12 木霊④
(コ・ダ・マ……木霊!)
碧生は不意に、神事の時にナンフウが言っていた『コダマを義理の息子に……』云々という言葉を思い出した。
あの時は自分の神事が迫っていたのもあって、状況に流され、違和感を持ちながらもそのままにしていた。
(和棕櫚の、木霊。180、年……)
「……というても。オレ自身の感覚っていうのか、ひとつのまとまった人格ってゆーのか、キャラ? まあその、キャラってゆーのかが、ちゃんと確立し始めたんは。多分やけど、ここ80年くらい……、やねん。樹木によってはもっと早くからキャラが出来あがるみたいやけど、この辺は個人差ってのか個体差ってのか、そういうのがあるみたいで。オレは、どっちか言うたら遅い方やったんや」
当たり前のことのように、あまりにも当たり前のことのようにナンフウは、そう付け足す。
碧生はナンフウを凝視し、ただ、話に耳を傾けた。
思考が追い付かず、他に何も出来ないというのが本当のところだったのだろう。
「その頃くらいからオレは、波多野家の人らに興味が出てきてな……気を付けて見るようになったんや」
波多野家の人たちは皆、どこか飄々とした、人生を楽しむことをためらわない人たちだった。
当時、世相は決して明るくはなかったが、家の中は明るかった。
「それでも。恵治の父親の修一郎が徴兵されて戦死して、がっくりきたんか。修一郎の両親が相次いで亡くなって。恵治までもが、十四歳の秋から小波を出て暮らすようになって。寧子さん……つまり恵治の母親独りがこの家に残るようになったんや。まあ、元来元気で前向きな人やったし、彼女は彼女なりにこの町で、楽しく暮らしてはったけど……時々、寂しそうに庭でぼうってしてた。『恵治のアホは元気にしてるんやろか? なあ、棕櫚の木さん』って、何回か話しかけられたな。それに返事出来へん自分が、オレは、嫌やった」
ひとつ大きく息を吐き、ナンフウは一瞬、まぶたを閉じた。
恵月先生が唇をかみ、目を落としたのが碧生の視界の端に見えた。
「詳しい経緯がどうなってるんか、庭木のオレにはわからんままやったけど。しばらくして寧子さんは病気になってしもて。すっかりおっさんになった恵治が、コッチへ戻ってきたんや。寧子さんは、入院したり家で療養したりしてたけど、最終的に亡くなりはって。恵治はそのまま家に残って、あれだけ逃げてた『おもとの守』にもなったんや。東京で結婚したって話、聞いてたのに、恵治には家族がおらんかった」
「……確かにワシはアッチで結婚したけど。結婚三年目に死に別れたんや。女房は出産時に、腹の子と一緒に死んでしもてな」
恵月先生は淡々と言う。
悲しみを尽くした果ての、洗い晒したように静かな口調だった。
「そこからは独身やったけど。母親が死んで、とうとう家族が誰もおらんようになって寂しなったのもあるし、小波という町から逃げ続けるんにも、さすがに疲れてきてな。十四の秋から五十の声を聞くようになるまでは、やっぱり長いデ。ここまでわがまま通したんや、そろそろ観念してお役目を拝命しよ。ワシにしては殊勝なことを、自然に思えるようになったんや。エエ歳して自分のためだけに生きてるのもアカンやろって、ようやく思えたってのか。この町に、骨を埋める決心がついたってのか……」
「せやけど。確かに恵治は落ち着いてたけど」
ナンフウが、恵月先生の言葉へかぶせるように言った。
肩の線が泣いているように揺れている。
「精神的に落ち着いてたのは、わかったけど。だんだん生気がなくなっていくのを、オレは、ハラハラしながら庭から見てたんや。……寧子さんは。寂しそうにすることはあったけど。恵治が、東京で元気で幸せやったらそれだけで嬉しいって、本気で思ってはった。せやから本格的に病気が悪なるまで、あの人は生き生きしてたんや」
乱れた呼吸でナンフウは言う。叫んでいるわけでもないのに、叫んでいるような必死さ、悲痛な思いが伝わってくる。
「恵治は。身体は健康やったけど。仕事も務めもちゃんとやれてたけど。心はどんどん元気やなくなって……このままでは、身体より先に心が死んでまうやん。オレは……オレはそんなん、絶対に嫌やってん」
「棕櫚……」
恵月先生自身、ナンフウ――庭の和棕櫚――が、そんな風に思っていたとは思っていなかったのだろう。茫然と彼は、義息の名を呼んだ。
「結木くん」
大楠が静かに碧生へ呼びかけてきた。
「クサに近きヒト、ヒトに近きクサ。この言葉は小波神社の縁起にある言葉です。ご存じでしょうか?」
のろのろと大楠の方へ視線を向け、碧生はうなずいた。
「少しは。内田先生が書いてはった本に、出てましたし……」
大楠は笑みを浮かべてうなずき、言った。
「あれは、おもとの守の基本的な有資格者を表してるんです、さすがに公には出来ませんが。泉の水に育まれ、泉との親和性が特に高いヒト……人間、と。特定の人間と深い縁を持つ齢を経た樹木のうち、オモトノミコトに願ってヒトの姿を得るまでになった、強い自我と思いを持つクサ、有体にいって木霊のことを指しているんですよ」
大楠はそこで頬を引く。
「棕櫚くんが波多野家の人、特に恵月先生に強い絆を感じたように。我々も、特定の人間との絆からヒトの姿を得、泉の水、すなわち小波の生き物を生かしたいという泉の霊力、要するに意志の力により、こうして生かされている存在なのです」
「……はい?」
(我々?)
ポカンとしている碧生へ、大楠は複雑な顔でこう続けた。
「理解しがたい、でしょうが。さきほど話したオモトノミコトの姿が樹木である我々、つまり」
一度言葉を切り、少し考えた後。彼は、思い切ったように言った。
「どう表現しても同じでしょうから、はっきり言いましょう。つまり私、すなわち大楠と、犀木銀子嬢、波多野棕櫚くんは……ヒトに近きクサ。木霊、なのです」




