9 おみず神事Ⅱ②
その後の一、ニ週間は、意外なくらい穏やかに過ぎた。
学校の行き帰りにスズメやカラスにちょっかいをかけられることはなく、それ以外にも特に奇妙なことは起こらない。
ただ、サキモリの姿は時々、視界の隅にちらちらする。
碧生のそばに現れるのは兄彦が多いが、兄弟そろっている場合ももちろんある。
『防人』の仕事、つまり情緒不安定な『若葉』の守護をしている……というところなのだろう。
『ユーキ、抱っこ』
洗濯物を取り入れた後、ベランダでぼんやりしていた碧生のそばへ、いつの間にか乙彦がいた。
抱き上げるとあたたかく、日向のにおいをたっぷり吸い込んだ毛皮に触れると、胸の奥で凝っている不安や緊張がゆるやかにほとびる。
「……乙彦さま」
『ん? 何?ユーキ』
「ナンで……この役目がオレ、なんでしょうね? いやその。あきらめてはいますけどね、いますけど……100%納得は出来へんのが本音なんです」
サキモリにこんなことを言うのは間違っているかもしれないが、言葉がぽろっと出てきてしまった。
『ウーン。ボクは、青蛙のミコトと違うからわからへんけど……』
そう言って乙彦は、碧生の頬をザリザリとなめた。
『ユーキは、真っ直ぐやねん』
「真っ直ぐ?」
意外なことを言われた。
思い出してはぐじゃぐじゃと悩み、折に触れてはこの理不尽に腹を立てている自分に、『真っ直ぐ』という言葉は相応しくないような気がする。
『真っ直ぐ。逃げへん。あ、逃げるんが100%悪いって訳やないで、それも生き延びる手ェやもん。せやけどツカサに必要なんは、ギリギリまで踏みとどまって真っ直ぐ立ち向かう……その……なんやろ? 力? 度胸? そーゆーのんが、ユーキには生まれつき、あるねん』
「……はあ。そう、なん、でしょうか?」
首をひねる碧生の腕から、乙彦はするりと抜け出した。
『うん、そうやで~。だからおやつ、ちょーだい!』
ボクお腹すいた、と、ケロッとした顔で言う乙彦へ、碧生は、苦笑を返すしかなかったが。
胸の重苦しさは、不思議と薄れていた。
『おみず神事』当日、早朝から出かけて半日ほど帰れない(初めて神事に臨む者に何が起こるか未知数なので、時間的に十分以上の猶予が必要だと『ツカサ代』から恐ろし気なことを言われている)ことになるという件は、意外とすんなり両親から認められた。
正しくは、母は難色を示したのだが父が簡単にOKを出し、そちらの意見が尊重されたという感じだ。
碧生は今回、まずは銀雪先生から渡された『神事の流れと心得』を手に、あまり感情をまじえず淡々と、
「普通は非公開らしい秋祭の神事、特別に見せてもらえそうやねん」
というところから話した。
銀雪先生の書道教室で知り合った、連翹大附属中学校に通う『地元の人』の子と一緒に、神事の見学をしないかと誘われた、と。
「ナンか、小波神社の秋祭の本宮……第四日曜日の早朝から昼過ぎにかけて、その神事やるんやって。ほら、もうじきウチの学校も文化祭やから、オレも部活の研究発表のネタ探ししてるんやけど。この前、ソレ関連のことで小波神社の取材とかしてて……」
「ああ……アンタが倒れて、神社の神主さんに迷惑かけた時のこと?」
母の問いに、
「うんそれ」
と、碧生は真顔で嘘を吐く。
「そこから、話が派生したんもあるんかもな。オレも詳しいことはよ―わからんけど、ちょうど今年からソイツ……波多野っていうんやけど、波多野が親父さんの跡を継いで、将来自治会の役をやる準備みたいな感じで、神事の見学するらしいねん。一人も二人も一緒やし見においでって、自治会長の野崎さんておっちゃんに、オレこの間、言われてなァ。面白そうやしレポートの絶好のネタになるし、行ってみたいんやけど、エエかな?」
虚実を混ぜて淡々と嘘を吐く自分が、碧生は、自分ながら薄気味が悪い。
(……オレ。ひょっとすると詐欺師の才能でもあるんかな?)
そんなことをちょっと思い、げんなりした。
嬉しくない才能だ。
母は最初、『地元の人』と必要以上に親しくなってもヤヤコシイだけだという心配(碧生もそれはわからなくない。余所者がこういう場へ中途半端に関わっても、おそらく碌なことにはならないだろう。たとえ今現在、彼らに悪気はなくても、だ)から、いい返事をしてくれなかった。
が、普段は学校や習い事を含めた碧生の教育関係のことを母に丸投げしている父が
「ええんちゃうか、せっかくの機会やん。珍しモン見せてくれはるっちゅうんやったら、見せてもらえ」
と言った。
これには碧生も驚いたが、母も驚いたのか、目をむいていた。
「あ、そうや。学校側の許可とかはどないなってるねん」
思い出したようにそう問う父へ、
「ああ、その辺は。一応、こういう話がありますってことは顧問の先生に言うてある。先生は、お家の人や自治会の人がエエって言いはるんやったら見学させてもらったらエエんちゃうかって、ゆーてた」
と、しらッと答えた。
やれやれ、念のため先に顧問に話を通しておいて良かった、と碧生は、内心冷汗をぬぐう気分だ。
「ほんなら別に問題ないやん。ナンでも経験ナンでも勉強や。行って、見学させてもらえ」
と、父は背中を押してくれた。
言いたいことは色々ありそうだったが、母は今回、父の意向を尊重する形で引いてくれた。
というよりも、『学校側の許可がすでにある』となると、彼女としても反対しにくかったのだろうが。
(……とりあえず。第一関門は突破やな)
碧生はこっそり、そう思った。




