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クサのツカサ  作者: かわかみれい
1 守のツカサ〜中学生編
47/49

9 おみず神事Ⅱ⑤

「……はい」


 やや震えていたがしっかりと答え、ナンフウは前へ進み出た。

 ツカサ代、否、銀雪先生の目元がさすがに気遣わしげに曇る。


「棕櫚くん、作法はわかりますか? 今まで神事を行った人を見ているから、大体わかるとは思いますが。まず、手渡された桶を自分の足許へ。私が汲む柄杓の水で口を漱ぎ、桶に吐き出す。そして最後に自分の手で水を汲み、ひとくち飲む。するべきことはこれだけです。多少違っていても、大きく差し障ることはほとんどありませんから、必要以上にかたくならなくても大丈夫ですよ」


「はい」


 答えるヤツの顔はほとんど土気色だったが、目は意外にも静かに澄んでいた。

 闘志じみた光すら、そこにはある。


「それでは始めましょうか。若葉であるあなたや碧生くんは、自らのオモトノミコトの名前がまだわかりません。だから『オモトノミコトへ、ご挨拶を申し上げます』と言って水を飲んでください」


 少年たちが小声で返事するのを確かめ、彼女はうなずいた。

 野崎夫人から桶を受け取り、ナンフウへ差し出す。

 震える手でそれを受け取り、ヤツは足許へ置く。

 夫人が柄杓を差し出し、ツカサ代の手で泉の水が汲まれ、渡される。

 がくがく震えながらナンフウは、それを受け取って口を漱ぎ、しゃがんで桶へと吐き出した。

 ひとつ、大きな大きな息を吐くと、意を決したようにヤツは、柄杓で泉の水を汲む。


「お、オモトノミコトへ、ご挨拶を、申し上げます!」


 叫ぶようにそう言うと、ナンフウは柄杓へ口をつけた。



 ピシリ。

 そんな音がしたのではないかと思うような感じで、ナンフウは硬直した。

 見開かれた彼の大きな目は、驚いて固まっている幼い子供のようにも見える。

 五秒……十秒……十五秒……。

 思っていたよりも硬直が長い。

 碧生は心配になってきたが、ジリジリしながら見ているしかなかった。



 不意にナンフウの肩が揺らぎ、ヒュウウウー、という苦し気な呼吸音が響いた。

 その刹那。


(……え?)


 ヤツの身体の輪郭が揺らぎ、突然、ザッ…と微かな音と共に全身が緑色の粒子になり、地面に吸い込まれた!


「ナンフウ!」


 叫んで一歩、碧生が前へ踏み出した瞬間。

 ぬかるんだ地面に倒れこみ、咳き込んで苦し気な呼吸を繰り返すナンフウが、そこにいた。


(え? ええ? え? えええ?)


 今……ナンフウの身体が緑色の粒子になった、ように見えた、が?

 粒子になって、地面に吸い込まれて……。


(吸い込まれて、消えた、よう、な?)


 見間違い勘違い、だったのか? え? え?


 混乱している碧生の前へ、小走りで恵月先生が出てくる。

 彼は、倒れこんでいるナンフウの肩を抱いて起こし、そばにしゃがんで背中を強くさすった。


「棕櫚! 棕櫚、しっかりせい!」


 徐々に徐々に、ナンフウの呼吸が落ち着いてくる。


「あ…オトン……」


 養父の顔を見上げ、茫然とそうつぶやいた後。

 急にくつくつとナンフウは笑い出した。


「ふ……く、くふ、くふふ、くふ。あは。はは、ははは。なるほどなあ、納得納得、メッチャ納得や。オレは確かに波多野の家の、棕櫚や。間違いない」


 あははははは。

 笑いながら目に涙をためている義息の肩を、恵月先生は抱き寄せようとした。

 が、ナンフウは決然とその手をすりぬける。


()()()()()さん」


 立ち上がり、何故か妙に他人行儀な口調でナンフウは、養父へ話しかけた。


「オレが何者か……わかってはりますよね?」


「ああ、まあ、な」


 ゆっくりと立ち上がり、恵月先生は答える。


「……いつから?」


「ほぼほぼ最初から、やな。庭で、記憶をなくした子供が寝てるんを見つけた時は、さすがにビックリするやらなんやらで泡食ったけど。落ち着いたら、ああそういうことかって、すぐにわかったで」


 目元をゆるませて優しい口調でそう言う恵月先生へ、ナンフウは、切なそうにへらっと笑う。


「そうです、か」


 そこでナンフウは頬を引き、養父の目を真っ直ぐ見た。


「あの。色々……お世話やら負担やら、かけてしまいました、けど……あの。鬱陶しいと思いはるんやったら、これ以上はオレのこと……」


「あほっ!!!」


 恵月先生は、耳もつんざけとばかりに怒鳴る!


「世話? 負担? 何ゆーてんねん。親が息子の世話するんはアタリマエやろがっ。それを……お前……阿呆なこと、ぬかすな!」


 言い終わると同時に彼は、つうっ…と一筋、涙を流した。


「波多……お……親父(オトン)


 泣きそうな声でナンフウは、思わずのように養父を呼ぶ。


「あ、あなた、を。オレはこれからも、親父(オトン)と呼んで、か、かまわない、んですか?」


「アタリマエじゃ! 今までもこれからも、お前はワシの、息子や! ふざけたことばっかり()うてると、しまいにゃ、はっ倒すぞ!」


 言いながら彼は、ナンフウの上腕の辺りをバシンと平手で叩いた。

 へへへ、とナンフウは、しまりのない照れ笑いを浮かべた。


「……ハハ、(いった)。せやけどさすがオレの親父、オレのお師匠やな。コダマが義理の息子でもかまわんとか、太っ腹すぎやろ」


「アタリマエじゃ、波多野恵治をなめるな! お前の一人や二人、なんぼでも(やしの)うたるわい!」


 泣き笑いをする義理の親子を、おもとの守の大人たちはほほ笑ましそうに見ている。

 碧生も基本、そう、だが。

 ナンフウと恵月先生が、彼らにしかわからないわだかまりを消し、絆を深め合ったことは。

 他人事ながら嬉しいし、ホッとする。

 ……でも。


(……コ・ダ・マ?)


 ナンフウの言葉のうち、意味のわからないこの単語が。

 そしてさっき、一瞬ヤツが緑の粒子になったように、見えた気がするのが。

 九割の『良かったね』に、一割の不穏を差し込む。


「二人とも。気持ちはわかりますが、まだ神事は終わってませんよ。恵月先生……」


 ツカサ代にやんわり窘められ、恵月先生は少々ばつが悪そうに退く。


「モリの若葉。オモトノミコトは何と仰せられましたか?」


 問いに、ナンフウは真顔で答えた。


「オモトノミコト…セフィロト、は。弥栄、お前をモリと認める。泉を大事にするように、と」


「弥栄。お疲れ様です」


 紋切りの言葉で応じ、ツカサ代は碧生の方を向く。


「……では、本年度最後の神事を行いましょう。……ツカサの若葉、前へ」


 大きく心臓が跳ねる。

 深呼吸をしながら、碧生は答えた。


「はい」

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