第109話 業火の熔窟
4限のスタディホール。
先週からダンジョン部の部室として割り当てられた教室にダンジョン部が集まった。
もともとは自習用の空き教室だったが、颯が学園長に直談判して使用許可を取った。
黒板には颯が書いたと思われる「ダンジョン部」の文字がそのまま残っていた。
「お前ら、学園長の許可が出たぞ! いざ、ルシファーを倒しに行くぞ!」
颯が拳を上げた。マルコとタヴィタが顔を見合わせた。
「いや、一日じゃ無理だし」
「俺たち50層までしか行けないし」
「まあ葵チームと俺のチームはどこまでも行けるからな」
颯はまったく気にしていなかった。視線がエリックに向いた。
「エリック、お前のお陰だ。
お前が居ないと俺のチームも50層までだった」
エリックが軽く手を上げた。
それだけだったが、颯は満足そうに頷いた。
「よし、行くぞ!」
「「「オーッ!」」」
ジャックが飛び上がり、ユースフが肩を組んだ。リオだけが静かに口元を上げていた。ダニエルとカイはすでに装備を確認していた。
気づくと、セレンが左側に立っていた。茜が右側から腕を絡めてきた。誰も何も言わなかった。葵は男子たちの騒ぎを眺めながら、そのまま立っていた。
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転移した瞬間、景色が変わった。
南アフリカの空は広かった。
クレーターの縁に沿って広がる町が、眼下に広がっている。
探索者向けの武具店、換金所、食堂、宿屋。
看板の言語がばらばらで、聞こえてくる声も英語、アラビア語、中国語が混ざり合っていた。
「うわ、すっげえ……!」
マルコが声を上げた。タヴィタが口を開けたまま周囲を見回している。ジャックとユースフが早速露店の方へ歩き出そうとした。
「止まれ」
颯の声が飛んだ。
「遊びに来てるんじゃないぞ。気を引き締めろ、お前ら」
ジャックが振り返って肩をすくめた。颯は腕を組んで全員を見渡した。文句を言う者はいなかった。
エリックが隣に並んで町を眺めていた。いつもより少し、姿勢が前に出ていた。
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颯たちと入口で別れた。
「じゃあ、また後で」と颯が言って、男子チームはそれぞれの転移石へ向かった。
茜が葵の手を取った。笑顔だった。
「行こう、葵」
そのままダンジョンの扉へ引っ張ろうとしたところで、反対側の手をセレンが掴んだ。無言だった。
茜がセレンを見た。セレンも茜を見た。しばらく誰も何も言わなかった。
葵は両側から手を掴まれたまま転移石を踏んだ。
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51層に出た瞬間、熱が全身を包んだ。
肺に入ってくる空気が焼けていた。
50層までとは次元が違う。息を吸うたびに喉の奥が乾き、吐き出す息すら熱く感じた。
足元の岩は赤みを帯びており、踏み込むたびにわずかに沈む感触があった。
薄い岩皮の下は考えたくなかった。
壁は溶けた岩が固まりかけたような質感で、ところどころ橙色に輝く亀裂が走り、そこから溶岩がじわりと滲み出して床を伝っていた。
天井は高く、上の方は黒煙で見えなかった。
遠くから低い地鳴りのような音が断続的に届いてくる。溶岩が煮えたぎる音か、それとも何か別のものか、判断がつかなかった。
光源は炎と溶岩だけで、影が揺れるたびに岩壁の形が変わって見えた。
硫黄の臭いが鼻をついた。
茜がセレンを見た。
「嘘じゃなかったのね」
セレンは最低でも51階層には来たことがあるようだった。そうでなければこの階層へ転移は出来ない。
「……嘘ついても意味ない」
セレンは既に周囲に視線を走らせていた。
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「あなたたち、この階層から何が変わるか分かる?」
セレンが前を向いたまま言った。
「この階層から、他の探索者も居るんだよね」
葵が答えると、セレンが小さく頷いた。
「そう。
50層まではパーティーごとに独立した空間に入る。
でもここから先は違う。どのパーティーが入っても、同じ空間を共有する」
茜が周囲に目を向けた。今のところ人の気配はなかった。
「初心者狩りをする探索者もいる。素材を横取りする者、罠を仕掛ける者も。
この階層に来るのが初めてなら、ターゲットにされやすい」
「最短ルートで進めばいいんじゃないの」
「……最短ルートが一番危ない。
人が集まりやすい。トラブルを避けるためにあえて道をそれた方がいいこともある。
でも道をそれると罠や謎解きが出やすくなる」
「だから私が前を行く」
茜が葵を見た。葵はセレンの背中を見ていた。
