序に代えて 上谷護視点②
初日から護の目を引いたそいつは、結木といった。
結木はちょっと変わった男だった。
強いて言うなら『無口で大人しい』というカテゴリーに入るのだろうが。
醸し出す雰囲気が、それだけで終わらせない。
常にスッと背を伸ばして静かに他人の話に耳を傾け、問われれば過不足のない返事をする。
言うに言えない大物感があるのだが……、脱力するようなことを素でしでかす、こともある。
例えば。
護は芸術科目で書道を選択しているが(別に書道が好きという訳ではない。楽譜を読んだり絵を描いたりするよりはマシ、という消去法で選んだ)、偶然、結木もそうだった。
ある日、課題を仕上げて提出しようとした時、護は結木の座っている席のそばを通った。
ヤツの書くものが異常に整っているというか、手本そのもののように美しいというのは、すでに数回の授業だけでクラス内に知らない者はいない。
少なくとも、高校生になったばかりのガキが書くようなレベルではない。
何なら運筆の緩急すら美しい。
その日もだから、結木は綺麗な筆さばきで課題を書いていた。護はチラッとそれを横目で見て、胸の内で
(ひええぇえ)
と叫ぶ。手本と寸分変わらないものを書きあげているではないか。
しかし本人はいまひとつ気に入らないのか、眉をしかめている。
「……なあ」
思わず護は声をかける。
「ソレ。メッチャよう書けてるやん。どこが悪いんや?」
結木は驚いたように目を上げ、護を認めて苦笑いする。
「あ、うーん。まあまあ形は出来てるねんけど。硬さが残ってるねんなあ」
「……そうか?」
これのどこに硬さが残ってるのか、俺にはわからん。
護は思うが、さすがに口には出さない。
なんとなくあきらめたように結木はため息を吐き、小筆を取り上げるとさらさらと名前を書き……
「あ」
とつぶやいて手を止める。
「ん? なんや、どしたん?」
「あ、いや、はは」
結木はきまり悪そうに、たった今仕上げた課題をさっさと折りたたむ。
「名前、間違うてしもて」
「はあ?」
護は思わず目をむく。
「名前、間違うた? そんなヤツおるかい、どんだけ天然やねん」
「うーん、まあ……天然とはちょいちょい、言われるけど」
もぞもぞ言いながらヤツは、さっさと新しい半紙を取り出し、書き始めた。
ちらりと手本を一瞥した後、なんだかオーケストラの指揮者が指揮棒を振っているような、ある種のリズムを刻みながらさらさらと筆を運び……再び『手本と寸分変わらない』ものを書きあげる。
「……これが限界かな」
とややあきらめ気味につぶやき、結木は、ため息まじりに小筆で自分の名前を書く。
今度こそは間違えず
『結木 碧生』
……と。
後で知ったのだが。
この時『名前を間違えた』のは、別に天然なのでも何でもなく。
うっかり『雅号』の方を書いてしまったのだと、護は理解した。
この男がすでに師範並みの腕前の雅号持ちであると知るのは、一学期の半ば、なし崩し的に親しくなってからだ。




