12 木霊⑤
(……は? はあ?)
碧生は大楠、雪嶺へとふらふら何度か目をやり、最後にナンフウを見た。
ナンフウは、彼らしくないと言いたくなるほどの真面目な顔で、軽くうなずく。
「大楠先生の言いはる通りやねん。オレらは木霊、いわゆる『ヒトに近きクサ』。オモトノミコトにヒトとしての身体をいただいて、おもとの泉の霊力によってそれを維持し続けてる、そういう……存在やねん」
「マジかよ……」
碧生はぼんやりつぶやく。
そんな、気の抜けたような言葉しか出てこない。
ナンフウは泣き笑いのような表情をした後、
「ああ。これがマジやねんなあ、信じられへんやろうけど。この辺の記憶がまるっと無かった、神事に臨む前のオレなら。こんな話、聞かされたらパニくりまくってたやろうから……今のお前の気持ちも、大体わかるデ」
と、妙に静かに言った。
碧生は、自分でもよくわからないまま立ち上がり、つかつかとナンフウに近付く。
そして、驚いて目をむいているナンフウの髪を、
「ちょっと触るぞ」
と断るのと同時に、思い切りつかんだ。
「イデデ、お、おい結木! いきなり何すんねん、痛いやんけ! この身体、生身やぞ!」
悲鳴に近いナンフウの声に、碧生は手を放し、まじまじと自分の右のてのひらを見た。
そこに残る感触は、まぎれもなく人間の髪の毛をつかんだ感触、だった。
「……」
立ち尽くし、じっと己れのてのひらを見たまま絶句している碧生へ、大楠は表情を改め、居住まいを正す。
「結木くん。いや……ツカサ殿」
大楠の声に潜むただならぬ気配に碧生は、鋭く顔を上げて大楠を見た。
目許だけで笑み、大楠は穏やかにこう言った。
「少し……外へ出ませんか?……他の皆さんと一緒に」
少なくとも、気分は変わりますよ。
優しく穏やかに、彼は言ったが。
不思議と逆らいにくい、言うならば、圧、があった。
その圧に押されるまま、碧生はうなずいていた。
正午を少し過ぎた、晴れた秋の昼。
一同は言葉少ないまま、野崎邸の裏庭、泉のそばにある草地へ出る。
よどんだ胸の内を洗うような、木々と苔、水のにおいを含んだ涼しい風が心地いい。
碧生はホッと息を吐き……次にひどく胸がふさぐ。
清々しいこの空気が、なんだか疎ましい。
ナンフウと雪嶺が、チラチラと自分の様子を窺っているのを碧生は知っていたが。
彼らに何と言っていいのか、どんな態度をとっていいのか、全然わからない。
神事を経た今、碧生は、オモトノミコトの存在を確かなものだと信じている。
彼ら三人が木霊で、ミコトからヒトの身体を得てここにいるということを、飲み込みにくくても飲み込めなくはない。
(……待てや。つまりオモトノミコトは少なくとも、人間以外のナニカをマジで人間に出来るだけの力があるってこと……か?)
不意に思いつき、碧生は愕然とした。
ホンマに神様やん、とやや間抜けなことを胸でつぶやき、次に、ゾッと背が冷えた。
とてもついてゆけない、という泣き言が心に兆す。
「ツカサ殿」
ひそかに碧生の顔色を読んでいたらしい大楠が、声をかけた。
「私の本体は小波神社で神木という扱いを受けている、通称『義昭の楠』と呼ばれている楠です。自分でもよくわかっていませんが、樹齢はおそらく八百年近いでしょう」
碧生は無言で大楠を見た。
彼は少し哀しそうに笑い、続けた。
「今からざっと四百年ほど前のことです。大坂夏の陣が終わってしばらくした頃、あの戦から小波村に落ち延びた一人の武将の心意気に触れ、彼を助けたいという思いから私は、『ヒトに近きクサ』になりました」
軽くうなずく碧生へ、大楠は頬を引く。
「オモトノミコトからいただいた、ヒトとしてのこの姿は。簡単な医療検査程度では判別できないほど『人間』です。さっきあなたに髪を引っ張られた棕櫚くんが痛がっていましたよね? この身体は切れば血が出ますし、致死量の大量出血になった場合は、本体もろとも死ぬでしょう。ただ……」
軽く息を吐き、大楠は言った。
「決して『人間』ではないのです、我々は。まず寿命が、本体である樹木に準じます。私の今の見た目は『日本人の中年の男』、大体四十代くらいでしょうか? ですがさっき申し上げたように、すでに八百年ばかり生きています。この見た目から考え、生き物としての老齢期はもう少し後なのでしょう。そして……」
ザッとでもいう音と共に、彼の身体が緑色の粒子へと変わる!
