中央棟の地下から北棟へ向かう廊下を歩いた。

水曜日の十六時半、休息の時間。


保健室の扉をノックして開けた。

ジャスミンの香りが少しした。


「葵くん」


カヴィヤが奥にいた。

保健委員会の部屋の扉を開け、こちらを見ている。

カーディガンの上から白衣を羽織っていた。


「こんにちは、カヴィヤ先輩」

葵は鞄を置いた。


「今日も来てくれたわね。着替えてきて」

カヴィヤが棚から畳まれた衣類を取り出す。

タンクトップとヨガパンツ、それから黒のハーフパンツ。

先週と同じだった。


「はい」

葵は受け取って保健室のカーテンの内側で着替えた。

タンクトップを着る。ヨガパンツを履く。その上から黒のハーフパンツ。

畳んだ制服を椅子に置いた。

ライラが胸元から少しだけ顔を出した。

「ライラ、また同じだね」

「うん」

ライラはまた胸元に戻る。


カーテンを開けて、奥の部屋に入った。

カヴィヤはもう着替えを済ませていた。

白いヨガトップ、深いグリーンのヨガパンツ。長い黒髪をひとつに束ねている。

ヨガマットが二枚、向かい合わせに敷いてあった。


「先週は呼吸法と山のポーズだったわね」

カヴィヤがマットの上に座る。

「今日は座位を中心にしましょう。安楽座から」


「はい」

葵は自分のマットに座った。

あぐらの形になる。


「背筋を伸ばして、両手を膝に」

「はい」


カヴィヤと向かい合わせに座った。

カヴィヤが先に目を閉じた。葵も目を閉じる。


「ゆっくり呼吸をして」

カヴィヤの声が低い。


葵は息を吸った。

吐く。

鼻から入る空気が少し冷たかった。


部屋の中に、二つの呼吸の音だけがあった。

時計の秒針の音もあったが、すぐに気にならなくなる。


(……静か)


葵はそれだけ思った。


しばらく呼吸を続けた。

カヴィヤは何も言わない。

時々、葵は目を薄く開けて様子を見た。カヴィヤは姿勢を変えずに座っていた。

葵は目を閉じ直す。


「次は、猫と牛のポーズに移ります」

カヴィヤが目を開けた。

「四つん這いになって」


葵は四つん這いになった。

両手を肩の下に置き、両膝を腰の下に置く。

カヴィヤも隣のマットで同じ姿勢を取っていた。


「息を吸いながら、背中を反らせて。お腹を下に落とすイメージ」

「はい」

葵は背中を反らせた。


「息を吐きながら、背中を丸めて。おへそを覗き込むように」

「はい」

葵は背中を丸める。


「もう一度。呼吸と動きを合わせて」

葵は繰り返した。

吸って、反らせる。吐いて、丸める。


カヴィヤが葵の隣に来た。

気配が近くなる。

背中に、指が一本だけ置かれた。


「ここ、もう少し丸めて」

カヴィヤの声が静かだった。

「はい」

葵は背中をもう少し丸めた。

指の場所が温かい。


「そう。上手」


カヴィヤが指を離した。

それから、また繰り返す。

何度か、同じ動作を続けた。

背中を反らせる。背中を丸める。

カヴィヤの声がゆっくり、規則的だった。


葵は考えなくてもよかった。

言われた通りに動く。


(楽だな)


そう思った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


猫と牛のポーズを何度か繰り返した後、カヴィヤがマットの上に座った。


「最後はシャヴァーサナで休みましょう。仰向けになって」


「はい」


葵はマットの上で仰向けになった。

両手は体の横に置く。手のひらを天井に向けた。

ライラが胸元から出て、葵の隣のマットの端で丸まる。


「目を閉じて。力を抜いていいわ」


葵は目を閉じた。


「足の先から、ゆっくり力を抜いて。足首、ふくらはぎ、太もも」


葵は意識を足の先に向けた。

力が入っていた場所をひとつずつ確認する。

抜けるところは抜いた。


「お腹、胸、肩。腕も力を抜いて」


葵は肩を意識した。

肩に力が入っていた。気づかなかった。

ゆっくり肩を床に下ろす。


「顎を緩めて、額の力も抜いて」


葵は顎の力を抜いた。

額の力はよくわからない。

それでも、抜いたつもりになった。


「呼吸はそのまま。私はチャイを淹れているから、ここで休んでいて」


カヴィヤの気配が遠ざかった。

扉の向こうで、何かを準備する音がする。


葵は仰向けのまま、目を閉じていた。


奥の部屋から、水を入れる音が聞こえた。

鍋を火にかける音。

何かを砕く音。スパイスかもしれない。

それから、ミルクを温める甘い香りがゆっくり広がってきた。


葵は呼吸を続けた。

吸って、吐く。

何も考えなかった。


(……いい匂い)


