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第107話 鎧の音2

帰宅して、荷物を置いた。


夕食を作る前に、契約陣を展開した。


フィオナが顕現した。


鎧の音がした。


一瞬だった。フィオナが葵の胸に飛び込んできた。

前回より力が強く、鎧が葵の体に当たる。

重い。でも、受け止めた。


泣いていた。


声は出ていなかった。肩が震えており、鎧の隙間から温かいものが葵の制服に滲んだ。


訓練が辛かったのか。それとも別の何かか。葵には分からなかった。


葵は手を動かした。フィオナの背中に当てて、ゆっくりと撫でた。


鎧の表面は冷たかった。でもその奥に、体温があった。


ライラは何も言わなかった。


フィオナの肩の震えが、少しずつ収まっていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


しばらくして、フィオナが顔を上げた。目が赤く、葵の制服に視線が落ちた。


「も……申し訳ございません、葵殿……また……」


「気にしないよ」


フィオナがうつむいた。


葵は少し考えてから、口を開いた。


「フィオナさん」


「はい」


「つらかったら言ってね」


フィオナが顔を上げた。


「僕が契約したばかりに、フィオナさんが天界で毎日つらい訓練を耐えてるなんて……申し訳ないんだ。」


「そんな、葵殿のせいでは——」


「フィオナさんの面倒は、責任をもって一生見ます」


フィオナが黙った。


「強くならなくても構いません。

なんでもわがままを言ってください」


フィオナの顔が、みるみる赤くなり、耳まで染まった。

「必ず強くなって参ります」と言った言葉が、静かに解かれていくような顔だった。


「葵殿……それは……」


「はい」


「……それは、ほぼ……」


言いかけて、止まった。


フィオナはしばらく葵を見ていた。それから小さく頷いた。


ライラが葵の胸元で、静かに揺れた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「何か食べたいものはある?作るよ」


フィオナが少し固まった。視線が逸れた。


「……その、もし可能であれば」


「うん」


「……生前、よく食べていたものがあって」


「どんなもの?」


フィオナが少し躊躇ってから、言った。


「ラム肉のシチューを……いただけますか」


声が小さくなっていた。


「もちろん」


葵が端末を取り出した。レシピを調べる。ライラが覗き込んできた。


「これとこれ」


「うん、あとこれも」


ラム肉、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、ローズマリー。

天龍集団のネットスーパーで選んでいく。


「材料を注文したよ」


フィオナがまた瞬きをした。


「いつ届くのですか……」


「すぐ届くよ、ドローンで」


「なんと……」


葵が端末をしまいかけて、止まった。


「あ、フィオナさん」


「はい」


「他に必要なものがあったら、何でも言ってね。

後でこの端末を貸すから、自由に注文して」


フィオナが葵を見た。


「葵殿は……本当に……」


玄関のチャイムが鳴った。


葵が受け取りに行った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


鍋を火にかけながら、葵はフィオナを見た。


「フィオナさん、その鎧、動きにくくない?」


フィオナが自分の鎧を見下ろした。


「……確かに、室内では少し」


「着替えられる?」


「はい、おそらく可能です」


葵が端末をフィオナに渡した。


ノートを一枚破いて、数字を書いた。


「パスコードは0321だよ。メモしておくね」


フィオナがメモと端末を両手で受け取った。大切そうに、メモを端末の裏に挟んだ。


「お年玉......ええと、お小遣いのことね。

.....それがいくらかあるから、今はその範囲で必要なものがあったら買ってね。

今後はダンジョンでお金を稼ぐから、不自由はさせないよ」


フィオナが顔を上げた。


「そんな、葵殿にそこまでやっていただくわけには」


「フィオナさんがこうなっているのは僕のせいだから、

気にしないで」


フィオナが何か言いかけた。


そのとき、フィオナの懐で音がした。


取り出したのは、葵の端末とは明らかに違う端末だった。

表面が淡く発光しており、どこか神々しかった。


着信音は遠くから聞こえる鐘のような音だった。


フィオナが画面を見て、一瞬表情が固まった。


電源を切り、ソファに投げた。


淡い光が消えた。


葵は鍋をかき混ぜながら、

「着替えが届いたら、お風呂に入って来てね」と言った。


フィオナが葵の端末に視線を戻した。

ジャージのページを開いて、しばらく眺めていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「フィオナさん、夕食ができたよ」


廊下から葵の部屋に声をかけた。返事がなかった。


ノックをした。

「フィオナさん、開けるよ? ダメなら言ってね」しばらく待ったが、やはり返事がない。


お風呂だろうか?


