13 マツリのあと③
「……書けましたね」
筆を置き、ひとつ大きく息を吐いた時。
碧生の後ろから銀雪先生の声がした。
ギョッとして振り向くと、先生だけでなくナンフウ、松英、雪嶺、大楠、すべての人が彼の後ろにいて、静かに作品を見ていた。
驚いて硬直している碧生へ、銀雪先生は困ったような笑みを浮かべ、口を開く。
「びっくりさせてごめん。……見てる者の心を映しそうな、そうですねえ、さながら抜身の刀みたいな『明鏡止水』やね」
絶句している碧生へ銀雪先生は軽くうなずき、続けた。
「おめでとう。今のキミの、渾身の『明鏡止水』やと思います。書家・結木碧生としての、第一作目ですね」
この上ない褒め言葉だと気付いたのは、一瞬後だった。
「あ……、ありがとう、ございます」
お礼を言った途端、目頭が熱くなった。
だしぬけに大きな拍手の音が響く。ナンフウだ。
驚いた顔をした一同は互いに顔を見合わせ、微笑んで和した。
銀雪先生も拍手した。
泣き笑いに近い顔で碧生は立ち上がり、拍手する人たちへ深く頭を下げた。
特別枠の制作は済んだが、碧生はその後、水・土の『小中学生の部』ではなく、日曜午後の『一般の部』へ通うように、と、先生から指示された。
「碧生くんはもう、子供さんらと机並べて書いてるレベルやあらへんで」
そう言われ、受験のための長い休みに入る前、つまり今年いっぱい、中学生ではあるが日曜の午後に大人に交じって指導を受けることになった。
「なあ、結木。ホンマに今年いっぱいでいったんやめるんか?」
稽古の後のお茶の時間に、ナンフウが言う。
碧生は苦笑いまじりに答えた。
「そりゃ、やめたないけど。勉強せんわけにいかんし。オレはお前みたいに、エスカレーターで進学できる身分やないねんで」
ナンフウは、自分が木霊であることを思い出してから、中学で学校をやめるつもりでいたらしい。
波多野恵治の養子として戸籍がある以上、義務教育は受けないと養父に迷惑をかけるが、それ以上は金の無駄だと思ったのだそうだ。
が。
「アホ、高校くらいは行っとけ」
恵月先生に一蹴されたのだそう。
「そっから先はまた後で考えたらエエけど、連翹大附属の特別コースみたいにお前のペースで勉強できる環境、この辺にはないんやで。ワシみたいに中学から下宿代まで親に負担させたバカ息子より、よっぽど金、かからんわい」
小学生時代、そこそこ深刻な不登校になったナンフウは、ちょうどその頃に新設された連翹大附属中高の特別コース……通信制に近い、スクーリングは週1~3度ほど、後は自宅学習とレポート、学期末のテストだけでいいという、かなり自由度の高いコースに通うことにしたらしい。
小六で特別枠に出品し、審査員賞を受賞という書道での実績も加味され、入学が認められたという話だ。
やはり、何だかんだ言ってコイツはお坊ちゃまだな、と碧生は思う。
碧生の家の経済力では、仮に碧生が不登校で悩んでいたとしても、選択肢は公立しかないだろう。
「結木くん」
二人のやり取りを見ていた大楠が話しかけてきた。
「どの辺の高校、目指してるのん? 天海高とか南山高?」
彼が府でもトップクラスの公立校の名前を出してきたので、碧生はあやうくお茶を吹きそうになった。
「無茶言わんといてください。その辺の学校、偏差値で言うたら完全に70オーバーでしょう?」
「いや、だからですよ」
彼は真顔で言う。
「ほら。私を叱りつけはった時の、あの理路整然さ。中学生離れしてましたよ? つまり相当に頭のいい……」
「わわわ」
碧生は思わず、意味もなく手を振る。
「あああ、その。あの時のことは、出来れば忘れてください。クッソ生意気なこと言うたな~と、恥ずかしいやら申し訳ないやら……」
「結木くんがそない言いはるんやったら、この件は口にしやんようにしますけど」
大楠は首をかしげる。
「結木くんの頭の良さは、大体わかりますよ?」
「ひいい、そ、それは買い被りです~」
顔を赤くし、碧生はうつむく。
「今のところ一応、地元の津田高を目指してますけど。そこもぎりぎり、入れるかどうかの成績ですから。マジで、年明けから性根入れて勉強せんとアカンのです」
「津田?」
大楠は意外そうな顔をする。
「あそこも伝統のあるエエ学校ですけど。結木くんやったらもっと上、目指せると思いますよ?」
言いつつ彼は、何か考えながらお茶を口に運ぶ。
「まあ……受験用というか進学に必要なお勉強の出来と、地頭の良さは必ずしも一致せえへんってことは、一応私も二十年近く、フリースクールを主宰してますから知らんわけやないです。アレは雑学クイズ王選手権、みたいな部分がありますからねえ。昔から、問題を解くってゲームを熟知してる者の方が有利ですから」
不意に大楠はいい笑顔をした。
「ナンやったら、津田町にあるウチのフリースクール、覗きに来てくださいよ。高校受験の対策、私でもちょっとくらいやったらお手伝い出来ますし。ウチへ来てる子ォの中にも再来年の受験対策が必要な子がいてるんで、一緒に勉強できますよ」
基本お代はいりませんし、と彼は付け加えた。
碧生は引きつった笑顔で、そ、その時はよろしくお願いします、と、何とか答えた。




