8 『草仁』の横顔 佐伯 香穂視点①
二年生になってすぐに、一波乱あった。
どう考えても不自然な得票数で、結木くんが『クラス執行委員長』に選出されたのだ。
この学校で二年生の『クラス執行委員長』に選ばれるということは、九月末にある学園祭の運営のため、かなりの時間と労力を割く必要がある、という意味だ。
学園祭は好きだとしても、その運営のために裏で頑張るのは大変だ。
大人しく黙々と、そういう地味な業務をこなしてくれそうだから……、だろう。
結木くんに、その役が押し付けられた。
不自然な流れだとはいえ『選挙で選ばれた』という形を取られれば、否は言いにくい。
それを見越しての画策だと、誰の目にもわかるやり方だ。
が、証拠はない。
狡猾、という熟語はこういう時に使うのかと、香穂は頭の隅で、冷めた気分で感心した。
結木くんは表情を消し、黒板に書かれた自分の名前と『正』の字の群れを見つめた一瞬後。
ふっ、と、冷笑した。
閃くような一瞬だったが、アレは確実に『冷笑』だった。
(……『草仁』)
去年の秋、津田分館へ案内してもらったあの日。
道で偶然に出会った彼の書道仲間である友達がふざけた時、彼は、ただ相手の名を呼ぶだけで制した。
その、研ぎ澄ました刃物のような存在感。
不用意に触れる者をひとかけらの慈悲もなく切り捨てそうな、いつもの彼とは少し違う、ナニカ。
『草仁』の名で呼ばれる、書家としての彼の芯。
(このままだと……『草仁』が、暴走する?)
ぞわ、と香穂の背筋は寒くなる。
ただの勘だったが、それはいけない絶対いけない、としか思えなかった。
促され、前へ出た彼は、纏う空気がいつもと違っていた。
さすがにみんな、察した。
自分たちの安易な画策が、思わぬ手ごわい敵を召喚したのだと。
淡々と挨拶し、淡々と『執行委員にだけ押し付けないでくれ』とくぎを刺し、彼は自席へ戻る。
圧倒された前クラス執行委員長は呼吸を整えた後、何とか議事を進める。
委員長の補佐をする三人の選出をしなくてはならないからだ。
直前まで自分でも思いがけなかったが、香穂は、手を上げて委員に立候補していた。
結局、執行委員三名は、香穂、ゆかり、そして上谷くんになった。
三人とも立候補だ、彼らも余程でなければ『お前たちやめろ』は言えない。
ゆかりちゃんは、そもそも彼らは我々四人に今回の役を押し付けるつもりだったのだろうと予想していたが。
香穂は内心、その可能性もあるけど、もっと意地の悪いことを考えていたかもと後で思った。
三人の委員を彼らの息のかかった者にして、委員長の彼にはこまごまとした用事を押し付けて苦労をさせ、『長』だからと責任を押し付け、美味しいところだけ自分たちの仲間でいただこう、とか……。
(さすがにそこまで腐ってるとは思いたァないけど……)
自分のクラスメートが、そこまで最低な人間だと思いたくはないが。
春休み中にこんなバカな画策をする人たちを、信じるのは難しい。
全校執行委員会が終わり、HRへ戻ってきた。
それぞれ自分の荷物を持ち、解散。
結木くんは今後の相談を兼ねて書道教室へ、上谷くんは予備校、ゆかりは美術室でクラブ活動。
香穂はいつも通り、図書室で『ひとり読書同好会』へ。
(さっき、ゆかりちゃんが『ホレそう』とか言い出した時はビックリしたなあ……)
一瞬、本気でギョッとした。
いつもの、ちょっと抜けてる感じの優しい結木くんにゆかりは興味を持たないだろうが、『草仁』の彼には興味を持ちそうだ。
ゆかりちゃんのアーティスト魂を揺さぶりそうというか、彼女の中にある抑えきれない心の叫びでさえ軽く受け止めていなすであろう、『草仁』の手強さ。
まあ……今のところ。
ゆかりの中で『ホレそう』は冗談以上ではないが。
……今のところは。
(……私は)
『草仁』の彼ごと怯まず受け入れ、向き合い、好きでい続けることができるのだろうか?
図書室へ向かう廊下に、絵や書の優秀作品を展示するガラスケースのコーナーがある。
展示されている作品を、香穂はガラス越しに見た。
『歳月不待人 結木碧生(一年一組)』
タイトルや名前を書いた紙の横に展示されている、縦長の半紙に書かれた五文字。
歳月不待人……歳月、人を待たず。
怜悧、という概念が作品になったような、鋭さと静謐が凝った楷書作品。
しばらく無言で、彼女は作品と対峙した。
結木碧生という少年の、これもひとつの面もしくは姿なのだと、香穂は改めて思った。