そう思った。


しばらくして、ミルクが沸いてくる音がした。

カヴィヤが何かを掻き混ぜている。

小さな音だった。


葵は仰向けのまま動かなかった。

体が床に沈んでいくような気がした。

重い。でも、悪い重さではない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「葵くん」


カヴィヤの声で目を開けた。


部屋の中が、来たときより少し暗くなっていた。

窓の外の光が傾いている。


「チャイ、できたわ」


葵はゆっくり起き上がった。

体が重い。でも、軽い。


カヴィヤが小さなテーブルを部屋の中央に出していた。

二つのカップが置いてある。

湯気が立っていた。琥珀色の液体に、白い泡が浮かんでいた。


「座って」


葵は椅子に座った。

カヴィヤが向かいに座る。


「熱いから、気をつけて」

「はい」


葵はカップを持った。

両手に温かさが伝わってくる。

ゆっくり口に運んだ。


甘かった。

スパイスの香りが舌の奥に広がる。

ミルクの濃さが喉に落ちていった。


「美味しいです」


葵がそう言うと、カヴィヤはわずかに口元を緩めた。

「よかった」


葵はもう一口飲んだ。

温かさがお腹の中に落ちていく。


「先輩、これ、何が入ってるんですか」


「カルダモン、シナモン、生姜、クローブ、それから胡椒も少し」

カヴィヤがカップを両手で包んだ。

「母が教えてくれた配合よ」


「お母さんが」


「インドでは、家ごとにチャイの味が違うの。

スパイスの組み合わせが、それぞれの家の味」


「そうなんですね」


葵はもう一口飲んだ。

胡椒はわからなかった。でも、後から少しだけ舌に残るのがそれかもしれない。


カヴィヤがカップを置いた。

机の上に、青いものが現れた。


最初、葵には何かわからなかった。

小さな魚が空中に浮いている。

青いベタだった。


「カヴィヤ先輩、それは……」


「ニーラ」

カヴィヤがその魚に指を伸ばした。

「私の使い魔よ」


ニーラはカヴィヤの指の周りをゆっくり泳いだ。


「使い魔」


「母が幼い頃に贈ってくれた時は普通のベタだったの。

学園に入る前に、契約した」

カヴィヤがニーラの動きを目で追う。


ライラが胸元から少しだけ顔を出した。

チャイの香りに引かれたのか、湯気の方を見る。

それから、ニーラを見た。


ニーラがライラに気づいた。

動きを止めて、ライラの方に体を向ける。

ライラもニーラを見ていた。


二つの小さな存在が、机の上で見つめ合っていた。

どちらも動かない。


カヴィヤは何も言わなかった。

葵も何も言わなかった。


しばらくして、ニーラがゆっくりカヴィヤの肩のあたりに戻った。

ライラも胸元に戻る。


「仲良くなれそうかしら」

カヴィヤがそう言って、また口元を緩めた。


「どうでしょう」

葵もそう言った。

わからない。でも、悪くはなさそうだ。


葵はチャイをもう一口飲んだ。

カップの半分ほどになっていた。


「葵くん」


カヴィヤが葵を見た。


「最近、どう」


「最近、ですか」


葵は少し考えた。

最近何があったか、すぐには出てこない。

忙しかった。色々あった。でも、今、思い出そうとすると、輪郭が薄かった。


「……忙しいです」


それだけ言った。


「そうね」

カヴィヤはそれ以上聞かなかった。


葵もそれ以上話さなかった。


二人でカップを口に運んだ。

湯気が、また少しだけ立つ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「終わり」


カヴィヤがカップを置いた。

カップは空になっていた。葵のカップも空になっている。


葵は立ち上がった。


「ありがとうございました」


「来週もまた来なさい」

カヴィヤが片付けを始める。

「同じ時間に」


「はい」


葵は奥のカーテンの内側で着替えた。

タンクトップを脱ぎ、制服に戻す。

ライラは胸元に静かに収まっていた。


保健室を出た。

廊下の窓から、夕方の光が斜めに入っていた。


体が軽かった。

ダンジョンから戻った時とも、剣術部の後とも違う。

ただ、整っていた。


(また来週)


寮へ向かって歩いた。

ライラが胸元から少しだけ顔を出した。


「ニーラ、可愛かった」


ライラがそう言った。


「うん、可愛かったね」


ライラがまた胸元に戻る。


葵は少し笑った。

夕方の光が、廊下を斜めに切っていた。

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