7 ”王”が動く 上谷護視点①
ゆっくり時間が過ぎ、上谷護はクラスメートともども、二年生に進級した。
他のクラスには留年したり退学したりという者もいたそうだが、護のクラスである1組にはそういう者が出なかった。
まずはめでたい、と言えよう。
ぼんやりと、考えるでもなくそんなことを考え、彼は窓から外を見る。
二年生が入る棟はオーシャンビューならぬ中庭ビューで、どのHRからも中庭がよく見える。
新緑が萌え始めたメタセコイヤのそびえる中庭は今、美しい。
正門から続く桜並木も美しいが、中庭も美しい。
最近、護は津田高が嫌いではなくなっていた。
一年前には考えられなかった事態だ。
自分にとって進歩なのか後退なのかは、正直微妙だが……。
(ん? んんん?)
今現在、本年度のクラス執行委員長……要するにクラスの代表を選ぶ『選挙』をしていたのだが。
立候補者が出ないので、クラスの全メンバーから『代表に相応しいと思う者の名前を書け』という方式の選挙が行われているのだが。
(クラスの過半数が結木に入れるとか……、そんなことある?)
結木はぶっちぎりに成績がいいし(残念ながら護は、総合成績不動のナンバー2で悔しい)、書道面は超高校生級だろうが、それ以外は地味な男だ。
気を許した相手にはよくしゃべるが、いわゆる明るいとか、ムードメーカーというようなタイプではない。
どちらかと言えば、大人しいあるいは暗いと呼ばれるタイプだろう。
クラスを明るく引っ張ってゆくようなカリスマ性はない……多分。
本人も、黒板に増えてゆく自分の名前の下の『正』の字に困惑している。
(おい。ナンか……イカサマくさいんやないか、これ)
こういう場合、真面目で成績の良い者の名前が出てくるのは『あるある』かもしれないが、ぶっちぎりの過半数、はさすがに不自然だ。
(裏で票の取りまとめしてやがったな、こいつら)
こいつら、即ち去年の執行委員長と執行委員たちだ。
あるいはその取り巻き的な、嫌な言い方をするなら『スクールカースト上~中位』の連中だ。
結木や護は普段、こういうタイプの見えない勢力争いに関わらずにいたし、関わらなくても『かなり成績がいい者』『一芸に秀でている者』は普通、オブザーバー的な立ち位置に置かれ、それなりに尊重されるものだ。
が、その立ち位置故に情報が入ってこず、うまく『ハメられた』くさい。
『クラス執行委員』というのは事実上、学園祭のクラス活動及び学園祭の運営を支える役目のことを指す。
何もわからない一年生、受験を控えた三年生は補助にまわる。
つまり中心となって活動を余儀なくされるのは、二年生の執行委員たちなのが暗黙の了解である。
執行委員の任期は一年だが、学園祭後は格段に仕事が減り、年度の後半は学級会の運営と月一の全校執行委員会への出席だけになる、とはいえ……。
(学園祭の準備とかのメンドくさいこと、真面目で大人しいヤツに押し付けてしまおうってハラか)
意図は大体読めたが、証拠がない。
小狡さにムカムカするが、証拠がない。
少なくとも今すぐ提示できる証拠はない、のだ!
開票の結果。
ダントツの得票数で結木が、『クラス執行委員長に選出』ということになる。
なんだか変だと、結木本人を含めた誰もが――事情を知っている者はほくそ笑んで――思っているだろうが。
クラスの者たちの多くからどことなく半笑いで拍手され、結木は、前へ出てくるよう促される。
困惑から眉間にしわを寄せていたヤツの顔が、不意に真顔になった。
その真顔が瞬間的に、酷薄とさえ言えそうな笑みを頬に刻む。
が、すぐ真顔に戻し、結木はゆっくりと立ち上がった。
(げ……”山の主”が動くぞ……)
護は背中に冷たいものを感じた。
アホな奴らめ、と、腹の中で悪態をつく。
触らぬ神に祟りなしって言葉、知らんのか!
結木はいつも通りの綺麗な姿勢で教壇へ向かい、黒板の前まで来ると、くるりとこちらへ向いた。
ただそれだけで、ヤツの存在そのものから発せられる不思議な圧に、クラスの連中は一瞬、息を呑む。
「……えーと」
どこか緊張感のないヤツの声が響くが、その『緊張感のなさ』をそのまま受け取るお目出度い奴は、さすがにいない。
「ナンやようわかりませんけど、やたら今回、票が入ってビックリしました」
淡々と事実を述べ、その感想を言っているだけなのに。
後ろめたい者たちは皆、うつむいたり目をそらしたりした。
「まあ、一応は期待されての投票ってことですから、ボクが役に相応しいかどうかはわかりませんが、頑張りたいと思います……ただし」
結木は、今までクラス内で見せたことのない表情で、薄く笑う。
何故か護の目に一瞬、結木の顔の向こうに”山の主”と呼ばれるに相応しいであろう、大鹿の幻が見えた。
思わず何度か瞬きをしてしまう。
「メンドくさいことは執行委員に押し付けたったらエエ、もしそんな感じに簡単に考えてるんやったら。是非、認識を改めてくださいね。……それでは今年の学園祭、みんなで頑張りましょう」
簡単な挨拶を済ませると、結木はさっさと自席に戻った。
なんとなく圧倒されていた前年度のクラス執行委員長は、冷汗をぬぐうように額を手で押さえた後、引きつった笑みを浮かべた。
「えーと、クラス執行委員長は結木くん、に決まりました。後、委員長を補佐する執行委員三名を選出……」
「……はい」
不意に誰かが手を上げた。
皆の視線は手を上げた人物に集中し……ぎょっとする。
手を上げていたのは。
いつも本ばかり読んでいて大人しいイメージしかない、佐伯香穂、だったから。




