1 それはまるで、荒野に立つ孤高の若木のような 佐伯 香穂視点①
――それはまるで、荒野に立つ孤高の若木。
ただ天を見据え、彼は、己れの限界まで枝葉を伸ばそうと……戦っている。
昨日までの自分自身と。
佐伯 香穂は高校生になった時、楽しみにしていることがあった。
彼女が入学した府立津田高校は、公立高校にしては蔵書が充実した図書室があるので知られていた。
特に文学関係が充実している。
近現代の小説で有名な作品は大抵そろっているし、さすがに最新とは言えないが、比較的新しい、評判になった小説やエッセイもある。
放課後は図書室にこもって読書三昧の日々を送ろうと、香穂はわくわくしていた。
中学時代は友達に付き合って軟式テニス部へ入っていた。
比較的ゆるい部活だったからなんとかなったが、やっぱり私はスポーツ向いてない、と、心から思い知った。
走ってラケットを振って、へとへとに疲れて帰るともはや学校の勉強をこなすのが精一杯、他には何もできない。
小さい頃から好きだった読書さえままならない状態に、すっかり香穂は嫌気が差した。
(高校生になったら、もう部活はあきらめて本を読みまくる!)
暗い青春と言わば言え。
やりたいことを私はやります!
自分の中で彼女は宣言した。
自分で自分に勢いをつけないと、周りになんとなく流されそうな怖さがあったのも否めない。
図書室が使えるようになると、香穂は初日の放課後からいそいそと図書室へ向かう。
整然と本が並んだ書棚の前に立つと、ケーキ屋さんのショーケースの前に立った時のようにわくわくした。
(まずは……ゲーテの『ファウスト』から!)
そして次はバルザックの『谷間の百合』を。
(とある作家さんがエッセイで紹介していて、その時から気になっていた)
どうせ読むのなら、ほぼタイトルしか知らない古典的な名作からガッツリ読んでやろう、と彼女は決めていた。
分厚い文庫本を引っ張り出し、うきうきと閲覧室の椅子に座る。
そんな放課後を過ごしはじめてひと月ほど経った頃。
ほぼ日参している香穂の次くらい、図書室へ来ている同級生の男子がいるのに気付いた。
すごく姿勢が綺麗なのでクラスの中でも目立っている、結木くんという男子だ。
どうやら彼は、月曜と木曜以外の火・水・金曜の三日、図書室へ来て勉強したり読書したりしているようだ。
毎回、すごい集中力で目の前の勉強や読書に勤しんでいる。
その集中が途切れた時、結木くんは、すごく疲れた顔で重いため息を吐き、こめかみをもむ。
ひょっとすると、頭が痛いのかもしれないなと思う。
(頭が痛なるくらい、集中してるんや……)
ページを繰りながら香穂は思う。
その、何かに追い立てられているかのような必死さ、見ているとなんだかハラハラする。
何故この人は、こんなに必死なんだろう?
こんなに必死に、何と戦っているのだろう?
そんなことを思った。
今思えばそれがきっかけだったのだろう。
香穂は……いつしか彼に、恋をしていた。
今日も彼は、図書室で勉強している。
香穂は、チラチラとその姿を気にしながら、三巡目の『デミアン』のページを繰る。
再読するくらい『デミアン』はお気に入りの小説だったが、本の中の二人の少年のやり取りより、目の前の少年に気もそぞろなのは否めない。
勉強に切りがついたのか、結木くんは筆記用具をざっと片付け、立ち上がる。
そして無駄のない動きで香穂のそばを通り抜け、書棚へ向かった。
しばらくして戻ってきた彼の手にしていた本は……。
「……『絶対音感』?」
意外なタイトルが見え、思わず小さくつぶやいてしまった。
結木くんは香穂の声に気付き、足を止めた。
香穂は慌てたが、目が合ってしまった。
彼はちょっと恥ずかしそうに笑い、
「はは、音感、とか、普段全然カンケ―ない人間やけど。面白そうやなって」
と言った。ぎこちなく笑みを返す香穂へ、
「佐伯さん、やよね? ナンか、いっつも難しそうな本読んではるなあって俺、思っててんけど。今日は何、読んでるのん?」
などと問われたので、香穂は内心、パニックになった。
何とか今読んでいる本の表紙を彼に見せる。頬が熱い。
「うわお、ヘッセの『デミアン』? 前にちょっとかじったことあるけど、途中で諦めてしもた難物やん。佐伯さん、ガチの文学少女やね」
「……そうかな?」
哲学的でシリアスな部分があり、難しいといえば難しい作品だが。
主人公のシンクレールとデミアンのやり取りが、とても上品で高尚ながらどこかBL風味で、そこが一番グッとくる……ということは。
言わなくてもいいだろう。
結木くんは控え目に笑むと、
「邪魔してごめん」
と言い、自席に戻って本を読み始めた。
香穂もページへ目を戻したが。
活字が全く、頭へ入らなかった。




