9 おみず神事Ⅱ①
今、自室の机の前に碧生はいる。
ナンフウ言うところの『寄り合いTake2』が終わった後の、夜である。
『四面楚歌』を調べた辞典や参考書が散らばる机の前に座り、彼は、椅子の背もたれに寄りかかって天井を見ている。
銀雪先生の声を、彼はふと思い出す。
「小波でオモトノミコトとお呼びしている神様の本性が『水』……つまり龍神、水神であるのは確かです。かの方は神様らしい、ある種の苛烈なご気性なのも間違いない話です。せやけど具体的な印象といいますか、それは個々人ごとに違ってきます。まあ、そもそも神様に定まった姿かたちはないのでしょう。アチラでお会いする時に見るオモトノミコトの姿は、個人個人みんな違ってますが、どれが正しいとか間違っているとかいうものではありません。どれも正しいのです」
そこで彼女は、ふっとひとつ、息を吐いた。
「美しい樹木も白い大鹿も、黒衣の美少女も。霊的な意味では泉の精霊である青蛙のミコトのお父上……もっとわかりやすく表現するなら、単純に、親、という位置付けの神様なのでしょう。愛娘を守れるだけの資質があるのか、泉自身が見込んだ村の住人を呼び出して、オモトノミコトご自身が対峙して見極める……きちんと伝えられている訳ではないですが、それが水を得るための代償、もしくは契約なのだろうといわれています」
ひと通り調べ物をし、銀雪先生の話を反芻し、それこれ考察もし、『結局、自分でオモトノミコトと対峙するしかない』を自分なりに咀嚼し、無理矢理でも飲みこんだ後。
碧生は、のろのろと姿勢を戻し、椅子から立ち上がった。
そして書道の道具を入れているトートバッグから、白い封筒を取り出す。
一度大きく息を吐き、封筒の中身を取り出した。
『神事の流れと心得』
そっけない白い便箋に、一見柔らかそうな、それでいて芯のぶれない美しい文字が並んでいる。
銀雪先生の字だ。
1 当日の朝、5:45までに野崎邸の正門に集合。
2 『おもとの泉』そばの祠へ全員で詣でる。
3 『おみず神事』開始。
4 ひとりひとりが泉から水をいただき、この年の五穀豊穣の感謝をささげ、来たるべき年の吉凶をオモトノミコトへ問う。
5 『おみず神事』終了。
神様の前へ参じるので、失礼のないよう身支度する。服装は正装かそれに準ずるものを着用。学生の場合は制服着用が望ましい。
事情の知らない者が読んでも必要以上の不審を抱かせない、いかにも昔から淡々と続けられきた『地域の神様を祀る行事』のような手順の覚書。
必要最低限のことだけが書かれた『神事の流れと心得』。
近いうちに碧生は、これを両親に見せて了解をもらわなければならない。
「ふうう……」
椅子に戻ると、大きなため息が出た。
現実ばなれした状況への悩みや疎ましさは、彼もそれなりに折り合いをつけた。
が、『中学二年生の少年が早朝、地域の名士のお屋敷で行われている神事へ参加・あるいは見学』することを、この地域の『余所者』である両親にすんなり納得してもらうのは。
ある意味、しゃべるカエルの存在を素直に信じてもらうくらい、難しい気がする。
(……一応、作戦はあるんやけどな)
部活動の取材で最近仲良くなった、地元のおじさんや小波神社の神主さんのご厚意で、『おみず神事』という普通は非公開である秋祭の神事を見学させてもらえるようになった……、という筋書きを、碧生は考えたのだ。
今日の寄り合いの最後に、神事に参加する日、早朝からの外出を碧生の両親にどう納得してもらうかの話が出た時、思いついた手だ。
幸いというのかなんというのか、この前、神職姿の大楠に送ってもらったという変?な実績もある。
まさかここで『郷土史研究会・会長』の肩書が使えるとは思わなかったが、普通の会員ではなく『会長』である自分が、研究会を代表してこれへ参加するのだと言えば、紙一重程度ながら説得力や必然性も上がる。
(そんなヤヤコシそうなもんに首突っ込まんでも、フツ―に部活くらい出来るやろって一蹴されたら終いやけどな……)
元々、野崎さんや大楠さんが両親を説得すると言ってくれていたのだそうだが。
碧生としては、まずは自力で両親を説得したい。
「はああ……」
この世ならざる場で、おっかない神様と対峙するのもため息が出るが。
現実の常識だけで生きている人へ、現実からズレた場でののっぴきならない用事を果たすため、それなりに説得力のある、現実の常識からズレない言い訳をしなくてはならないなんて。
何という皮肉だ、ため息しか出ない。
(オレも本来、ソッチ側の人間やったのに)
恨み言のひとつくらい出ようというものだ。
「はあああ……」
もうひとつ、大きな息を落とした瞬間。
何故か、銀雪先生の家でいただいた、雪嶺のハンドメイドであるハチミツのカップケーキの香りが、ふっ…と、鼻先に漂った。
「『風林火山』とか『疾風怒濤』も、この字の雰囲気っぽいけど。どっちか言うたら私、『四面楚歌』、みたいな気がしました」
少し困ったように眉を寄せ、彼女は言った。
「自分の周りは敵ばっかり、みたいな、絶望的な状況を表す四字熟語やねんけど」
(……あの人は。なんであんなにオレの気持ち、わかってくれたんやろう?)
オレ自身でさえ、ちゃんとわかってなかったのに。
そう独り言つと、幻の木犀の香りが胸に迫る。
不意に訪れた甘苦い感傷に、彼は戸惑った。
ごまかすように立ち上がり、彼は、水でも飲もうとわざと足音を立て、階下へと向かった。




