6 霜月の風 上谷護視点①
11月に入ってしばらくして。
結木が風邪をひきこんだとかで、結構長く学校を休んだ。
土曜日の昼、護はプリント類を持って結木の家へ見舞いに行くことにした。
先方へ連絡は入れてある。
聞いた住所を元に結木の家を探す。一度迷いかけたので、携帯電話をかけて確認し、進む。
古い住宅街だからか、細い脇道が多いのだ。
「わざわざスマンな。わかりにくかったやろ?」
部屋着らしいグレーのスウェットの上下にオレンジ色のフリースのジャケットを羽織った結木が玄関まで出迎えてくれた。
顔色はそう悪くないが、若干やつれている。
「お前、起きてて大丈夫なんか?」
まあ熱はなさそうやなと思いつつ、護は訊く。
「ああ、うん。熱は下がったナ、咳がちょっと残ってるけど。急に熱、出てな。そっから三〜四日、ずっと38℃くらいあって、ナンギしたんや。下がってもしばらく微熱あったんやけど昨日からやっとほぼ平熱に戻ってな。月曜から学校、復帰できそうやな」
「そっか。でも無理はすんなよ」
10月終わり近くから、結木は疲れた顔をしていた。
中庭のメタセコイアの下で爆睡していた時から、大丈夫かコイツと護は思っていた。
年末の展覧会に向けた作品制作に苦戦しているという話は聞いていたが、かなり辛そうだった。
なんとか作品を作り上げたらしいのだが、そこでギリギリ保っていた体力が、ついに限界になったのだろう。
しゃべりながら、ヤツの私室だという二階へ向かう。
階段を登りながら護は、いつかヤツが言っていた『現役で国公立大学進学』が、単なる目標以上の切迫感があるのを知る。
あらかじめ聞いてはいたが、その……経済的に豊かとはいえない、住いだ。
古い間取りの、おそらく4Kくらいの二階建ての借家。築年数は数十年。
結木本人を含め、この家の住人の生活がきちんとしているというか規律正しいことは伝わってくるが、護が生まれてこのかた当たり前に享受していた物質的な豊かさは、この家に無縁そうだ。
階段を登り切り、護は一瞬、足を止める。
階段を登ってすぐの、真正面に飾られた『明鏡止水』の楷書作品。
さながら喉元に白刃を突きつけられたような衝撃に、思わず息を呑む。
「……ああ。急にこんなん見えたらびっくりするよな。そっちの部屋は親が使ってるねんけど」
結木は当たり前のように(まあ、これを書いた本人なのだから当然かもだが)言い、かすかに苦笑いする。
「俺は飾らんでエエって言うたんやけどな。せっかく賞もらったんやから飾らんとって、親がはしゃいでしもてなァ」
前に言うてた中二の時の作品やねん、と、ヤツは言う。
「いやあ、飾りたァなるすごい作品なんはわかるで……俺みたいなシロートでも」
(ってか、コイツの親はこの作品、怖ないんか? ……サスガやな)
何というのか。
張り詰めたギリギリの精神状態をそのまま、『明鏡止水』の四文字にしたような、異常な緊張感がただよってくる作品だ。
正直、あまりしげしげ見ていたくない。怖い。
結木が、『明鏡止水』が背中側になるよう座布団を置いてくれたので、護はちょっとホッとしながら座り、持参してきたそれなりの厚みがある茶封筒を差し出す。
「あ、これ。プリント類と数学の課題。提出期限は来週の水曜日やけど、無理そうやったらちょっと遅れてもエエって、榊原先生言うとった。あとは先週分の授業ノートのコピー。ほとんどは佐伯さんが用意してくれたで。前に市立図書館、案内してくれたお礼も兼ねてやって言われた」
「佐伯さん律儀やなぁ。おお、丁寧なノートで助かるワ。週明けちゃんと彼女にお礼、言わんとアカンな」
能天気にそんなことを言う友人を見ながら、護はちょっと遠い目になる。
この男は佐伯の気持ち、本当にわかっていないのだろうか?
本当にわかっていない可能性もかなりあるから、護としては何も言えない。
(佐伯……まあ……頑張ってくれ)
護は心の中で手を合わせた。
しばらく学校のことを中心にアレコレ雑談していたが、護は早めに辞することにした。
談笑しながらヤツが何度か咳き込んだので、長居は良くないと判断したのだ。
「せっかく来てくれたのに、スマンな」
眉を寄せてすまなそうにする結木へ、護は
「気にすんな、今日は見舞いやし。もう横になっとけや、まだシンドそうや」
と言う。そうやな、と、ヤツは苦笑いした。
来た道を、少し注意しながら護は進む。
細くてよく似た道が多いので、土地勘がないと迷いやすい町かもしれない。
結木が、佐伯を図書館まで案内してやったのはその辺の事情もあったのだろうな、と護は思う。
あそこは『津田分館』という名前だが、実際は結木の住む『小波町』のはずれに位置している。
だからおそらく、ヤツに他意はない。
……が。
(中途半端に優しいんはかえって罪やぞ、結木……)




