12 木霊⑥
楠の大木から戸惑ったような気配がした。
碧生は軽く目を閉じ、心を落ち着けるように数度、息を吐く。
ゆっくりとまぶたを開け、楠へ数歩、近付くと彼は、軽く見上げた。
守の大人たちは縫い付けられたようにその場から動けず、一言も発せずに黙っているしかなかった。
どこかしら幼さの残る中学生の少年の背中が、何故か不思議と大きく見える。
「一応、わかりますよ」
その静かな声の底には、ひやりとするようなナニカが潜んでいた。
楠の緊張する気配。
「この事態に混乱してるオレのことを気遣って、色々対策立ててくれてはるんでしょ? 実際……、アホほど混乱してますし」
ふっと、鼻息だけで彼は嗤った。
「まあ……無様ですよね? この町は元々、不思議がアタリマエに存在してるんです。今日、それを嫌ってほど思い知ったはずですし。せやからその不思議が、今更一個増えたくらいでおたおたするとか、曲がりながりにも『守のツカサ』を拝命してるにしてはナサケナイってヤツですよね」
彼はもう一歩、楠に近付いた。
「そこは反省点かもしれませんけど。まだ慣れてないんで、ある程度は勘弁してください。今後はもっと『守のツカサ』に相応しくなるよう頑張りますし」
『あ、いえ……』
彼らしくない歯切れの悪い返事。碧生の雰囲気は緩まない。
「大楠さんが色々と気遣った結果やと、そこは理解してるつもりです。せやけど」
不意に碧生の、細身で決して大きくない身体が倍になったような錯覚を、一同は覚える。
「大楠さん。ちょっと訊きますけど。アンタはオレですか? ナンフウですか? 雪嶺さんですか?」
『はい?』
更に戸惑った気配が楠から伝わってくる。
「違いますよね? 違うのに……ナンでアンタが他人の心の内、決めつけるんです?」
(……格下が)
碧生の中で御しがたい怒りがふくれ上がる。
「ナンフウにしても雪嶺さんにしても。待ってくれ、どういうことやと言うてましたよね? それを無視してあの二人を、強引に人間の姿やなくしたんでしょ? さすが樹齢800年の木霊はすごいと、正直ビビりました。ビビりましたけどね、それ以上にメチャクチャ、オレは腹が立ちましたよ……」
(格下が、我を侮るか?)
荒れ狂う胸を抑えるため、碧生は一度大きく深呼吸した。
「でも。多分それは、オレのためでしょ? ナサケナイ『ツカサ殿』が泣き出してお務め放棄せんよう、木霊の皆さんがニンゲンの姿を見せんようにしたらエエという判断かと。まあこの辺も、オレがそうかなと思うだけで大楠さんのホントの気持ちは違うかもですけど?」
(侮るか!)
怒りのせいか過呼吸になりそうだったが、碧生は、ぐらつく目許に力を入れる。
「百歩譲って、その配慮は有り難いと礼を言いましょう。配慮はね。せやけど……こういうの、やめてもらえません?」
目の前が赤く染まりそうな怒りを、碧生はなんとか抑え込む。
そして強引に呼吸を整え、彼は生まれて初めて、本能のまま、他人へ命じた。
「大楠義昭! 自分の思い込みだけで他人の心の内を、勝手に、決めるな!」
(控えよ!)
裂帛の気迫で下す命令は、さながら落雷。
……静寂。
どのくらい、沈黙がその場を支配していたのか。
不意に響いたのは軽やかな笑い声。
一同の視線が集まったのは、波多野恵月。
彼は本気で可笑しそうに、楽しそうに笑っていた。
「大楠さん、大楠さん」
笑い過ぎて涙をにじませ、彼は楠へ呼びかける。
「大楠さん、アンタの負けや。我々のツカサ殿は、我々大人がごちゃごちゃ心配せんでもエエくらい、しっかりしてはるデ。余計な配慮は必要ないんや」
その言葉が終わるかどうかのタイミングでナンフウと雪嶺が、さっき消えた場所に、唐突に現れた。
顔色を悪くして茫然としている二人へ、碧生は
「ナンフウ! 雪嶺さん!」
と呼びかけ、駆け寄る。
「ゆうき……」
泣きそうな目で碧生を呼び、ナンフウはぎこちなく笑う。
「お前……スゲーな。お前だけは怒らせたらアカンって、オレ、腹の底から思い知ったワ」
「アホ! 何ゆーてんねん!」
照れ隠しのように彼は、バシン、とナンフウの上腕の辺りを叩く。えへへ、と、ナンフウも照れたように笑った。
その二人を、ややこわばった顔で雪嶺が見ていたが。
少年たちは、気付いていなかった。
「……ツカサ殿」
遠慮がちにかけられた声に、緊張しながら碧生は振り向く。
紋付袴姿の、ヒトの大楠がそこにいた。
「大変、失礼をいたしました」
そう詫びて、彼は深く頭を下げた。
一時の、全身が沸騰しそうな怒りが収まっていた碧生は、慌てて、
「あああ、その。あ、頭、上げてください。ボクもちょっと、いやその、かなり、生意気なこと言うてしもて、スミマセン」
と謝った。
いえ、と顔を上げると彼は、なんとなく恥ずかしそうに少し微笑んだ。
「あなたのおっしゃる通りです。私は小波で誰よりも長く生きてきましたが、そのせいなのか少しばかり、増長していました。気付かせていただき、ありがとうございます」
大楠はスッと腰を落とし、片膝をついて頭を下げた。
昔の武将が主君へ対してするような礼であった。
「私の方こそ、あなたからご指導いただくべき立場だと肝に銘じ、お仕えさせていただきます。我らのツカサ・結木碧生さま」
そして彼は、自分だけに聞こえる小声でこうつぶやいた。
『我が君』と……。




