3 ペーパーバックと絶対音感 上谷護視点①
書道の時間での一件以来、なんとなく護は、結木と話すようになった。
といってもヤツは、休憩時間に本を読んでいることも多い。
いつもいつも、ではないが、結構な頻度で机の前に座って何かしら読んでいる。
幼馴染み(と呼んでもいいだろう)の志木ゆかりと仲のいい、佐伯の次くらいは読書家だろう。
ただ、アチラは文学一辺倒のようだが、結木の場合は……。
ある時。
結木は、なんだかものすごく集中して読んでいたことがあった。
あんまりのめり込んでいるので声をかけるのもはばかられ、護は、ヤツが読んでいる本の表紙を横目でそれとなくチェックしてみた。
井沢元彦の『逆説の日本史』だった。
そういえばコイツ、中学時代『郷土史研究会』に入っていたとか言ってたな、と護は思い出す。おそらく、歴史や民俗学に元々興味があるのだろう。
しかし次に、なんだか難しい顔をして読んでいるなと思ったら東野圭吾の『手紙』だったり(小説かい!)、なんだか楽しそうな顔で読んでいるなと思ったら河合隼雄の『こころの処方箋』だったり(心理学やんけ)。
芥川龍之介の『侏儒の言葉』を読んでいるかと思ったらブロンテの『嵐が丘』、清水義範の『おもしろくても理科』……『家守綺譚』『ホーキング、宇宙を語る』『老人と海』『バカの壁』『ハリーポッターと賢者の石』……。
(いや、読書傾向!)
護は内心ツッコむ。
合間にライトノベルも読んでいる様子だから、かなり雑多しかも読むのが異様に速い。
(……敵わねえ)
若干、引き気味に護は思う。
なんでもバリバリどんどん食べる、大食いの人を連想した。
胃袋?が違い過ぎる。
ゴールデンウイーク明けすぐの、まだかろうじて気候のいい頃。
母親が用事で昼食が用意できない日があり、護は昼休み、購買でパンとコーヒー牛乳を買った。
戻る時、気まぐれで中庭を突っ切ることにした。
中庭の真ん中には、この学校のシンボルツリー的なメタセコイヤの大樹がある。
ここの木陰で昼飯を食べる者もちょいちょいいるのだが、そこにちゃっかり、結木がいた。
一年生の五月、それも自分ひとりでしれッとここへ陣取るところが、なんだか結木だ。普通遠慮しないか?
(……あー。今更か。アイツはどっか普通やない、よな)
護は思い直す。
人間というよりも野生動物、それも天敵のいない山の主的な獣めいた、妙に落ち着きはらったというか、不思議と逆らいにくいような独特の雰囲気がある男だ。
結木は、メタセコイヤの幹に軽くもたれ、家から持ってきたらしい大きなにぎりめしを頬張り、何やら難しい顔で新書版の本へ目を落としていた。
(アイツ、今日は何読んでんねん)
好奇心に駆られ、護は結木へ近付くと本をチラッと覗き……仰天した。
(えええ、英語の原書かよ!)
いろんな本を片っ端から読む奴だとは思っていたが、ついに翻訳本では飽き足りなくなったのか?
気配を感じたのか、結木は目を上げた。
「おう、上谷」
結木はにぎりめしを置くと、にこっとした。
「ナンや、お前もここでメシ食うつもりか?」
「あ? ああ……まあ、な」
HRへ帰るつもりだったが、別にここで食べても悪くはない。護は結木の近くに座り、パンとコーヒー牛乳を紙袋から出す。
ハムカツサンドをかじりながら、出来るだけさり気なく護は
「ナンやエラい真剣に読んでるけど、何読んでるん?」
と問うた。
ああ、と、結木はややきまり悪そうに眉をしかめたが、
「読んでるっちゅうか……、メソッド、やなあ」
と、意味のよくわからないことを言い、
「『The Little Prince』…星の王子さまや」
と、本を差し出す。
ペーパーバックの洋書かと思っていたが、何のことはない、新書版の、英語の教材に使われる和訳や解説が後ろに書いてあるものだった。
「は?」
(ナンでわざわざ?)
そんな表情で相手を見返す護。
いや別に、勉強のつもりでこういうのに目を通すのは『アリ』だろうが。
わざわざ昼飯食いながら、真剣に読むほどのものか?
メシくらいゆっくり食え!
それに、どうせ読むなら他にもっとこう、あるだろう、サマセット・モームとかサリンジャーとか。……知らんけど。
少なくとも高校生男子が、星の王子さまとか読んで、楽しいか?
そういうアレコレを込めた『は?』だったが、結木へ伝わったらしい。
ヤツはぼそぼそと言い訳を始めた。
「あー、いや。俺、英語苦手でな。ちょっとでも慣れようかなーって」
「……そうか?」
授業の受け答えや小テストの成績から、とてもそうは思えないが。
本人がそう言うのなら、少なくとも苦手意識はあるのだろう。
自分が国語で苦戦するようなものかと、護はちょっと思う。
ある程度点は取れるが、気持ちよく理解しきれないというか、薄っすらもやもやが残る教科というのは、誰でも少しはあるだろう。
「受験の時も、最後まで英語に苦戦してな。なんとか津田のレベルの偏差値はキープできるようになったけど……」
「英語以外は?」
何の気なしに訊くと、結木は顔をしかめた。
「いや、その。教科ごとに結構、バラツキあってな」
「バラツキ? せやけどお前……」
護はちょっと迷ったが、思い切って聞いてみた。
「お前さ。そもそも津田レベルの偏差値やなかったやろ? なんとなくわかるデ」
「うーん」
あまり言いたくなさそうだったが重ねて訊くと、答えてくれた。
護が大体予想した通り、五教科を平均すると偏差値は65程度のようだ。
英語が60前後、理数社は63~67。ただし国語だけは70オーバー。
「えー! ななじゅうおーばー!」
護は思わず声を上げる。
「国語だけや。大体、国語だけ70オーバーでもほとんど意味ないし」
なんだが困ったような顔でそう言う結木へ、
「お前さ。ナンでわざわざ津田に来たん? さすがに南山とか天海とは言わんけど、水谷とか吉川辺りを、フツーは受けへんか?」
楽勝やったやろうし。
護が言うと、ヤツは苦笑いした。
『南山とか天海』は府立高校の2トップで偏差値70オーバー、『水谷とか吉川』は偏差値でいうなら65前後の高校である。
「津田やったら家から歩いて通えるからな。ちょっと事情あって、俺、通学に時間かけられへんねん」