そして粒子は地面へ吸い込まれ、消えた。
声も出せずに硬直している碧生の耳へ、大楠の呼びかけが聞こえてくる。
『ツカサ殿』
きょろきょろと辺りを見回し、やがて彼は少し離れたところにある大木……楠らしい大木に、気付く。
『一時的にこの楠の身体を借り、話しかけています』
大楠の声……厳密にいえば声ではないが、大楠から話しかけられていることは本能的にわかる、そんなものを碧生は聞く。
ふと、楠からの気配が陰る。
『21世紀の今の世を生きる、年若いあなたにとって。あなたご自身が関わる、おもとの泉にまつわるあれこれだけですさまじい負担でしょう。ましてや……我々のような得体のしれない存在など』
「え? あ、いえ、その……」
もぞもぞと碧生は答える。
否定はしたい。したいが、はっきり否定するだけの覚悟が決まらない。
「あなたご自身がこの辺のことを整理し、受け入れられるようになるまで。おそらくかなり時間がかかるでしょう。もしかすると……最後の日まで」
ギクッと碧生、および他のおもとの守たちの肩が揺れる。
『それでも、それはそれで仕方のないことだとも私は思います。私は今回、私のオモトノミコトである『木霊王』から、あなたと棕櫚くん……若木たちをより良く導きなさい、という神託を受けました。でもそれは……ヒトの姿をしていなくても出来ますし、むしろ今後、100%木霊としてあなたと接した方がいいのかもしれないと今、思うのです……我々『ヒトに近きクサ』は、全員』
「え?」
意味がわからない碧生の後ろで、ナンフウと雪嶺が同時に叫ぶ。
「大楠先生、それはどういう……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
『棕櫚くん。雪嶺さん。来なさい』
冷徹なまでの命じる言葉……言霊、とでもいうものが込められた言葉が、その場に広がる。
二人の若い『ヒトに近きクサ』の声と気配が、断ち切られたように消える。
ハッと振り返る碧生の目が何とか捉えたのは、緑の粒子が素早く地面へ吸い込まれる瞬間、だった。
「ナンフウ! 雪嶺さん!」
叫ぶ碧生とほぼ同時に
「大楠さん!」
「やり過ぎや!」
と、モリの大人たちが口々に叫ぶが、楠からは冷たいまでの意志が伝わってくる。
『皆さん。我々は確かにヒトの姿を消しましたが、いなくなったのでも戻れなくなったのでもないです。ご存じでいらっしゃいましょう?……ツカサ殿』
呼びかけに、碧生は血の気の引いた顔を楠の大木へ向ける。
『どうぞお心を安らかに。あなたの前にヒトの姿を見せませんが、我々はおもとの守であり、その務めは果たしますのでご心配なく……』
「……おい」
もやもや、むかむかとした言いようのない感情が胸に湧く。
「ちょっと待てや、おっさん」
奇妙なまでの静かな怒りに、碧生の頭が異常に冴える。
楠の大木を睨み、彼は言った。
ほぼほぼ、無自覚に。
「アンタ、誰に断って勝手なことしてるねん」




