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第101話 泣いておりません

放課後、葵が剣術部に向かう前に立ち止まった。


ライラが胸元で揺れた。


そういえばしばらく呼んでいなかった、と思った。


魔法陣を展開する。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


フィオナが現れた瞬間、いつもと様子が違った。


凛々しい登場ではなかった。


どこかくたびれていた。


次の瞬間、葵に飛びついてきた。


「葵殿——! なぜ呼んでくださらなかったのですか——!」


ポロポロと涙が溢れた。


葵が慌てた。


「フィオナさん、どうしたの」


翻訳デバイスを外して、片方をフィオナの耳に付けた。


「ひどいです——! 葵殿がお呼びにならないから……訓練ばかりで……!」


鼻水と涙が運動着についた。ライラが胸元から顔を出して、困ったように揺れる。


葵はよしよしと背中を撫でながら話を聞いた。


「何があったの」


「先輩ヴァルキリーが……とても厳しくて……! 毎日ボロボロになるまで鍛えられて……! それなのに何を仰っているのか全然分からなくて……!」


「言葉が通じないの?」


「はい……! 貸していただいていた翻訳デバイス……途中で電池が切れてしまって……! それからは叱られているのか褒められているのか……怖くて……!」


また涙が溢れた。


「葵殿に頂いた魔力で食事や生活には困りませんでしたが……言葉が通じないのは……本当に……!」


葵が頷いた。


「そうか、大変だったね」


フィオナがさらに泣いた。


「頑張っておりました——!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


しばらくして、フィオナが少し落ち着いた。


運動着に鼻水と涙がついていることに気づいて、顔が真っ赤になった。


「も……申し訳ございません、葵殿……! 騎士らしからぬ醜態を……!」


「気にしないよ」


「いいえ、これは騎士として……」


「本当に気にしないから」


フィオナがうつむいた。耳まで赤い。


「リース先生から貰ったデバイス、持ってる?」


カバンを探って取り出す。


「こちらです。電池が切れてしまって……」


「部活の間に充電しておくよ」


葵がデバイスを受け取った。


フィオナがぱちぱちと瞬きをした。


「葵殿……」


「今日は剣術部に一緒に来る?」


「……参ります」


今度は静かな声だった。


ライラが胸元で穏やかに揺れた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


剣術部の道場に入ると、白羽が振り返った。


フィオナを見て、少し目を細める。


「また来たか」


フィオナが背筋を伸ばして会釈した。


「お邪魔いたします」


「前より目が赤いな」


フィオナがぎくりとした。


「……訓練が、少し辛くて」


白羽が一瞬だけ葵を見た。葵が小さく頷く。


白羽はそれ以上何も聞かなかった。


「木剣を取れ。動いてみろ」


フィオナが木剣を受け取って構えた。


葵が目を細めた。


前回と違った。


動きにキレがある。重心の取り方、踏み込みの速さ、剣先の制御——全てが一段階上がっていた。地獄のような訓練の積み重ねが、確かに体に刻まれている。


白羽が黙って見ていた。その目が、少し変わった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


葵がフィオナの隣に立った。


「足の位置、もう少しこっちにしてみて」


フィオナが足を動かす。


「そう。そこから踏み込むと体が安定する」


「なるほど……」


フィオナが素直に従う。葵が示した通りに動いて、少し試して、また修正する。


その繰り返しが続いた。


部員たちが横目で見ていた。


「こう、ですか」


「うん、いい感じ」


フィオナが嬉しそうに木剣を構え直した。


赤毛が揺れる。


先輩ヴァルキリーに鍛えられた動きの上に、葵の細かい指示が重なっていく。


「もう一度」


「はい」


踏み込む。


剣が空気を切る。


今度は迷いがなかった。


白羽がその一振りを見て、静かに頷いた。


「踏み込みが安定してきたな」


「ほ、本当ですか?」


「うん、上手くなってる」


葵が言うと、フィオナが照れたように頬を染めた。


「そうですか……? 先輩に何度も転ばされましたが……」


「転んだ分だけ強くなったんだと思う」


フィオナがぱちぱちと瞬きをした。それからまた目が潤んだ。


「葵殿は……本当に……」


「泣かないで」


「泣いておりません」


頬を伝う涙が、止まっていなかった。


白羽が小さくため息をついた。でも口元が少し緩んでいた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


練習が終わって道場を出ると、夕暮れが校舎を染めていた。


葵が充電済みのデバイスをフィオナに返した。


「充電できたよ」


フィオナが両手で受け取る。大切そうに胸に抱えた。


「ありがとうございます……」


「それと」


葵がカバンから充電器を取り出した。


「天界ってコンセントある?」


フィオナが首をかしげた。


「……あります。近代化が進んでおりまして」


「じゃあこれも持っていって。天界でも充電できるかもしれないから」


フィオナが充電器を受け取って、しばらく黙っていた。


「葵殿は……どうしてこんなに……」


「電池切れたら困るでしょ」


フィオナがまたぱちぱちと瞬きをした。


「それと」


葵が続けた。


「こまめに呼ぶようにするから。訓練ばかりじゃ疲れるでしょ」


フィオナの目がみるみる潤んだ。


今度は黙っていた。


ただ、こくりと頷いた。


しばらくして、フィオナが深く息を吸った。


「……訓練に戻らなければなりません」


「頑張って」


「はい」


一瞬だけ振り返って——


「必ず、強くなって参ります。葵殿の隣に立てるように」


魔法陣が展開されて、フィオナが消えた。


葵はしばらくその場に立っていた。


ライラが胸元で、ゆっくりと揺れた。

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