3 ペーパーバックと絶対音感 上谷護視点②
聞いた話をザクッとまとめると、こんな感じになる。
話の前提として。
結木は、中二の頃に書いた書の作品が所属している書道結社の展覧会で最優秀賞に選ばれ、『育成特待生』という師範候補になった。
月々の課題と年一度の『作品』の提出を続け、『一定のレベルに到達した』と理事の先生方に認められれば、正式に『師範』として遇されるようになる、のだそう。
「ま〜そんな訳で。書道の練習の時間ちゃんと取りたいから通学で余計な時間や体力、使いたないってのが一番の理由やねん、ヘタレな理由やけど。俺、ガキンチョの頃から体力に自信ないし、頭痛持ちやしナア」
また、修行の一環として月曜と木曜の放課後、教わっている先生の書道教室で、小学生向けの手本を書いたり(手本? 小学生向けの、手本? 護は目をむいたが、結木は苦笑いするだけだった)、教室の事務的な雑務の手伝いもしている、そう。
そちらは修行兼アルバイトであり、学校の方にもちゃんと、アルバイトの届出をしているのだ、と。
ヤツは当たり前みたいな顔でサラッと言うが、かなりとんでもない話ではないか?
高校生になったばかりのガキでそんなヤツ、一体全国に何人いるだろう?
なるほど、書道の時間に手本そのもののような美しい字を、当たり前のように書くはずだ、と、護は深く納得した。
「それと並行して。俺としてはそのう…、現役で大学へ入るんを目指してるねん、可能な限り国公立で」
「は? いやそれ……結構、キツないか?」
最低でも一年生から予備校へ通うくらいはしなければ、その理想は難しい。
実際の話、護も週三(英・数・国)予備校へ通っている。
津田やその周辺のレベルの公立高校は、『四年制』と揶揄される。
一浪しなければそれなりの大学へはいけない、そんなレベルの『進学校』だという揶揄だ。
それでも年に数人、現役で『それなりの大学』へ進学する者はいる。
優秀な者・努力が継続出来る者・要領のいい者は、どんな場所でも一定数いるものだ。
「そりゃキツいけど。不可能ではないやん」
妙なところ妙に前向きらしく、結木はサラッと言う。
「少なくとも一年生から諦めるンも癪やん。それに、一年生や二年生は基礎固める時期やから、自前でガリ勉してたらまあイケるかなって、図書室とか使い倒して。そういう意味からも通学に余計な時間や体力、取られんで済む方がエエし。サスガに三年生になったらそれだけでは無理やろうけど、まあ、それはその時に考えたらエエっちゅうか……」
言いつつ静かに微笑んでいるこの同級生のたたずまいに、護は、何故か背が冷えた。
理由はよくわからないが、目の前へ抜き身の刀を突きつけられたかのような、妙な……殺気もしくは圧、とでもいうものを感じる。
「ヒトにばっか訊いてくるけど。上谷の方はどうなん?」
抜き身の刀にいきなり切り込まれ、護は焦る。
「あ? あ、いやあ。別に俺、コレっちゅう事情はないデ。強いて言うたら、現役で志望大学受かりたいから、今ンとこ週三で予備校行ってるくらい……かな?」
「ナンや、上谷も密かにガリ勉してるやんか。ほんなら俺とあんまり変わらへんなァ」
ニコニコしながら結木は曰う。
恐ろしいことに、本気でそう思っているっぽい。
(いやいや全然チガウし!)
護は内心、盛大にツッコミを入れた。
どうやら護は、結木から『ガリ勉仲間』認定されたらしい。
以前よりも親し気に、結木の方から話しかけてくるようになった。
そしてしゃべる機会が増えると、この男には、スレていないというか、いわゆる天然っぽいところがあるのにも気付く。
……例えば。
天気や気候がいい時はメタセコイヤの下で昼飯、が結木の定番らしかったが、さすがに梅雨時になってくるとそうも言ってられない。
普通にHRで昼食を食べるようになった。
「俺この前『絶対音感』っちゅう本、読んだんやけどな。結構面白かったデ」
自席で弁当を食べながら、結木はそんなことを言う。
向かいの席で護も自分の弁当を食べ始め、
「絶対音感?」
と問う。
一応、話に聞いたことくらいはある。
この世の中の音すべてが音階……ドレミファソラシドに聞こえる、とかいう、能力というか才能のことだろう。
音楽家には必須の能力だろうが、結木のような書家にはあんまり必要なくないか?
「絶対音感は確かに、音楽やる限りはあった方がエエんやけど。でもあんまりそれに囚われてると、音楽家として苦しくなる場合があるんやて」
「へ? 何で?」
「あんまり自分の中に、キッチリ音階が入ってたら、ちょっとのズレやゆれも辛抱できんほど気持ち悪く感じるらしいねん。まあ『絶対』やねんから、そうなるんやろなあ」
音にこだわりのない人生を送ってきた護にはよくわからない感覚だが、それはそうだろうなあ、くらいの想像はつく。
曖昧に相槌を打つと、結木は続ける。
「せやけど、そこに囚われ過ぎたら。例えば、地方公演とかで用意されてたピアノの音がちょっとズレてたりしたら、てきめんに気持ち悪なって、演奏に支障きたすおそれが出てくるらしいねん。だからってすぐ調律も出来へんやろうし、楽器の特性上無理な場合もあるやん? メッチャ古い楽器やとか」
「……はあ」
話がどこに向かうかわからなくなってきた護は、さらに曖昧な相槌を打つ。
「せやけど、もう一歩進んだ音楽家は。絶対音感も持ってるけど、『その楽器なりの』音階も受け入れてちゃんと演奏できるんやて。相対音感っていうらしいけど。そこまで読んで俺は、『あー!』って、目からうろこが落ちたんや」
「……はい?」
さらに話が見えなくなってきた。
書道における絶対とか相対とか、シロートの俺には全然わからんねんけど、と、護は胸で独り言ちる。
ちょっと引いてもいる。
「俺が英語に苦労した理由のひとつがその瞬間、見えてん。なるほど、そーゆーことかって」
「へ? えーご?」
書道のお話と違うんかい!