「分かった、お願い」
歩き出す前に、セレンが振り返った。
「ハンドサインを決めておく」
左手を真上に上げる。「止まれ」。
人差し指を前方に向ける。「敵あり」。
手のひらを横に向けて小さく振る。「罠あり」。
手のひらを前に向ける。「安全・進め」。
親指を後ろに向ける。「撤退」。
「覚えた?」
二人が頷くと、セレンは前を向いた。
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セレンが先頭を歩いていた。
フードを目深に被り、黒いマントが熱波にわずかに揺れている。
左腕にはボーガンがガントレット型で固定されていた。
腰のホルスターにナイフ。制服や運動着しか見たことがなかったので、少し違う人間のように見えた。
「その装備、ダンジョン用?」
「……そう」
セレンは前を向いたまま答えた。左腕を少し持ち上げてみせた。ボーガンが熱気の中で鈍く光った。
「矢は?」
「念じれば出る」
それだけ言って、また歩き始めた。
セレンの歩き方は音がしなかった。足の置き場を一歩ごとに選んでいた。時折しゃがんで床を見る。立ち上がって迂回路を示す。
「ここ」
セレンが足元を指した。一見すると他と変わらない岩の床だった。
「踏むと抜ける。溶岩がすぐ下にある」
葵は足元を見た。言われなければ分からなかった。色がわずかに違う。表面の質感が薄い。
茜と二人だったら、気づかずに踏んでいたかもしれない。茜を見ると、同じことを考えているような顔をしていた。
セレンはすでに迂回路を歩いていた。葵と茜はその足跡を正確になぞった。
しばらく進んだところで、茜の隣に白い光が灯った。
ドミニオンが姿を現し、茜の周囲をゆっくりと旋回し始めた。熱気の中でも光は揺らがなかった。
セレンが振り返った。
「ずっと出しておくの?」
「そうよ」
「……魔力、大丈夫なの?」
「大丈夫よ。あなたこそ出したら? 居ないの?」
セレンが前に向き直った。
「……内緒」
「何よ、もったいぶって」
「でも、いざとなって魔力切れになるのは困る」
葵は二人のやり取りを聞きながら歩いていた。
「茜は前も出しっぱなしにしていたけど、問題なさそうだったよ」
セレンが少し間を置いた。葵の方を見て、また前に向き直った。
「……ふーん、そう」
表情はほとんど動かなかったが、わずかに怪訝そうな色があった。
セレンが人差し指を前方に向けた。全員が足を止めた。
溶岩の表面が、ゆっくりと盛り上がった。
ぬるり、と巨大なトカゲの頭が浮上した。体表が真っ赤に溶け落ち、肉が剥がれながらもすぐに新しい炎の皮膚が再生していく。
一体だけではなかった。
二体、三体——五体が同時に上陸し、炎の尾を振り回しながらこちらへ迫ってきた。
神魔解析録が敵の名前を表示する。サラマンダー。
葵は杖を構えた。
胸元からバクが飛び出した。青白く発光する丸い目が、サラマンダーを捉える。
三本の氷槍が弧を描いて飛ぶ。先頭の一体に直撃し、胸から背中まで貫通する。熱と冷気がぶつかり合い、ジュウゥゥゥッ、と凄まじい蒸気が爆発した。その個体は一瞬硬直し、炎が消えて力尽きた。
茜のドミニオンが動く。聖なる杖を一閃し、突進してきた一体を真横に叩き飛ばす。着地した瞬間に光の波動が走り、そのまま動かなくなった。同時に茜の手から光の膜が広がり、葵とセレンの体を薄く包んだ。
残り三体がマグマを吐き出す。茜のドミニオンが前に出て杖を盾のように構え、光の壁で弾いた。
セレンはすでに横へ跳んだ。左腕のボーガンを構え、狙いを定める。炎の渦が一番薄くなっている、頭の後ろ。二連射。一撃は肩に刺さって燃え上がったが、もう一撃は急所に深く突き刺さった。サラマンダーが咆哮しながら飛びかかってくる。横っ飛びに回避しながらナイフを抜き、着地と同時に切り裂いた。
残り二体。
茜のドミニオンが攻撃を受け止める。葵が氷槍を一本、セレンがボーガンを一射。ほぼ同時に二体が倒れた。
蒸気と硫黄の臭いが漂った。
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「ありがとう、セレン。僕たちだけだったら大変だったかもしれない」
茜が続けた。
「そうね。少し、ほんのちょっと、わずかに大変だったかも」
セレンはボーガンの照準を下ろした。
「うん。ダンジョンは遊び場じゃない。
本来、アルカナでは2年生からじゃないと入っちゃいけないことになっている」
こちらを見た。
「……それが何故だか分かったでしょ」
葵はセレンを見た。
罠の見つけ方、ハンドサイン、他パーティーへの警戒、足場の見極め。
どれも場数を踏まなければ身につかない知識だった。
「セレン、なんでこんなに詳しいの?」
セレンはマントのフードを直した。
「……内緒」
それだけ言って、また前を向いた。