扉を開けると、紺色のジャージを着たフィオナが椅子に座って端末を操作していた。

眉間に皺を寄せて、真剣な顔をしている。


「……ブックマークも何もない。動画の履歴も……」


独り言だった。気づいていない。


「キャッシュクリアもしていない。

変換候補も……エッチなのが何もない……」


葵は扉の前で止まった。


「……なんと潔白な……」


フィオナは少し考えている。


「アプリの使用時間も怪しくないし……シークレットモードで見ているわけでもなさそうだし……」


頭を傾ける。


「いくら未来でも、本人以外だったら上手く隠すという機能はなかったし……」


フィオナが顔を上げた。


葵と目が合った。


「あ」


端末を裏返した。顔が一瞬で真っ赤になった。


「な、何でもございません」


「……何を調べてたの?」


「そ、そのような……何も……ブックマークも履歴も……そんなものは何もなかったです」


「何がなかったの」


フィオナがさらに赤くなった。答えなかった。


葵はしばらくフィオナを見ていた。


何を探していたのか、よく分からなかった。


「夕食、食べようね」


「……はい」


フィオナが端末をそっとテーブルに置いた。表を向けないまま、立ち上がった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


食卓にシチューを並べると、アーデルとオリビアが来た。


アーデルが椅子を引きかけて、止まった。


フィオナを見た。


アーデルの視線がわずかに細くなった。


オリビアが小首をかしげた。


「あの、その方は?」


「僕の新しい契約神魔のフィオナさんです」


フィオナは立ち上がり、背筋を伸ばして、深く頭を下げた。


「フィオナ・オコナーと申します。

ヴァルキリーです。よろしくお願いいたします!」


オリビアが少し後ずさった。


「こ、こちらこそよろしくお願いします」


アーデルが葵とフィオナを見た。


「フィオナさんは元人間で、最近ヴァルキリーになったばかりです」


「元、人間か」


アーデルが静かに言った。


「人間が神魔になる……そういう神魔も居る。会うのは初めてだが」


フィオナが少し緊張した様子で頷いた。


「いくつか話を聞かせてくれ」


「はい、何でも答えます!」


四人で食卓についた。


シチューの湯気が上がっていた。


フィオナがスプーンを手に取った。一口運んだ。


動きが止まった。


もう一口。


目が潤んだ。


葵はそれを見ていた。

フィオナは涙目でアーデルの質問に答えていた。


ライラが胸元で、温かく揺れた。


しばらくして、葵がアーデルを見た。


「先生、フィオナさんをしばらく置いていただけませんか」


アーデルが少し間を置いた。


「いい。一人も二人も変わらない」


フィオナが顔を上げた。葵を見た。それからアーデルを見た。


深く頭を下げた。今度は何も言わなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


食器を片付けて、アーデルとオリビアが部屋に戻った。


静かになった。


葵はソファに座ると、フィオナも隣に座った。

ライラは葵の膝の上で丸まった。


「フィオナさん」


「はい」


「天界に戻りたくないんだよね」


フィオナが少し黙った。


「……はい、そうです」


「じゃあ送還はしないね」


フィオナが葵を見た。


「……よろしいのですか」


「うん」


フィオナがまた黙り、窓の外を見た。それから小さく頷いた。


「ありがとうございます」


しばらく、二人とも黙っていた。


やがてフィオナが立ち上がり、ソファを見て、横になろうとした。


しかし、体が半分はみ出した。


「フィオナさん」


「大丈夫です、これくらい——」


「ソファは狭いよ、僕のベッドを使って」


フィオナが顔を上げた。


「いいえ、葵殿にそんなことをしていただくわけには」


「でもフィオナさんに辛い思いをさせるわけには」


フィオナが少し考えた。それから、少し赤くなって言った。


「……では」


「はい」


「葵殿と、一緒に寝させてください」


葵は少し考えた。


「狭いよ?」


「いえ、こう見えて寝相はいいので大丈夫です!」


2人で葵の部屋に向かった。


葵が先にベッドに入ると、フィオナが隣に滑り込んできて、葵の背中に腕を回し、そのまま、動かなくなった。


鎧の音はしなかった。


「おやすみなさい、フィオナさん」


返事はなかった。


もう眠っていた。


ライラが胸元で小さく丸まった。何も言わなかった。

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