5 草仁Ⅱ ナンフウ視点①
つるべ落としの秋の夕陽が落ちた頃。
『野崎銀雪書道教室』へ、草仁は顔を出した。
別に今日はナンフウがピンチヒッターに入っているのだから、ヤツがわざわざ来なくても構わないだろうが。
コイツの性格上、来るだろうことをナンフウは予想していた。
「……よう。彼女、探してた本見つかったか? ほんで、お前はちゃんと彼女、送ったげたか?」
机の上を片付けながらナンフウが言うと、
「アタリマエやろが。あー、まあ今回はお前のおかげでいろいろ助かった。ありがとう」
草仁は答え、仕事の進み具合を聞いてきた。
今日予定されていた分の仕事は済んでいる。
後は、作業場の掃除や後片付けくらいだ。
そう聞くとホッとしたのか、ヤツは頬をゆるめる。
「そういやぁ、ナンか、ひと気ないな。銀雪先生は?」
思い出したように問う草仁へ、ナンフウは答える。
「今日は先生、夜から会合や、ってさっき出かけはったで。玄関の鍵は預かってるから、帰る時には鍵かけてってくれって」
たまにあることなので、草仁はうなずく。
「で、雪嶺さんは?」
そろっと訊いてくる草仁へ、ナンフウはため息まじりに答える。
「多分、今日も遅いやろなァ。『寺子屋・くすのき』の仕事が完全に終わるまで、アッチに居るやろうから」
「……そうか」
肩を落とし、草仁はつぶやくようにそう言った。
事の起こりは今年の『おみず神事』にある。
例年通り神事は始まったが、雪嶺さんの番でちょっとした異変があった。
彼女はおみずをいただき、例年ならば十二、三秒、硬直するだけなのに。
今年は妙に長かった。
二十秒はかかっていただろう。
皆が心配し始めた頃、不意に彼女はくずおれた。
「世界樹! 世界樹! 待って下さい!」
肩で息をしながら彼女は顔を上げ、虚空を睨んで狂ったように叫ぶ。
想定外の事態に、神事を仕切り始めてまだ二度目の草仁は、おろおろしていた。
「犀木雪嶺! 銀子!」
前ツカサ代の銀雪先生の、腹の底から出した声が響く。
「答えなさい雪嶺。世界樹、オモトノミコトは、何と?」
雪嶺はハッとしたように表情を消す。
「弥栄、今年も恙なく過ぎるであろう。ただ……」
彼女の身体が震える。
「木犀の娘よ、自らと向き合いなさい。世界樹は……そう仰せられました」
そして力尽きたように、彼女は気を失った。
詳しいことはわからない。
ただ、彼女と彼女のオモトノミコトである『世界樹』の間に、何らかの亀裂が生じたのだろうと、おもとの守の皆は察している。
気を失った彼女は大人たちが運んで野崎邸の一室に寝かせ、後の世話は野崎夫人が請け負った。
その後仕切り直し、神事そのものは最後まで行われた。
神託そのものは例年とさほど変わらなかったが、雪嶺の様子だけが例年と違う。
オモトノミコトと一番近付け、一番長く話す能力を持つツカサの草仁が、自分の神事の時にこの辺りのことをオモトノミコトへ問うたらしいが、
「それは木犀の娘と世界樹との話、お前たちに関わりない」
と、そっけなく言われただけだった。
以来、雪嶺は変わった。
ひどく落ち込んでいたかと思うと逆に妙に明るく振舞ったりと、情緒が安定しない。
ただ最近、彼女は変に仕事熱心になった。
本来ならば、午前九時から午後五時までの勤務時間なのに、それ以降、夕方以降の生徒たちを受け入れている午後八時まで、帰ろうとしないのだそう。
仕事をしていると気がまぎれるので手伝わせてくれ、残業代は一切いらないと言われ、雇い主の大楠も困惑しているが、手伝いそのものは有り難いのでついそのままになっている、と……。
「茶ァ淹れるワ。お前も飲むやろ」
ナンフウが言うと、草仁は小さくうなずく。
ため息を呑み、ヤツはのろのろと作業場の掃除を始めた。
茶を淹れ、持ってきて
「おい、茶ァ飲めや」
と声をかける。草仁は、なんだかぼんやりした顔でいつも休憩をする時に座っている座卓の前へ来ると、ゆのみを取り上げた。
「……美味い」
ちょっと驚いたようにヤツが言うので、
「アタリマエじゃ、誰が淹れたと思てるねん」
と言ってやる。それはおみそれしました、とヤツは言い、やっと少し笑った。
「あんな、草仁」
少し迷ったが、ナンフウは口火を切る。
「ほっといてくれ、ってお前はオレのこと、どつきたなるかもしれんけど」
「な、何や、物騒やな。お前、一体何言うつもりやねん」
若干顔をひきつらせ、ナンフウの方を見た。軽く息を吐き、ナンフウは言う。
「雪嶺さんには好きな相手、居るデ。それも人間が適うような相手やない。雪嶺さんの思いが今後どうなるのかは未知数やけど、お前の思いに応えてくれることは、正直考えられ……」
ギョッとして意味もなく立ち上がった草仁を、ナンフウは哀しく見上げる。
「何で知ってる、みたいな顔やな。アホか、わからいでか。雪嶺さん本人も、多分気付いてるデ……かなり前から、な」
「……マジか」
気の抜けたように呟くと、草仁はがっくりと座り込んだ。




