2 草仁 ナンフウ視点①
「おい、そーじん。最近お前、可愛いないぞ」
ナンフウこと波多野棕櫚……本体の通称『波多野邸の大和棕櫚』である少年が、机に向かって筆を走らせている碧生へ声をかける。
「はあ?……結構ですな。ヤローに可愛い思われてても、気色悪いだけやんけ」
半分うわの空で彼は答える。
朱墨で書かれている『たなばた』の四文字。
小学二年生の、七月の手本だ。
中二の冬、結木碧生は書道結社主催の年に一度の展覧会へ『特別枠』で出品し、最優秀賞をもぎ取った。
それを機に師である野崎銀雪先生から『草仁』という雅号をもらった彼は、今年の春以降、書道教室のメンバー即ちおもとの守のメンバーから『草仁』と呼ばれるようになった。
今年の春、草仁はかねてからの志望通り地元の府立高校である津田高へ進学した。
中二の三学期から本格的に受験の準備を始め、彼はめきめきと成績を伸ばす。
中三の秋……草仁とナンフウにとって二度目のおみず神事を迎える頃には、すでに偏差値は津田の水準を軽く上回っていたらしい。
大楠も、それならばもっと上のレベルの高校を目指したらどうかと勧めたのだが。
草仁は、書道と勉強を両立させようと思うので極力時間を無駄にしたくない、通学に時間を取られたくないからと志望を変えなかった。
「ほんならいっそ、お前も連翹大附属の特別コース、来いよ」
ナンフウはそう言って誘った。
津田高は草仁の家から徒歩圏内の学校だが、連翹大附属もそうだ。
特にナンフウが所属する『特別コース』は時間の融通が利きやすい。
中二の展覧会で最優秀賞を取ったという書道方面の実績と現状の成績ならば合格ライン、むしろ楽勝といってもいい。
しかしヤツは、無茶言うなと苦笑した。
「そりゃ無理言うたら親も何とかしてくれるやろうけど。私立へ進学したら高校だけでかなり学資、使わせてしまうやん。ほしたら大学行くの、シンドなるからなあ」
連翹大附属は、私立高校としては学費の安い学校ではあったが、やはり公立校に比べれば高い。細かい緒経費も、公立の比ではなかろう。
現状、波多野恵治に養われている立場のナンフウには、それ以上は何も言えなかった。
半分無視されているのはわかっているが、ナンフウはあえて続ける。
「中二の頃はオレの方が背ェ高かったのに、最近は変わらんか、下手したらお前の方が高いやん。顔も、昔は丸っこい感じあって可愛げあったのによォ、なーんか、スン、って感じになったしィ……」
成績が上がると同時に彼は、頭の上の重しが取れたかのように一気に身長が伸び、大人っぽくなった。
対してナンフウは木霊の自覚を持って以来、中二で成長が止まったかのように変わらない。
大楠から、つまり君は生き物として、ヒトでいうなら13~14歳の少年期なのだろうといわれた。
寿命から考え、もうしばらく『少年期』だろうとも。
その辺もナンフウは、ほぼ唯一といえるこの友人に置いて行かれたような焦りを感じていた。
「背ェくらい高なるやろーが。俺もう高校生やで? 中坊の時のままの身長やったら、大変やん」
ナンフウの愚痴めいたボヤキに、草仁は気のない返事をする。
「オレは中坊の頃と変わらへんデ」
「お前は木霊やろーが。人間の俺とは、そもそも寿命が違うやん」
「そーかもしれんけどぉ……」
さすがにうんざりしたのか、草仁は筆を置いてナンフウの方を見る。軽くにらんでいる、というべきかもしれない。
「あああ、もう。うるっさいなあ! なんやねんお前、さっきから。俺、今、手本書いてるんやぞ。邪魔するんやったら帰れや」
そう、彼は今、『手本』を書いている。
野崎銀雪書道教室の生徒のための『手本』を。
話は今年の三月、高校受験の結果が出た下旬のこと。
日曜の午後、四月から教室の一般の部へ復帰したいという挨拶へ来た草仁へ、銀雪先生は少し困った顔でこう言った。
「碧生くん……、やなくて。草仁」
初めて先生から雅号で呼ばれ、ヤツは顔をひきつらせたが、銀雪先生は真顔のままこう続けた。
「草仁の人柄と腕前を見込んで、お願いがあるんやけど……」
銀雪先生は新年度から書道結社の理事になることが『決まってしまった』のだそう。
年齢や経歴からも順当で、推してくれた先生も昔からお世話になっている人で断りにくかった、しかし。
「教室の方の仕事にどうしても支障が出そうでな。事務処理とかは今まで雪嶺にも手伝ってもらってたんやけど、あの子も今年から仕事が変わるし」
雪嶺こと銀木犀の銀子は、三月までナンフウの通う中学校の契約事務員だったが、その契約も今年度末で切れる。
その後は大楠のフリースクールで、勉強をしたい年配者のサポートと大楠が苦手としている事務処理をサポートする仕事に就くことになっていた。
これはもう、秋には決まっていたことだ。
「それだけやったら何とかなったんやけど、さすがに理事を引き受けるとなったらちょっとシンドイから。教えるのはもちろん私がやるけど、小学生の生徒さんの手本の作成と、雪嶺がやってくれてる事務処理の手伝いをお願いしたいねん」
『手本の作成』という言葉に草仁は硬直していたが、銀雪先生はしれっとこう続ける。
「特別枠最優秀賞の結木草仁先生の手本やったら、私が書くより子供さんらも喜ぶんと違う? もちろんお願いする限りは、少額で申し訳ないけど気持ちだけ、アルバイト代も出させてもらいますし」




