4 それはまるで、荒野に立つ孤高の若木のようなⅡ 佐伯 香穂視点④
市立図書館・津田分室に着いた。
こぢんまりとした古い建物だったが、静かで居心地がいい。
「個人全集のコーナーはアッチみたいやな。ゆっくり探してや」
結木は言い、画集や写真集のあるコーナーへ行く。
ここには書道関係の資料もあるので、機会があるなら一度来て、見てみたかったのだと彼は言う。
波多野少年と別れた後、香穂は、余計な手間をかけさせる結果になったことを結木へ詫びた。
「いやいや、俺がエエ加減やっただけや、佐伯さんは気にしやんといて。ちょうどいい機会やし、俺もあそこで資料、見ることにするワ」
彼が書道をやっていることは聞いていたが、今、作品の制作に苦戦しているという話は図書館への道々で知った。
そして、波多野少年が呼んでいた『そーじん』は彼の雅号である『草仁』のことであり、波多野少年への呼びかけ『ナンフウ』も、彼の雅号『南風』のことだという話も聞く。
「ああ見えてアイツ、個性的なエエ字、書きよるねんデ」
なんだかんだ言いつつ二人は仲が良く、お互いリスペクトし合っているライバルなのだなと香穂は思った。
「実は今回、お世話になってる先生に、かな文字の作品作れって指示されててな」
結木は深いため息を吐く。
「俺、元々柔らかい筆致が苦手やから小筆、えーと、細い筆で連綿……要するに続け字のことやけど、書くん苦労してて。小筆で書くこと自体、あんまり慣れてへんしな。せやけど、駆け出しの端くれでも一応は書家やねんから、かな文字出来ません、なんて言うのんは甘えやし」
結構、神経使うねん。先生に呆れられるけど、指、つりそうになったりもするし。
再びため息を吐く彼へ、
「……大変やねえ」
としか言えず、香穂は申し訳ない気分だった。
「ああごめん、しょーもない愚痴、言うてしもて。そもそも俺が好きでやってることやねんから、愚痴言うてる場合やないねんけどな」
そう言って彼は笑うが、笑顔がどことなく疲れていた。
森茉莉全集の中から『甘い蜜の部屋』がある巻を選び、カウンターへ向かう。
津田高の在学証明書を出し、貸出カードを作っている間に、香穂はチラッと、閲覧コーナーの机の前に座り、図画集らしいものを開いている結木を見る。
左手で額を支え、彼は軽くまぶたを閉じていた。
油断しているからか、その横顔には普段は隠している深い疲労が見える。
(結木くん……)
ふと、この人は、書道のことだけで疲れているんじゃないのではないかと、香穂は思った。
では何が原因なのかと考えても、香穂には想像できない。
貸し出しの手続きを済ませ、香穂は結木がいる閲覧コーナーへ向かう。
半分眠っているのか、彼は微動だにしない。
(……相思はで 離れぬる人をとどめかね)
机に広げられている資料は、古い時代の作品の写真集だった。
(わが身は今ぞ 消え果てぬめる……)
古典の時間に習った『伊勢物語』の『梓弓』にある、最後の歌だ。
愛する男とすれ違い、去られた女が絶命する直前に詠んだ歌。
「……あ」
結木は香穂に気付いた。
「ごめん、ぼーっとしてた。探してた本、見つかった?」
「うん」
そう言って、香穂は彼へ借りたばかりの本を見せる。
結木は優しく笑む。
「良かった、来た甲斐あったやん」
「……うん」
笑みを作り、香穂はお礼を言う。
すぐそこにいる人が、何故かひどく遠くに感じた。
……何故か。




