3 ペーパーバックと絶対音感 上谷護視点③
結木はうなずく。
「いや俺な、ガキンチョの頃から本読むのん好きで……」
「そんなん、言われる前から知ってるけど」
護がツッコミを入れると、一瞬、結木はポカンとした。
「へ? そうか? あー、まあそうか。教室でもソコソコ読んでたしな」
(ソコソコ……)
アレがソコソコならば護レベルは、生まれてこのかた本を読んだことがない、と言えそうだ。
遠い目をしている護に気付かないのか、結木は話を続ける。
「そのせいか日本語の文法がガッチリ、頭に入ってる状態やと思うねん、特に読み書き。俺にとって『言語』イコール日本語、ってくらい頭にこびりついてるレベルでな」
「……は? でもそんなん、日本人やったらある程度はそれで普通なんと違う?」
首をかしげる護へ、結木は嬉々として持論を展開させ始める。
「うん、そうやな。せやけど普通の人は、日本語以外の言語が存在してること、無意識で認めてると思うねん」
「……」
再び遠い目をしている護へ、結木は続ける。
「でもどうやら俺の脳みそは。もちろん無意識や、無意識やけどな、日本語以外の言語を、そもそも言語と認めてへんみたいやねんな、どうやら」
「は? ナンやねん、そのガチガチの国粋主義者みたいな脳みそは」
思わずツッコむ護へ、結木はうなずく。
「まったくや。もっとリベラルになってほしいもんやよな。やっぱ行き過ぎたナショナリズムはヤバいやろうし」
いやその。
……『脳みそ』の話やよな?
思想の話やないよな?
いよいよ途方に暮れ始めた護の表情に、結木はようやく気付く。
あ、スマン、話ズレたと言って、結木は続ける。
「例えば。『This is a book.』これは本です、って訳される、中一の一学期で習う文。ここからもう、オレの脳みそは拒否やねん。これって『This』が『これは~』『is』が『~です』に当てはまるってことやん?『a book』が『一冊の本』やから。この文をアタマから忠実に訳していったら『これはです一冊の本』になるやん?」
「う、うーん。そりゃま、言われてみたらそうやけど……」
そんなことイチイチ考えるアホ居るかい……、あ、ここに居るか。
「そんな文章はあり得ない!って感じで、俺の脳みそは拒否るんや。あ、もちろん無意識やで? 表面意識ってのか理性ってのか、そういうのんは『これは英語、日本語やないから色々と違って当然』って、わかってるねんけど。なんせ無意識ってのか感情ってのかが、『こんな文章ユルセナイ』『文法狂ってる』って頑なに思ってるみたいやねん、キモチワルイって」
「あ、はーん」
ようやく少し、話が見えてきた。
「つまりや。絶対音感に縛られて音階のズレた楽器で演奏するんがキモチワルイ音楽家みたいに、お前は、英語に接するとキモチワルくなる、みたいな?」
結木は嬉しそうにニコッとする。
「そうやねん。さすが上谷、わかってくれるか!(いや『わかってる』とは言えんな、と、護は内心思う)この話、チューガクからの友達にもしたんやけど『そりゃ、ただ単にお前がアホなだけやろ』って一蹴やったんや」
その『チューガクからの友達』の言うことに、心情的には賛成やなとひそかに護は思うが、結木が可哀相なので黙っておく。
ニヤッとしながら護は言ってみた。
「ほんなら。日本語絶対音感をお持ちの結木さんは、これから相対音感も獲得して、英語もバリバリになるってことか?」
「そんな訳にいくかい」
結木は渋面を作る。
「気が付いただけで『相対音感』獲得できる訳ないやん、そもそも無理っぽい気もするし。まあでも、気が付かんよりは良かったと思ってるで。話とぶけど俺、書道では楷書が得意やねんけど、行書や草書はイマイチやねん」
「ああ、そんなこと言うとったな」
もちろん、行書だろうが草書だろうが一般人の護から見れば『どこが悪いねん』なものをコイツは書きあげるが、そもそも要求水準のレベルが違うだろうから、この件については何も言わないことにしている。
「これも多分、おんなじ流れやないかと思うねん」
結木は小さくため息を吐く。
「子供の頃って楷書から習うやん? アタリマエやけど。せやけど、それがしつこく俺の中に入ってるせいか、どうしても柔らかい筆致ってのが出来へんねんナァ。ま、要は頭が固いってことなんやろうけど。あああ、どうやったら英語と書道の『相対音感』、獲得できるんやろうなあ」
「……だっはっは!」
いよいよ我慢できなくなり、護は爆笑してしまう。
結木はキョトンとしているが、その顔がまた可笑しくてさらに笑ってしまう。
コイツはふざけているのではない。
かなり真面目に言っている。
だから笑ったりしては気の毒なのだが、真面目に言ってるからこそ可笑しい。
「スマン。笑ってごめん」
笑いを抑え、護は謝ったが。
結木はちょっと哀しい顔をしていた。
「俺が真面目にナンか言うたら、こうやってちょいちょい、笑われるねんけど。ナンでやろう?」




