6 霜月の風 上谷護視点②
見舞いの時に本人が言っていた通り、結木は月曜日から学校へ復帰した。
ただ、咳がまだ治まり切っていないとかで不織布のマスクをしていたし、なんとなくだるそうにも見える。
「そうか?」
本人は首をかしげる。
「うーん、そこまではシンドないんやけどな。マスクしてるから息苦しいけど」
なんとなくトンチンカンなことを真顔で言っているから、まあ結木としては通常運転に近いのかもしれない。
「なるほどなあ、サナトリウム文学ってのが一分野を成してるの、わかったような気ィするワ」
理科の実験で同じ班になっている志木ゆかりが、実験の合間にヘンなことをしみじみ言う。
「は? さなとりうむぶんがく?」
護が変な顔をすると、ゆかりはシャーペンでとある方向を指す。
結木がノートに実験結果を書いているのだが、時折軽い咳をし、手で額の辺りを押さえたりしている。
「青白きインテリくんが咳き込んで苦しそうにしてるのって、ちょっと色っぽいってのか。あ、これって儚い感じの美少女が、コンコン咳してふらつくのんとおんなじカテゴリーの色気やろうか? いやあ、勉強になるわあ」
「……何の勉強やねん」
「イラストに決まってるやん」
ケロケロとした顔でゆかりは言う。そうだ、コイツはお絵描きオタクだった。
「あ、ちなみにマモさんタイプのにーちゃんがおんなじことやっても効果薄いで。病気でシュンとしてる大型犬っぽい、ナサケナ可哀相な雰囲気は醸し出されるかもやけど」
「ほっとけ」
なんとなく面白くなくて、護は雑にそう言い捨てると実験結果をまとめ始めた。
昼休み。
今日はまさに小春日和というべきうららかな日で、思いがけず暖かい。
天気がいいなら日光に当たりたい、などと爺さんじみたことを言い出した結木に付き合い、護は、一緒に中庭のメタセコイアの下へ行く。
適当に座って昼飯を食う。
結木はいつも通り、メタセコイアの木にもたれるように座った。
ヤツはあまり食欲がないのか、スープジャーに入れたポタージュスープをゆっくり飲み、持参したロールパンをかじっていた。
「あんまりメシ、食われへんのか?」
弁当を食べながら護が聞くと、結木は苦笑いした。
「食われへんってのか。あんまり食ったら咳した拍子に吐くこと、あるねん。せやから今んとこ学校では、控え目にしとこかなって」
「おいおい、マジかよ」
目をむく護へ、結木は苦笑気味に、大丈夫やでと言う。
「あくまでもゲロ予防や、咳もだんだんマシになってきてるし。家ではちゃんと食ってるで」
そう言うが、どこか虚ろな目をした結木の身体の内側には、病んだモノがしつこくくすぶっているような気が、護はした。
「みゃー」
メタセコイヤの後ろから可愛い声が聞こえてきた。
クリーム色の地に薄茶の縞猫だった。
緑色の瞳が印象的だ。
「おとひ……おと、ちゃん。来たんかいな」
ちょっと困ったようにヤツは言うと、ひょいと猫を抱き上げた。
余程懐いているようで、猫は大人しく結木に抱かれ、手の甲をザリザリと嘗めたりしている。
「ナンや、お前んトコの猫なんか?」
ちょっと驚いて護が問うと、結木は困った顔のまま答えた。
「いや、そういう訳やないけど。知ってるヒトの猫さんやねん、人懐こいっちゅうか……俺とか俺の友達も世話に……世話したったら、懐いてな」
「……ふーん」
まあそういうこともあるか、と、護は一応納得した。
しばらくは猫を撫ぜながら、結木はポツポツと話をしていたが。
不意に静かになったなと思うと、メタセコイヤにもたれたまま、うとうと眠っていた。
「み」
猫は短く鳴くと、そろっと静かに結木の腕から出た。
そして、まるで眠る子猫を見守る親猫みたいな顔で結木を見上げた。
「あ、猫ちゃん」
声に護は振り向く。
紙パックのジュースかコーヒー牛乳を手にした志木と佐伯だ。
「み、み」
耳をパタパタさせ、やや面倒くさそうに猫は鳴くと、女の子たちへ向き直り
「みゃーん」
と、いいお顔で、しっぽを立てながら甘ったるく鳴いてみせた。
「かーわいい~」
女の子たちはあっさり引っ掛かり、猫をかまい始める。
護は軽く息を吐き、食べ終わった弁当箱をきちんと片付け始めた。
ついでに結木の分も。
「上谷くん」
小さな声で佐伯が話しかけてきた。
「結木くん、寝てるみたいやけど。大丈夫なん?」
「ああ、まあ大丈夫やろ。今日は暖いし」
メタセコイヤにもたれたまままぶたを閉じた結木は、さっきよりも表情が柔らかい気がした。
メタセコイヤの葉擦れの音が響く。
柔らかい風が吹いているらしい。
結木の病がゆっくり癒え、本格的に動き出す日が来るのは、多分そう遠くない。
護は思い、猫と遊んでいる志木の方へ近付いていった。




