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第99話 颯の決意

月曜の朝、葵が待ち合わせ場所に着くと颯が既に立っていた。


いつもより少し表情が固い気がした。


「どこに行くの?」


「ついてくれば分かる」


颯が歩き始めた。葵はライラを胸元に感じながらその後に続いた。


ライラが一度、静かに揺れた。


――――――――――――――――――――


向かった先は礼拝堂だった。


校舎北側の石造りの建物。重い扉を颯が両手で押し開けると、朝の光が長く伸びて床を照らしていた。


奥に人影があった。


学園長、エラスムス・フォン・ライン。


そしてもう一人。

礼拝堂の隅で静かに祈っていた大柄な人物が振り返った。


エリックだった。


葵は一瞬、状況が飲み込めなかった。


颯が歩き出した。迷いのない足取りだった。

学園長の前に真っ直ぐ進み出て、頭を下げた。


「お願いします!」


静かな礼拝堂に颯の声が響いた。


「ダンジョン部を作らせてください!」


葵が驚いて颯を見た。


颯は頭を下げたまま続けた。両手が体の横で固く握られていた。


「こいつは今、ヤバい敵と戦っています! 俺もダンジョンで鍛えて助けになりたいんです! もし許可されなくても勝手に行かせてもらいます! お願いします!」


自分のために、颯がここまで考えていたということが、うまく言葉にならなかった。


やり方は的外れのような気はした。

しかし、颯がここまで一生懸命に頼む姿に何かが込み上げた。


「校長先生、その……何て言ったらいいか」


「校長先生」


エリックが立ち上がって前に出た。その動きに迷いはなかった。


「私からもお願いします。葵は大きな敵と戦っているんです」


葵がエリックを見た。


「エリックさんまで……何がなんだか」


エリックが葵を一瞥した。その目は真剣だった。


「お前が何かと戦っているのは気づいていた。それだけだ」


それ以上は何も言わなかった。ただ、その場に立ち続けた。


礼拝堂がしばらく静かになった。


朝の光だけが動いていた。


学園長がゆっくりと三人を見た。颯の握りしめた拳を。エリックの真剣な目を。そして葵の困惑した顔を。


長い沈黙の後、

「友を思う気持ち……」

威厳のある声が空間に広がった。


「素晴らしい」


颯の肩から少し力が抜けた。こらえていたものが少し緩んだような、そんな息の抜け方だった。


学園長が颯に向かって言った。


「夏目颯。 

ダンジョンに行くには契約神魔が必要だ。 

......お前には学園契約を受ける資格はある。 

今から行うとしよう。」


颯が顔を上げた。目が赤くなっていた。でも口元はにやりとしていた。


――――――――――――――――――――


神魔接触実験室は普段、三年生以上しか使えない場所だった。


学園長が同伴していることで特例として扉が開いた。


部屋の中央に魔法陣が描かれていた。普段の散盟契約とは違う、より大きく複雑な陣だった。


颯が魔法陣を見て、一度だけ深く息を吸った。


学園長が颯に向かって言った。


「陣の中へ」


颯が歩み出た。


魔法陣の中に立つと、その輪郭が淡く光り始めた。颯の足元から淡い光が広がっていく。


葵は黙って見ていた。颯の背中が、いつもより少し大きく見えた。


こんなふうに誰かに思ってもらえることが、葵には少し信じられなかった。でも確かにそこにあった。颯の背中に。握りしめた拳に。


学園長が問いかけた。


「汝は自らの意志でこの契約を望むか」


颯——


「はい」


「汝は契約神魔との絆を誠実に結ぶことを誓うか」


「誓います」


迷いのない声だった。


魔法陣が輝き始めた。


光が渦を巻く。


その中心から、風が生まれた。


最初は細い一筋の空気の流れだった。それがやがて渦を巻き、輪郭を持ち始める。


大柄な体躯。肩から提げた大きな風袋が、ゆっくりと揺れている。白みがかった衣が風をはらんで膨らんだ。髪が絶えず風に揺れていた。


穏やかな顔だった。


嵐ではない。まるで朝霧を払う息から生まれた神の顔だった。


颯が一歩前に出た。拳をまた固く握っていた。


「力を貸してほしいんだ。大事な友達を守りたい」


風の神魔はしばらく動かなかった。


ただ颯を見ていた。


風が静かに颯の周りを一周した。品定めをするように、ゆっくりと。


「……守れるか」


低い声だった。古い言葉の響きがあった。


颯が少し間を置いた。


「まだ無理かもしれない。でも強くなる。絶対に」


言い切った。


風の神魔がまた颯を見た。


今度は長かった。


颯は目を逸らさなかった。握った拳も開かなかった。


しばらくして——風が一度、颯を包むように吹いた。温かい風だった。


「……その風、曲がっておらぬ」


「え?」


「まっすぐだ、ということだ」


少しの間があった。


「……よかろう」


颯の体から力が抜けた。でも膝は折れなかった。


――――――――――――――――――――


契約の光が収まると、風の神魔が颯の前に立った。


風袋を肩に担いだまま、ゆっくりと口を開いた。


「我が名は志那都比古。シナツヒコと呼ぶがよい」


「シナツ、でいいか」


「……好きに呼べ」


「よろしくな、シナツ」


風が短く吹いた。


返事の代わりのようだった。


学園長が静かに目を細めた。その顔に、かすかな笑みがあった。


葵は黙って見ていた。目の奥が熱くなった。うまく言葉にならないが、何か大切なものを見ている気がした。ライラが胸元でゆっくりと、温かく揺れた。


エリックは腕を組んだまま颯を見ていた。その目が何かを確かめているようだった。やがて小さく頷いた。誰にも気づかれないくらい、小さく。


――――――――――――――――――――


神魔接触実験室を出たところで、颯が葵の方を向いた。


「これで一緒に行けるな」


葵が少し間を置いた。


「……ありがとう、颯」


颯が照れたように視線を外した。耳が少し赤かった。


「礼はいらん。俺がやりたくてやってるんだ」


エリックが二人の横を通り抜けながら短く言った。


「部員が必要なら声をかけろ」


そのまま廊下を歩いていった。


颯が呆気に取られた顔で背中を見送った。


「……あいつ、入る気か」


「颯が礼拝堂に呼んでたんじゃないの?」


「いや、分からんけど加勢してくれてよかった。」


颯がにやりとした。拳を軽く開いて、また握った。


「あいつも来るなら、楽しくなりそうだな」


風が廊下をそっと吹き抜けた。


颯の近くで静かに風袋を揺らす気配がした。

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